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先生と私



『事実は小説より奇なり』とは、
よく言ったものだとしみじみ思う。

先生とは、
「後に続く人に光を指し示す人のこと」
以前ある方から教わった。
なるほど、豊富な知識と経験で 
暗い道に光明を照らす役割が先生なのかと。

思い返せば
たくさんの先生との出会いがあった。
良い先生もたくさんいたが、
いろんな先生もいたのが現実だ。

昭和の子ども時代にタイムスリップして
過去に出会った先生をふり返りたい。

小学生の頃、いちびり(大阪弁でお調子者)だった私は授業中にギャグを飛ばしては先生に迷惑をかけていた。もちろんよく叱られた。

K先生にはビンタをよくされた。
笛や水鉄砲で頭を叩かれ、笛や水鉄砲が割れたこともあった。
笛が割れた時には
『あんた笛弁償させるよ!』
と言われたものだ。

不思議なもので私が迷惑をかけて叩かれる分には腹は立たず納得していた。みんなからウケタ笑いの分で相殺されていたのかも?

中学生になってもよく叱られた。
先生方の必殺技もグレードアップしていった。

・「チョークチョン」(チョークでデコをチョンと突かれる)
・「グリコ」(拳でこめかみをグリグリされる)
・「チャム毛」(左右のもみあげを両手で引っ張り上に引き上げる。これをされるとプリマドンナのように爪先立ちになる)
・「ヒューストン」(椅子を頭に落とされる荒技。ヒューと手を離すとストンと頭に落ちるのが由来である)

数々の必殺技を食らっても、私のやらかしたことに対するペナルティには納得したものだ。

だが授業中に、
クラスで1番頭の良い生徒が後ろの席から私に話しかけてきたことがある。
身体を斜めにして私が言葉を返すと、
O先生は私だけを叱った。

これには納得できなかった。
2人が叱られるなら納得できる。
話しかけられた頭の悪い私だけが叱られるなんて……

中学生の私は、
大人の不条理を許せなかった。
不服な言動をする私は目の敵にされた。
何もしていない私の机をいきなり蹴り飛ばされたこともある。

O先生が中学3年生の担任だからたまらない。受験に何の協力もしてもらえなかった。
頭の良い生徒には親身に指導していたのに…

私は「もし自分が教師ならこんな『えこ贔屓』は絶対にしない」とメラメラと怒りに震えていたのを思い出す。勉強のやり方もわからず、高校受験には失敗してしまった。

高校に進学はできたが、全くやる気は無かった。だが、素晴らしい担任のF先生との出会いがあった。

ユーモアがあり良いことは良い。
悪いことは悪いと優しく教えてくれた。
他にも、私のどんな話しにも最後まで聞いてくれるKO先生がいた。この先生の話しは面白く聞いていて飽きない。いつしか、こんな先生になりたいと自然に思っていた。

落ちこぼれの私が教師を目指すと言っても
2人の先生は全力で背中を押してくれた。
初めて勉強に取り組んだのはこの時だ。
人は本気で声援を送られると頑張れると知った。

大学に無事入学して、
教職課程を取り教師になった。
私が大学に行き、教師になる。
昔の友達が聞いたら「あいつが教師?」と
吹き出して笑うだろう。

いろんな先生との出会いが、
私の道を決めた。
人よりたくさん先生から叱られた。
先生になるなんて考えたこともなかった私が教師になる。だから人生は面白い‼️
点と点がつながり一本の線になる感覚だ。

小学校のK 先生、高校の先生方にも感謝している。中学3年生担任O先生にも今は感謝している。いろんな側面から考えられるようになったから。

ひょっとしたら、私が教師を目指すきっかけはO先生のおかげかもしれない。
全てのご縁には意味があると思う。

今、私は良いことは良い。悪いことは悪いと全力で教えている。ヤンチャな生徒が大好きだ。絶対に『えこ贔屓しない』のが信条でもある。O先生が反面教師になったのかなぁ。
もちろん、グリコやヒューストンはしてませんよ。

不思議な運命のイタズラか?
K O先生の息子さんと今同じ学校で教師をしている。
K O先生から学んだことを息子さんに伝えている。少しは亡くなられた恩師に恩返しできたかな?


今思うと私の歩む道は、いつも
目の前を照らす光に導かれていたように思う。


『平凡な教師は言って聞かせる。よい教師は説明する。優秀な教師はやってみせる。しかし最高の教師は子どもの心に火をつける』
       ーウィリアム・ウォードー

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