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「小さなことから、コツコツと」

「教育改革」「教育現場を叩き潰す!」

などなど、字面だけ派手な言葉が様々な所で叫ばれているようですが、教師もそれに踊らされている場面を多々見て、情けないと感じます。
最近、一年生にもタブレットが配布され、活用している場面を見ました。

ロイロノートと呼ばれる、デジタル付箋を共有するアプリを使った授業でした。

「昨日食べた物を絵や言葉で書いて、送ろう」という内容でした。


いやいやいや、
タブレットを使うことが目的になってませんか?
歌詞の意味も知らないまま、「何となく良い歌だな~」という理由で卒業の歌を選んだりしているような、思考停止状態です。

手書きで書いたものがそのまま送れるので、絵でも文でも子ども達は表現することができます。しかし、教師の問いが悪ければ、それすらできないのです。

この時間でどうやって子ども達に考える時間を確保しようか、この教材を使っていかに考えてもらおうか、それを考えるのが教育者の至上命題です。

教師の敷いたレールの上を走らせるような教育活動をなくし、
自分で考えられる子どもを育てられるよう、現場にいる我々教職員が子ども達の学びを確保するために考えなければいけないのでは、と政治や社会の動向に振り回されているようにしか思えない先生方を見ていると、強く思います。

わたしなら、道徳や国語の教科書の挿絵などを使って、
『この時、どんな風にお話しすると良いかな?マンガみたいに、吹き出しで書いてみよう』や、『動物の絵を使った大喜利』なんかを行うのになぁ、と思った水曜日の午後でした。


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