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第24回 無くなりゆく景色 鶴川内の伊勢神社の参道

こんにちは。阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
今回はタイトル通り、鶴川内地区の伊勢神社をご紹介します。
ちなみに鶴川内(つるかわうち、つるがわうち、つるがわち)読み方はいずれか(笑)。
まだまだ阿久根弁を耳コピできない新参者でございます。

伊勢神社の鳥居

こちらの神社は通りから少し奥まった場所にひっそりとあるせいかあまり目立たず、地元の人も知らないという方多いのではないでしょうか。
一歩足を踏み入れると境内は広く、参道の長さに驚きます。
というのも出水地区内では最も広い敷地面積で4,307坪。14,200㎡の広さがあります。

鳥居のすぐ後ろに長い階段
鳥居側から見た参道

鳥居をくぐると階段が現れます。登りきると両脇には竹と樹が真っ直ぐと伸び、青々としたトンネルのよう。ここからさらに長い参道を進み、再び階段を登ると社殿が見えてきます。
広々とした境内には昔は鉄棒や滑り台があり、ラジオ体操なども行なわれて人の出入りがあったようですが徐々に周辺地域の過疎化が進み、この場所での集まりが減っていったそうです。

境内に生える絡まり合う2本の樹
境内裏にある小さな祠
竹の色をした社殿

竹の色を纏った社殿はモルタル製に改築されていて周囲の景色と馴染んだ見栄えです。
御祭神は、天照大御神、豊受大神。
創建は不詳ですが棟札に「大檀那 平太郎丸 応永十一年(一四〇四)十一月廿六日…」とあり、室町時代と推定されています。
この「平 太郎丸」とは、阿久根の地名の由来となり当時この地域を支配していた莫祢氏(あくねし)9代良忠の幼名であると考えられています。

莫祢氏は平安時代末期から旧阿久根地区を支配してきた豪族で14代良照にまで続きました。8代成村の頃に支配していた地位から脱落し、この状態がしばらく続くが宝徳3年(1451年)に出水郡を領する薩州家が創設されると前述の莫祢氏9代良忠は心機一転のため名を阿久根と改め、薩州家初代好久に仕えてその家老役となりました。

参照;阿久根市誌

阿久根の歴史を長らく見守ってきたこの伊勢神社の真っ直ぐ伸びる長い参道は、ゆくゆくは高速道路が横切る形となり直進できなくなってしまいます。訪れたことがない方は是非今のうちに鳥居をくぐるところから参道を進み参拝してみてください。

いずれ見られなくなってしまう参道の景色

☝️鶴川内の伊勢神社の詳細地図はこちら

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