見出し画像

文学部は何をするところか

出身は外国語学部である。読んで字のごとく、外国語を学ぶ。朝から晩まで、専門の言語が使えるように訓練する。超実学主義の学部である。

考えてみれば、多くの学部は「生きていくための技術」、すなわち、お金の稼ぎ方を身につける。お金のことだったり、法律のことだったり医学だったり農学だったり。そうやって、いろんなことを勉強する人がいて、それを世のため人のために使って、社会が回っている。

文学部はそうではない。このことに気がつくまで、就職してから何年かかかったように思う。そして、このことは、文学部という学部がどのような学部か、ある程度知らないと理解できないと思う。その結果、つまり、文学部のことを知らない人が多いので、文学部は「役に立たない」とか「あそぶんがくぶ」とか揶揄されることになる。「あそぶんがくぶ」は、うちの大学だけで通じるのかもしれないが。

文学部は、極めて個人的な学びをするところだと思う。一言で言えば、「人生を楽しむための教養」を身につける学部である。もちろんそうではない学問もあるし、そう考えているのは僕だけかもしれない。

人間は生きていくために働く。生きていくからには、愉しく充実した人生を送りたい。愉しく充実した人生を送るためには、愉しみ方を知る必要がある。文学、絵画、音楽、ミュージカル、古墳巡り、お寺探訪、海外旅行……なんでも、愉しみ方がある。何も知らないより、ちょっと愉しみ方を知っているだけで、それらを深く感じることができる。その方法を、文学部は学んでいるのである。

日本語を研究しても、直接的にお金にならないことのほうが多い。もちろん、辞書の編集をするとか、日本語教師になって世界を股に掛けて活躍するとかいうことはあるけれど、多くの学生は卒業すれば日本語文法とは異なった職業に就く。

それでも、卒業生から、自分たちがこんなに世の中の役に立たないことをして申し訳ないとか、時間を戻してほしいとかいうことは聞かない。先日、出版した本を卒業生たちが読んで、何人かから感想を聞いた。久しぶりに日本語の文法の話に触れて、「なつかしい~」と愉しそうにしている。

卒業生たちは、日本語の文法を愉しんでいるのだ。ことばについて考える方法を学んで、最近の若者のことばやテレビの発言や、SNSの言い回しに触れては、「ほうほう。このことばはこれからどうなっていくのかな? 日本語はどこへ向かうのかな」などと考えることに、豊かさを見出しているのだ。

働くために人生があるのではなく、人生のために働くのであるならば、人生そのものを学ぶというのはなんと素晴らしく魅力的ではないか?

遊んでなんぼ、そして愉しんでなんぼ。愉しみ方を学ぶ。こんなに役に立つ学問があるだろうか。

一人ひとりが愉しむ術を知っていれば、世の中は豊かになるのではないかと思う。そういう意味では、我々は、文学部の教養を、文学部を通ってこなかった人たちに魅せるべく、もっと一般向けに発信していく必要があるのではないかと思う。

というわけで、宣伝しておきます♪ えへ。

****************

ところで、先日、我が大学には「ソーシャルメディア利用ガイドライン」なるものが存在することを知った。簡単に言うと、「ソーシャルメディアを使うときには責任をもってやりなさい。業務上知り得た秘密を掲載するな(当たり前)。そして、私の意見は組織の意見ではない旨を明記せよ」というようなものである。ネットで公開されている? 大学からしか見られないかもしれないが。いずれにしても、そんなわけで、私がここで書いているものは、もちろん組織の意見や見解を代表するものではない。あくまで個人的な雑感である。当たり前すぎて書くのがいやなので書いていないが、一度くらいはそのような言及があってもよいだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?