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曹操、劉備、孫権が消えた!? これでいいのか『世界史探究』
新しい学習指導要領で、世界史Bは、世界史探究へと改編された。
標準単位数が4から3に減り、内容の精選が図られたことが大きなポイントと言われる。
学習指導要領には、耳障りの良い言葉が並んでいる。
世界の歴史の大きな枠組みと展開に関わる諸事象について、地理的条件や日本の歴史と関連付けながら理解するとともに、諸資料から世界の歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。
世界の歴史の大きな枠組みと展開に関わる事象の意味や意義、特色などを、時期や年代、推移、比較、相互の関連や現代世界とのつながりなどに着目して、概念などを活用して多面的・多角的に考察したり、歴史に見られる課題を把握し解決を視野に入れて構想したりする力や、考察、構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力を養う。
世界の歴史の大きな枠組みと展開に関わる諸事象について、よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に探究しようとする態度を養うとともに、多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される日本国民としての自覚、我が国の歴史に対する愛情、他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。
では実際の教科書はどうだろうか。
高等学校では、昨年度歴史総合が始まり、今年度から世界史探究と日本史探究が始まった。
世界史探究の教科書には、一長一短あり、簡単に語り尽くすことはできないのだが、僕が一番衝撃を受けたのは、山川出版『詳説世界史』の本文のうち、特に次の一節だ。
3世紀前半に後漢が滅亡すると、華北の魏、四川の蜀、長江中下流域の呉が並び立ち、近隣の異民族を引き入れながら抗争を繰り返した(三国時代)❶。その後、魏の将軍司馬炎(武帝)が帝位を奪って建てた晋(西晋)が中国を統一するが、まもなく皇帝の一族の抗争(八王の乱)によって混乱におちいった。
え!?「後漢が滅亡すると、華北の魏、四川の蜀、長江中下流域の呉が並び立ち、近隣の異民族を引き入れながら抗争を繰り返した(三国時代)」だって。
世界史Bでは、曹操と曹丕、劉備と孫権の名があったはずだ。それがそっくり消えている。
まさか。
諸葛亮はともかく、劉備の名まで、教科書から消さないだろうと思っていたが、少なくとも本文にはない。
脚注を見てみると、
❶同じ頃、遼東には公孫氏政権が現れ、朝鮮半島にも進出して、楽浪郡の南に帯方郡をおいた。
とあり、公孫氏のことが書かれているだけだ。
ちなみに、附属中学校で使っている中学校歴史の教科書がこれ。同じ山川出版社のものだ。
3世紀に漢が滅亡した後,中国は魏・呉・蜀の三国コラムに分裂した(三国時代7)。また,北方のモンゴル高原から遊牧民族がたびたび侵入し,国内は混乱した。
さらにコラムで
三国志
魏・呉・蜀の三国が争った時代の様子は,のちに『三国志』という歴史書に記された。その中の『魏書』には,卑弥呼(→p.33)の時代の日本(倭)と中国(魏)との関係を記録した「東夷伝倭人条」がふくまれている。三国の争いは,のちに明の時代になって歴史小説にえがかれるようになり,一般の人々に好んで読まれ,現在に至っている。劉備(玄徳)や諸葛亮(孔明)が活躍する英雄物語は,現代の日本でもマンガやゲームなどで広く親しまれている。
と書いてある。
『詳説世界史』の教科書の記述が、本文は同社の中学歴史教科書と大差ないばかりか、中学歴史のコラムの方が面白い。
三国志が好きな生徒は多い。
内容を精選するのはいいが、削るのではここではないのではないか、と、世界史好きな個人としては思いつつも、世界史教員としては、まあ、仕方ないかなと思う面もあり、葛藤は続く。