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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻第2章 美形の皇子様がタイヘンなんです!③


「『人間』、だろう」

 とある屋敷の一室で長身の魔法使いがそう言った。

「ほう」

 その言葉に短く応えた声にはどこか面白げなニュアンスがあったが表情はわからない。
 声の主の顔は、ピエロを模した仮面に覆われていたからだ。

「正確には、人間の持つ知性や理性、欲望、そして、感情。そういったものから生み出された存在がおまえたち『魔神』であり『悪魔』だと私は考えている」

「ほう、ほう、ほう、ほう」

 仮面の人物はやけに大仰な身振りで室内を歩き周ってから、魔法使いの前でピタリと止まると、やはり大仰に顎を上げ、腰に手を当てて、怒ったような素振りをしてみせた。

「こともあろうに人間ごときが、我々魔界の住人の造物主であるとあなたはおっしゃるのですね?」

「造物主かどうかは怪しいところだがな。人間の方には、おまえたちを創ったという自覚がない。道ばたに垂れ流した小便が草木を育てる養分になることもあるが、それよりもはるかに無意識なものだ。精神的なエネルギーが垂れ流されているとは誰も考えてはいないからな」

 カツンと音がする。
 仮面の人物が踵で床を打ち鳴らしたのだ。

「なんたる不遜! むしろ嘆かわしいと言う他ないでしょう! 我々魔界の住人が! その長たる魔神が! 道ばたに垂れ流した小便によって生み出されたと! 例えるにしてももう少しマシな言い方はいくらでもあるでしょう!」

 そんな憤まんの言葉を、魔法使いは長めのため息一つで一蹴する。

「だが、理解はしやすかっただろう? もっとも、おまえはそのことにとっくに気がついていたはずだがな、ガビーロール」

 仮面の人物は一転して、慌てたように両手をわたわたさせると、最終的にはなにも知らないとばかりに白い手袋で覆われた両方の手のひらを上に向けてみせた。

「まさかまさか。そんなこと思いもよりませんよ。私は八柱の魔神将の中でも末席に位置する力の弱い魔神に過ぎませんからねぇ」

「力の弱い、か。どんな力を基準に言っているのかは知らんが、その力が弱くとも他の魔神将たちと並ぶ方法はいくらである。そう言っているように、私には聞こえるがな」

「…………あなたは本当に嫌なお人ですねぇ」

 仮面の下の表情は相変わらず見えないが、その声はどこか楽しげに聞こえた。

「フッ、その嫌な私との会話にずいぶんと楽しみを見つけているようじゃないか、ガビーロール」

「それはもちろんですよ。どんな相手であってもおしゃべりは実に楽しい。あなたのような嫌になるほど頭の回転が速い相手なら特に。真実にしろ欺瞞にしろ、その発言には常に意図がある。それを読み解き、こちらから仕掛ける。あなたも私とのおしゃべりに楽しみを見つけていらっしゃるのでは?」

 魔法使いは小さくを肩をすくめるのみでそれには答えず、話を続ける。

「おまえは差し詰め『遊興』といったところか」

「……なんのお話でしょう?」

「おまえたち魔界の住人とやらが、人間の精神活動から生まれたものだという話さ」

「………………」

 ガビーロールは黙りこくり、よく動かしていた手足も止めていた。

「魔王が数ある魔神の中からおまえたちを厳選して召喚したとするならば、そこには意図があったはずだ。魔王と魔王軍の動きもそうだ。そこには意図がある」

「あれはただの戦争ですよ。領土を広げるという明確で誰しもがわかる意図が――」

 魔法使いはその台詞を無視する。

「『恐怖』だ」

「…………」

 再び口をつぐむガビーロール。仮面の下に口があるのなら、だが。

「聖王国サントレーヌを襲った隕石の魔法。領土の拡大が目的ならば、あれは明らかにやり過ぎだ。あのとき大陸全土に向けて放たれた意思疎通の魔法と合わせて、示威行為と見る向きもあるが、違うな。魔王ならばもっと上手い方法がいくらでもあったはずだ。故に私は、あれこそが魔王が戦争を起こした本来の目的だと見た。すなわち――大陸の人々に強い恐怖を植えつけること、そのものだ」

「ほ、ほほう……。では、私たち八柱の魔神将も人々に恐怖を与える目的で喚び出されたのだと」

「いや。おまえたちがそもそも『恐怖』や、それに類するネガティブな感情から生み出された存在だという話だよ。例えばプロシオンは『炎への恐怖』だ。ハイアーキスは『水』、特に川の氾濫のような自然災害への恐怖とみている。ロウサーの『蟲』やフェルミリアの『刃』などはわかりやすいか。アタナシアなども『死への恐怖』そのものだろう」

「では、ヘルマイネとスールトは……」

「ヘルマイネは『束縛』だろうな。奔放な生き方をしてきた者ほどあいつには潜在的な恐怖を感じるはずだ。そして、スールトは魔王軍を指揮するのにもっとも相応しい、『戦争への恐怖』だ」

 仮面をした頭がぐらり、ぐらいと揺らされる。
 しばらくして、白い手袋をした手がカチカチカチと打ち鳴らされた。
 どうやら拍手したらしいが、手袋の下の手は木製のようだ。

「素晴らしい! 実に素晴らしい考察です! ちなみにもう一つお聞かせ願いたい! 私が『遊興』というのはいったいどういうことです? それは恐怖とはほど遠い! 楽しむべきものではありませんか!」

「遊興にも色々な種類があるからな。あえて狭めて言うならば『失敗したら取り返しのつかない遊び』というところか。そこには恐怖もあれば、楽しみもあるのだろう。むしろ、恐怖がなければ楽しめないとも言えるか。ほど遠いどころか渾然一体としているな」

「パーフェクト!」

 カチカチカチカチと先ほどよりも激しくその手が打ち鳴らされる。

「さすがです、サイオウ! やはり、あなたと組んだのは正解だったようですね!」

「私はおまえと組んだ覚えはないがな。『いつでも消滅させられる』、そんなカードをちらつかせておいて、組むもなにもないだろう」

「いえいえ、抵抗するつもりなら、私だってもっと抵抗していましたよ。たとえ自らの消滅がかかっていたとしても、『その方が面白い』と思ったのなら、ねぇ」

「フッ、どうだかな。どう言ったところで、おまえが私の裏をかくことを諦めるようには思えん」

 ガビーロールは残念だとばかりに両手をあげて、その首を左右に揺らした。

「信頼の対価というわけではありませんが、おそらくあなたも把握していないであろう情報を一つ差しあげましょう」

「ほう? 聞かせてもらおうか」

「……新たな魔神が生み出された、そんな直感があります。おそらく、スールトたちも気がついていることでしょう」

「新たに……生み出された? それは、この現界に、ということか?」

「おそらくそれは、あなたの言う『魔王陛下の目的』の一つなのでしょう。我々八柱の魔神将がこちらの世界に存在し続けることによって、擬似的な魔界を形成してしまっているのかもしれません。本来、魔界で生まれるはずの魔神がこちらで生み出されてしまった、そんな気配がするのですよ」

 サイオウは口元に手を当ててしばし考えこむ。

「魔神の存在だけでそうなるとは思えない。魔神将の契約……なるほど、そこまで仕掛けてあったか」

「……あまり驚いてはもらえないのですねぇ」

「いいや、驚いてはいるさ。ガビーロール、それを直感したのはいつだ?」

「新たな魔神が生み出される、そんな予感はずっとしておりました。ですが、生み出された、そう直感したのは今日の話です。数刻前のことでしょうか」

 それを聞かされてもサイオウが驚いたようには見えなかった。

「やはりな」

「と、申しますと?」

「大方、プロシオンの消滅がその発動条件になっているのだろう。おまえたちが放逐されても契約によって現界に再構築されるように、再構築が不可能だった場合の代替処理が組み込まれていたんだ」

「なるほど! どんな手段でそんなことができるのか見当もつきませんが、それは充分に納得のいく考え方ではありますねぇ。ほうほう。ということはつまり、その新たな魔神は、新たな八柱の魔神将の一柱という事にもなるわけですね……。おお、朋友プロシオンよ。あなたの席は早々に埋められてしまいましたよ!」

 その芝居じみた大仰な言い方にサイオウは小さくため息をつく。

「ところでサイオウ。あなたは私たち八柱の魔神将が恐怖の感情に基づく魔神だということをおっしゃいましたが、どう思われます? 私の新しい同輩が、どんな感情から生み出された魔神なのかを」

「知らんよ。まだ見たことも、聞いたこともない魔神だ。それも、おまえの直感とやらが正しいとしての話だ」

「おや、信じていらっしゃらない?」

「確度は高いと思っているよ。そして、それが生み出されたであろうおおよその場所も見当がついた。それはおまえも勘づいたのではないか?」

「……プロシオンが消滅した地点、ということですね?」

 サイオウはその答えにはなにも返さずにゆっくりと立ちあがった。

「どちらへ?」

「そろそろ子供たちが帰ってくる頃だ。食べるものを作っておいてやらなければ」

「……意外と普通に父親をやっているんですよねぇ」


        ◇ ◇ ◇

 立ち合いの結果、マリウスはラティシアに旅の同行を認めさせることに成功した。
 だが、マリウスの表情は決して明るいものではなかった。
 ラティシアに投げかけられた問題点は、それだけマリウスの痛いところを突いていたのだ。
 人を傷つけることを怖がっている。
 それは普通であれば、マリウスの優しさであり、彼女の美徳とも言えるものだ。
 だが、彼女は将来ヒュペルミリアス皇国を背負って立つ皇子であり、剣を携える騎士でもある。
 大切なものが脅威に晒された時、その剣を振るえないようでは困るのだ。
 そして、そんなことはラティシアに指摘されずとも、マリウス自身がとうの昔に自覚していた。

「僕は盾での防御をさらに硬くすること、そして、密かに練りあげていた神聖魔法でその欠点を補えるのではないかと思っていました。でも、それは欺瞞に過ぎなかった。僕は自分の致命的な欠点に気付いていながら、それを克服することから逃げていたんです。先生のご指摘で、それが嫌というほどよくわかりました」

 そう言って寂しげな笑顔を浮かべたマリウスをエリナたちが目撃してから早数時間。
 少し一人になりたいと言って入ったはずの部屋にマリウスはおらず、他の誰も、リエーヌさえもが、その所在を把握できていなかった。

「申し訳ありません、エリナ様。この私としたことが……」

「ううん、リエーヌが謝ることじゃないよっ」

 エリナは慌てて両手を振るがリエーヌは頭を下げたままだ。

「私もマリちゃんの様子を気にしていたはずなんですが、まったく気がつきませんでした……」

 カナーンはフォローするつもりで言ったが、言ってしまってから、あまりフォローになっていないことに気がつき、より沈鬱な雰囲気になってしまっていた。

「そんなのわたしだってだよ! でも、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」

 エリナの言葉にようやくリエーヌは顔をあげ、カナーンもうなずく。

「それにしても、マリちゃんどこに行っちゃったんだろう……?」

 不安そうに言うフラン。
 ロミリアはそっとその肩に手を置いて言った。

「土地勘はないはずだから、そう遠くは行っていないはずよ。みんなで手分けして探せば、すぐに見つかると思うわ。もし悪い人に襲われていたとしても殿下なら大丈夫。どんな強固な城壁も突き崩すラティシアの一撃を防ぐほどの腕前よ? 殿下には神聖魔法もあるから、ガビーロールだっておいそれと近づけないに違いないわ」

「うんっ、そうだよね、ロミリア! もうすぐ完全に日が暮れちゃう! 真っ暗になる前にもう一回、みんなでマリちゃんを探そう!」

 ロミリアの言葉を受けてエリナがそう言うと、一同は立ちあがってコクリと頷いた。
 ただし、一人を除いて。

「ラティシア、あなた……」

 ロミリアはその一人に声をかけた。

「私はここで待っていよう」

 ヒュペルミリアスの凱旋将軍は椅子に腰をかけ、膝の上で両手を組み合わせたまま、顔もあげずにそう言う。

「殿下が帰ってきた時に誰もいないわけにもいかないだろう。土地勘という意味では、私も殿下と同じくありはしない。殿下を探しに行って、私が迷子になる可能性だってある。私が留守番をしているのがもっとも合理的だと思う」

「それはそうだけど――」

 納得しかけたロミリアの言葉を、エリナの声が遮った。

「逃げるな、騎士!」

 その強い言葉には誰もが驚いた。
 それをぶつけられたラティシアも驚いて顔をあげる。

「本当に合理的だとか思ってるなら、ちゃんとこっちの目を見て言ってよ! そんなんじゃ、自分が傷つけちゃったマリちゃんから逃げてるようにしか見えないよ!」

 エリナのさらなる追撃にラティシアはようやく自分が攻撃を受けていることに気がつきでもしたように、ガタンと椅子を鳴らして立ちあがった。
 フランはエリナを止めようと、カナーンはエリナを護ろうとしたが、それぞれロミリアとリエーヌにそっと宥められる。

「私が、逃げている……だと?」

「マリちゃんはラティシアさんのことが大好きなんだよ? 大好きなラティシアさんに自分も気にしてたとこを言われちゃったから落ちこんじゃったの。だったら、そのマリちゃんに一番必要なのは……マリちゃんが一番待ってるのはラティシアさんしかないじゃん! どうしてそこでラティシアさんがマリちゃんから逃げるようなことを言っちゃうの?」

 ラティシアは怒りからか顔を紅潮させてエリナを睨みつけた。
 そして、数秒。

「……あの程度のことで傷つく方が悪い」

「な――」

 その言葉にエリナは一瞬絶句したが、ラティシアの様子に違和感を覚えて、なんとか反論したい気持ちを呑みこむ。

「ノクトベルは治安もいい街だ。放っておいても一人で戻ってくる」

 そう言う彼女の瞳は妙に虚ろだった。

「たとえなにかあったとしても、殿下がそれを誰の力も借りずに乗り切るいい機会になるかも知れない……」

 その虚ろな瞳が彷徨い、ロミリアの方を向く。

「保身のための理屈ならいくらでも出てくるものだ。なあ、ロミリア」

 ロミリアは黙ってその続きを待った。

「私はまだ、騎士なのだろうか……?」

「……そういう……ことなのね。ごめんなさい、ラティシア。私が気がついてあげなきゃいけなかったんだわ」

「え、えっと……どういう……?」

 自分が糾弾した相手が、想像した以上にダメージを受けている様子を見て、エリナは急に弱腰になってロミリアに目を向けた。

「魔王討伐から十二年。私もそれなりに大変ではあったけれど、エリナたち学院の子供たちもいたし、すぐそばにあの頃のことを共有できるリクドウもいてくれたわ。……でも、ラティシアはそうじゃなかった」

「…………」

 否定の言葉はラティシアからは出てこない。

「将軍の地位を得て、政治闘争に巻き込まれることになったとか言っていたわよね? あなたには似つかわしくないとは思っていたけれど、殿下とともに国を出てくるまで、あなたが将軍でなくなったなんて話は聞いたことがないわ。慣れないことだったはずなのに、それでもなんとかやってきたんでしょう。生真面目なあなただもの。目に浮かぶようだわ」

 ラティシアも落ち着いてきたのだろう。
 ロミリアの言葉に目を閉じ、自嘲気味に口元を歪ませる。

「私は、あなたがこの十二年の間に丸くなったんだと思っていた。でも、違うのね?」

「…………」

「心が、折れてしまうようなことがあったのね……?」

 ラティシアの瞳が再びロミリアに向けられた。

「……私が『凱旋将軍』であることに疲弊していたのは確かだ。それでも私がこれまでやってこられたのは、殿下の存在があったからだ。地位の上での話ではない。殿下のお側に仕え殿下を護るという騎士としての栄誉の話でもない。私は、疲弊していた心を、殿下の存在にいつも癒していただいていたのだ」

 力なく訥々と語るラティシア。
 そこには『凱旋将軍』たる威風はどこにもなかった。
 騎士としての誇りも、魔王討伐パーティの一員である自信も、なにも。

「殿下の欠点には前々から気がついてはいたが、私はここに来るまでそれを指摘することができないでいた。怖かったんだ。いつも私の心を癒してくれていた殿下の笑顔を曇らせることが。それに、殿下にはその優しさを失わないでいてほしいという、私のわがままな欲望もあった」

「ですが、マリちゃんも剣を取る以上、いつかは言わなければいけないことだったと思います」

 カナーンが言った。
 同じく剣を持つ者としての気持ちが前に出てしまったのだろう。
 その気持ちに少しだけでも救われたのか、ラティシアはわずかに微笑んだ。

「……情けない話だがな、私はロミリアと再会し、このリクドウの屋敷に来て、昔の自分を少し取り戻せたような気がしていたんだ。気が大きくなっていたと言ってもいい。だが、外面上はあの頃の自分のように振る舞えたとしても、内面はそうではない。私自身のその中途半端な心根が、殿下を深く傷つけることになってしまったのだろうと思っている」

 心の内を曝け出したことで気が楽になったのか、ラティシアは優しい眼差しをエリナに向ける。

「ありがとう、エリナ・ランドバルド。君はつくづくリクドウの娘だな。よくぞ、ここまで真っ直ぐに育ってくれた。私は君を大変好ましく思っているし、君をここまで育てあげたリクドウにも、改めてこれまで以上の敬意を抱くことになった。本当に感謝している」

「あ、あのっ、その言葉は嬉しいんですけどっ」

 エリナはギュッと両方の拳を握りしめて言った。

「ん? 君の言葉ならなんでも素直に受けとめよう。言いたいことがあるなら、遠慮せずに言ってほしい」

 その言葉を受けて、エリナの金髪の頭がブンッと大振りに下げられる。

「――ごめんなさいっ!!」

「え……。いや、君の言葉はまったくその通りだったし、なにも謝ることなどないと思うが」

「わたしマリちゃんの気持ちばっかり考えちゃってて、ラティシアさんも傷ついてるなんてこと全然考えてなくて、逃げるななんて偉そうなこと言っちゃって――だからっ――そうだよ……マリちゃんがあんなに好きなラティシアさんなんだもん。理由とかなんにもないはずないのに。あぁもぉ、わたしのばかっ」

 ブンブンと頭を左右に振り乱すエリナをフランとカナーンが両脇からそっと抱きしめた。

「大丈夫だから落ち着いて、エリナ」

「エリナは偉いわ。本当に」

「でも、わたしが悪いと思ってることはちゃんと謝らなきゃ――」

「ハッハッハッハッハッ!」

 突然の呵々大笑にエリナたちも目をパチクリとさせる。

「そう、自分が悪いと思っているのだから自分でちゃんと謝る! 手本まで見せられては、私もそうせざるを得ないな、ロミリア!」

「じゃあ、あなたも殿下を探しに行ってくれる気になったのね?」

「そう言っている。なに、確かに私にはこの辺りの土地勘はないが、殿下のことなら私が一番よく知っている。土地勘がないということも殿下と同じ条件だと考えれば、私が一番殿下を見つけやすいと言っても差し支えないだろう」

 ラティシアの急な変化に面を喰らったものの、エリナたちは顔を見合わせてうなずき合った。

「じゃあじゃあ、誰が一番にマリちゃんを見つけ出すか競争ね! リエーヌはお留守番と夕食の準備をお願い! もしマリちゃんが一人で帰ってきちゃったら、リエーヌの勝ちね!」

「かしこまりました、エリナ様。そうですね。そういうことでしたら、勝者には夕食に特別な一品をご用意いたしましょう」

「ナイスアイディア! よかったらそれ、マリちゃんにも用意してあげて!」

「かしこまりました」

 リエーヌは丁重に頭を下げる。

「え、えっと、いいのかな……。人捜しをそんなゲームみたいに……」

「エリナらしいといえばエリナらしいけど……」

 フランとカナーンはその提案に戸惑い、ロミリアとラティシアを交互に仰ぎ見た。

「そうねぇ、多少不謹慎だとは思うけれど、さっきみたいな重苦しい雰囲気で探すよりはだいぶマシな提案だと思うわ。他の人が見つけられないように足を引っぱる、なんてことがなければ問題ないと私は思うけれど?」

「皇子殿下の捜索になんと不遜な! と言いたいところだが、殿下を見つけ出せるならば許容範囲だ。その勝負、このラティア・ラティシアーナ・フォン・ホーエスシュロスが受けて立とう! リエーヌ、私の勝利の暁には酒をつけてもらおう。甘めの蒸留酒があればそれがいい」

「呆れた。あなたが一番乗り気じゃない」

「殿下の捜索だぞ? 私が一番乗り気でなくてどうする」

「フフッ、もういいわ」

 ロミリアは肩をすくめてから一同を見回す。

「みんな、もう暗くなってきてるから、それぞれ灯りはちゃんと持って。それから、殿下が見つからなくても一刻後にはここに帰ってくること。ノクトベルに魔神を侵入させないための結界は張ってあるけど完璧なわけじゃない。魔神に狙われている可能性が未だにあるということだけは決して忘れないで」

「「「はい!」」」


        ◇ ◇ ◇

 マリウスは山あいに沈んでいく夕陽をただただ眺めていた。
 稜線がまるで剣によって刻まれた傷口のように赤く染まっていく。
 物心ついた時から皇子として育てられ、女であることを隠し通してきた。
 そのことを知っているのは実の母とお産に立ち合った乳母だけ。
 マリウスには三人の姉がいたが、姉たちですらマリウスのことを男だと思っている。
 ヒュペルミリアス皇国の皇位継承権は女にはない。
 マリウスの姉たちはアルビレオ家の繁栄を盤石とするために、皇国内外の有力者の元へ嫁ぐことになる。
 そういった不満もあったのだろうか。
 姉たちはマリウスに理想の皇子像を語り、そうなるべきという教育を彼女に施した。
 だが、それがよかった。
 姉たちの理想像は中性寄りの美形で、強面の剛勇ではなかったのだ。
 剛勇の立ち居振る舞いが難しいばかりではない。
 飛んできた虫を捕まえることはできても、それを潰すことさえできないのがマリウスの人となりだった。
 室内に入ってきた虫に慌てる姉たちを宥めて虫を捕まえ、そっと窓から逃がしてやる。
 剛勇ならば許されないが優男なら許されるその所作は、姉たちにも非常に評判がよかった。
 困ったのは、やはり剣の稽古だ。
 相手が圧倒的に上位の技量を持っている間はよかったが、マリウスには人並みよりも上の技量が備わっていたのだ。
 大人が相手であっても、相手を傷つける予感がしてしまえば、マリウスは剣を振るうことができない。
 そんなマリウスの前に、剣の指南役として現れたのがラティシアだった。
 魔王討伐の英雄ラティア・ラティシアーナ・フォン・ホーエスシュロス。
 ヒュペルミリアス皇国では『名も無き勇者』の名は脇に押しやられ、『凱旋将軍』たるラティシアが魔王を討伐したことになっていた。
 剣の腕は元より、納得のいかないことがあれば評議会にももの申す気骨ある女騎士。
 マリウスも最初はどんな怖い人なのだろうと怖れていた。
 だが彼女は礼儀正しく、公明正大で、そしてなによりマリウスのことを誰よりもよく見ていてくれた。
 なにしろ、姉たちですら気がつかなかったマリウスの性別に一週間ほどで気がついたのだ。
 これにはマリウスの母である皇女マルレーネも動揺したものだが、ラティシアにその事情を包み隠さず説明したことで事なきを得た。
 元々ラティシアは、マルレーネのお付きの騎士の従者だった経歴を持っており、将軍となった今でもマルレーネとは昵懇の間柄だったのだ。
 多忙を極めるはずの凱旋将軍が剣の指南役に任じられたのも、マルレーネたっての希望だった。
 そのような事情もあって、マリウスの性別を知る三人目となったラティシアは、マリウスのどんな相談も受けられる大切な存在となった。
 魔王討伐の旅のこともたくさん聞かせてもらった。
『名も無き勇者』であるリクドウのこと。
 妹のようにかわいがっていた天才剣士ルナルラーサのこと。
 ソリは合わなかったが幾度となく助けられたレイアーナのこと。
 最も落ち着いて話すことができたロミリアのこと。
 そして、魔法使いのサイオウとは、暴走しそうになるリクドウを説得するときだけ妙に意見が合致したとラティシアは語った。
 そして、結局魔王を倒したのはリクドウで自分ではないということも赤裸々に語ってくれたのだ。
 マリウスはラティシアが語る冒険の日々の話が大好きで、その話で喜び笑顔を見せると、ラティシアも嬉しそうに目を細めてくれるので、それでまたさらに嬉しくなってしまった。

「僕は、そんな先生にすら、人を傷つけるのが怖いってことを隠していたんだ……。いえ、そんな先生だからこそ、格好悪いところを見せたくなかったのかもしれない。でも……先生がそんなことに気がついてないはずがなかったんだ。それを隠せていると思っていた自分が、本当に恥ずかしい……」


 コワイ、ヨネ?


「え?」

 突然脳裏をよぎった声なき声に、マリウスは顔をあげる。
 山の陰となった暗闇に、なにかがいるような気配があった。
 剣の柄に手をかける。
 護身用に帯剣はしていたが、盾までは持ってきていない。
 だが、今の声に殺気や悪意は感じなかった。
 それどころか、幼い女の子のような……。

 ナニガ、コワイ?
 ヒトヲ、キズツケルコト?
 ソレトモ、ヒトニ、キズツケラレルコト?


「どなたですか?」

 マリウスは心を落ち着けて、その気配に問いかける。
 だが、その気配を探ろうとすれば探ろうとするほど、その位置は揺らめき揺らぎ、曖昧なものになっていく。

 コンナニコワイノニ、キズツケナキャイケナイノ?
 コンナニイタイノニ、キズツケラレナキャイケナイノ?

 ネェ、ソレ、ホントウニヒツヨウナコトナノカナ……?


「なにを言って――」

 そのとき、マリウスはハッと気がつき、ポケットに入れていた天の支配神ジェノウァのシンボルを握りしめた。
 が。

「熱いっ!」

 灼けた鉄を握りしめたような熱さを感じて、マリウスはそれを取り落としてしまう。
 なにが起こったのかはわからない。
 わからないがマリウスはジェノウァに拒絶されたように感じてしまった。

 アナタニハ、マモルタメノチカラガアル。
 カミサマハネ、ジブンデマモレルヒトニハ、チカラヲカシテクレナイヨ?


「でも、僕は……」

 声なき声は徐々にマリウスの中に入り込んできている気がした。
 なにかの術中に陥っている。
 そう冷静に分析する自分もいたが、自分に寄り添ってくるような声なき声に、マリウスは抗えなくなりつつある自分を感じていた。
 そんな自分を振り切って、精一杯の声をあげる。

「あなたは! なにものですか!?」

 この期に及んで叫んだのは誰何の言葉だった。

 アナタハ、ナニモノデスカ?

 だが、そんな誰何の言葉はそっくりそのまま返ってくる。

 オトコノヨウデ、オトコジャナイ。
 オウジノヨウデ、オウジジャナイ。
 ワタシハ、ダァレ?
 アナタモ、ダァレ?


「違う、僕は……」


 アンシンシテ。
 アナタハ、アナタダヨ。


「な……」


 ヒトヲキズツケルノハ、コワイヨネ?
 ヒトニキズツケラレルノモ、コワイヨネ?

 ソノママノアナタデイイ。
 ソノママノアナタニヒカレテ、ワタシハウマレタ。


「そのままの、僕でいい……」


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