1. 空気読めない子が初めて人の悪意に晒すこと(〜小学三年)

一つの質問があります。

「なぁお前の笑顔、醜すぎる!」に言われたら、どう思いますか?

両親は仕事のせいで忙しすぎて、僕は一人っ子だから家はずっと僕とお手伝いさんだけいました。あの時、誰にもスマホが持っていることじゃないでした。お手伝いさんは僕と遊びたくないから一人で遊びました。幼稚園に友達をできたから寂しくないでした。

(香港には、お手伝いさんがいる家庭は多いです。子供がいる家庭には、44%くらいのはお手伝いさんがいます。これは変哲もないことです。)

一瞬の思いだけだったけど、「もうすぐ幼稚園卒業だから皆と離れる、死にたい」と思いました。そうです、あの時の僕はもう「死ぬ」のことを考えました。

実は9歳までの記憶、よく覚えていません。顔が醜いに言われることと友達が出来ないことは屈指の覚えていることです。小さい頃の僕は明るくてうるさい子でした。でも、利口な子だから先生も両親も愛されました。

でも、僕は空気読めない子でした。

なんというか、自閉症が持っている親戚がいるので、僕もこんな遺伝子が持っているかもしれません。確かに母親は僕を医者で検査したいけど、父親は強く反対しました。

普通の子供みたいに喋れるのに、小さいの頃、他の人の悪意を知らず、他の人はどんなに僕を見るのが知りません。そして時々変なことをやります。例えば頭を壁にぶつけること、壁紙を剥がすこともやります。原因が分からないけど、やりたいからやるだけだと思います。2才の時、街で知らない、僕より大きな犬さんを抱えることもいました。

喋れるけど、今でも作文はとても苦手です。小二の頃は作文の宿題がありました。僕はなぜか主語を二回書きました。文法の間違いも沢山ありました。このせいで先生に呼ばれました。先生に責められないけど、僕はあの時から作文が嫌いになりました。

国語の成績はあまり良くないけど、英語の成績はとても良いでした。同級生には一位でした。クラスの英語を授業するの副校長は僕を英語の詩を朗誦に選びました。額は三人、僕はその中の一人でした。

小一の頃、発音の方法が間違いのせいで、鼻声は強いでした、口も開かないでした。ので、僕は声楽を習わせました。沢山の金を使いました。あの時は、同時に塾に行かせて、水泳を習わせて、ピアノを習わせて、絵描くを習わせて、バレエや民族舞踊を習わせました。多分まだあるし、もう覚えていません。

本題に戻る。笑顔が醜いに言われることを。

あれは初めて人の悪意に直で晒しました。小一か小二かもう覚えていませんけど、誰かこの言葉を言った、あの時の感じは一生忘れられません。驚くて、悲しくて、解せなくて…

あの時の僕はまだ朗らかな子なので、挫折はあまりないでした。僕は美人やイケメンじゃないの自覚があります。このことはいち早く忘れました。

でも、数年後、「僕は醜い」の思いはまだ消えないと気づいました。


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