「~したのは、なぜでしょう?」をやめる。

『まめ太が外へ飛び出し走り出したのは、どんな思いが心にあったからでしょう?』

3年生の「モチモチの木」の、発問例です。
よくこの授業で、「なぜまめ太は走ったのでしょう?」や「どうしてまめ太は助けを求めに走り出したのでしょう?」という発問を目にしますが、あれはあまり良くないなぁと感じます。

理由はかんたんで、「理由」をきいているから、です。
「行動や出来事」には「理由」がある、それは当然のことです。

「好きな人が好きな理由は?」「なぜその人が好きなのですか?」
もしこうきかれたら、少し戸惑いませんか?それくらい、理由や「なぜ」には端的で、余計なものを挟まない力があるのです。

こんな端的なことばかりきいていくと、必ず表層だけの読みになります。
ごんの気持ちばかりきく「ごんぎつね」。大造じいさんの気持ちばかりきく「大造じいさんとガン」…

だから、ここぞという問いでは、思いをきいてください。


まめ太が夜中、助けを求めに外へ飛び出したのは、じさまを助けたいからです。これは理由です。この理由は間違いありません。
しかし、この「理由」を支える思いは、様々です。
じさまと今までのようにお話しできなくなると思うと怖くて怖くて仕方がない、何としてでもじさまには生きていてほしい、怖いけど今は自分が勇気を出さないと…等々、しっかり読み取れている子ども達なら自由に想像することができますし、それは子ども達それぞれでちがってくる答えになるのです。

そして最後に、「だから、まめ太はこんな行動に出たんだね」とまとめてあげればいいのです。色々な思いがあって良いし、人間とは複雑な思いのもとで成り立っているものなのです。

文学作品は、新学習指導要領になってから立ち位置がかなり微妙なものになりました。個人的には、国語教材より道徳教材に寄った扱いになっていると思います。「言葉の力」を活用しつつ、文学作品を活かす方法については後日語るとして、せっかくの素敵な作品の数々を、ききかた一つ工夫して、より深く読み取れるものにしてください。

「じさまを助けるために走ったまめ太」では、3年生は共感しません。
『怖かったけど勇気を出したまめ太』なら、自分にも似た経験がある3年生ならとても共感できるのです。

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