『美味しんぼ』とフクシマについて書きました。
アラザル15という本に、「感情を兌換する」という批評を載せました。
どういう内容かというと、美味しんぼの料理は全然美味しそうに見えない時期があったけどめちゃ美味しそうに見える。でもゲームの料理は美味しそうに見えるように頑張って作ってあるけど、全然食欲がわかない。なんでかって話を書いた。
料理は呪いだ。食べないと死ぬ。食材を食べることと、料理を食べることとの本質的な違いはこの呪いに対する態度の違いと言い切ってしまっていい。食べないと死ぬが、死ぬことを忘れさせる。料理は死なないための餌を、生きるための悦楽に変えようとする営みなのだ。
というものなら、当然不可逆に世界を破滅させてしまう(というイメージを強くもたせる)原発と料理は真っ先に敵対するものだ。その敵対はコストやエネルギーではなくて、なによりも「政治」の問題として現れる。
料理漫画のなかでなぜ『美味しんぼ』だけがデマをまき散らして死ななければならなかったのか、それを『美味しんぼ』の思想から接近しようとしたもので、個人的には50巻以降の山岡家の子供達との関わりからも論じたかったのだがそこまではいかなかった。
興味あればよんでほしい。がんばって書いたので。古書防破亭でも取り扱い中。
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