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玄洋社と桧原桜

先月、地元の西日本新聞に「玄洋社設立に大きな影響 生涯男装通した高場乱の銅像建立へ」という記事が出ていました。高場乱は、国宝「金印」を初めて鑑定した亀井南冥の亀井塾に入り、後に自身でも私塾を開きます。そこで学んでいたのが、頭山満ら玄洋社の主要メンバーたちでした。

福岡の玄洋社とは歴史的にみて、どんな存在であったのか。評価は様々あり、定まっていないようにも思われますので、Wikipediaの記載のみをとりあえず引用しましょう。

欧米諸国の植民地主義に席捲された世界の中で、人民の権利を守るためには、まず国権の強化こそが必要であると主張した。また、対外的にはアジア各国の独立を支援し、それらの国々との同盟によって西洋列国と対抗する大アジア主義を構想した。明治から敗戦までの間、政財界に多大な影響力を持っていたとされる。

具体例を挙げると、「中国革命の父」といわれる孫文を支援したのが玄洋社。孫文は辛亥革命に至るまで、何度も武装蜂起に失敗していますが、日本へ亡命した時に助けたのが頭山満らでした。孫文がいなければ、今の中華人民共和国も存在していたのかどうか。

玄洋社には、初代の平岡浩太郎から始まり、歴代の社長がいるわけですが、最後の社長となったのが進藤一馬さん。GHQによる玄洋社解散指令まで、その座にありました。その後、公職追放、衆議院議員を経て、第25代福岡市長に就任。

進藤市長には、有名な(桧原)桜のエピソードがあります。昭和50年3月、道路拡幅工事により伐採される予定の桜に、住民が市長あてに嘆願の歌を詠みました(一部の原文を漢字に改変)。

筑前花守り進藤市長殿
「花哀れ せめてはあと二旬 終の開花を 許し給え」

これに進藤市長が歌を返しました。

「桜花 惜しむ大和心の 麗しや 永遠に匂わん 花の心は」
香瑞麻

工事計画は一部変更され、桜は生き永らえ、後に公園として整備されました(行ったことがあります)。粋な市長がいたものです。

話は変わりますが、『万引き家族』などで知られる是枝裕和監督が、満洲映画協会の理事長をしていた甘粕正彦(元陸軍憲兵大尉)を主人公にした作品をやりたい、とかつて語っていました。

甘粕正彦というと、『ラストエンペラー』では坂本龍一さんが演じましたが、是枝監督はどんな人物像として描くのか、興味深いところです。主人公となると、関東大震災時の甘粕事件は避けられないでしょうし。

歴史的にまだ謎が多いものとか、評価が定まらないもの、そうしたものもフィクションならば、新たな視点、新たな解釈、新たな研究成果を元に描けるのではないか。大河ドラマで、玄洋社の誰か、あるいは複数の人物の群像劇として取り上げないかな。

かつて東アジアにおいて、国や民族の壁を越えて、よりよい世界を模索し、連帯した人々がいたというメッセージは、地域情勢が緊迫する今だからこそ、様々な国の、色々な人々にも響くと思うんですけどね。



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