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第135講 ヴェルサイユ体制の崩壊

135-1 合衆国の景気回復と外交の転換


ニューディール


 アメリカ合衆国では、民主党の1)フランクリン=ローズヴェルトが1933年に大統領に就任し、2)ニューディール(新規まきなおし)とよばれる大規模な対策を推進した。

 3)農業調整法(AAA) … 農産物の生産調整と価格の安定をはかった。違憲判決を受けた。

 4)全国産業復興法(NIRA) … 企業間の競争の制限などを認め、労働者の団結権と団体交渉権を認め、失業者救済の公共事業促進をはかった。違憲判決を受けた。

 5)テネシー川流域開発公社(TVA) … 大公共事業をおこして雇用の拡大をはかった。

 1935年、NIRAが違憲判決を受けると、新たに労働者の団結権と団体交渉権を保障した6)ワグナー法を制定した。

 労働運動が発展し、1938年にはアメリカ労働総同盟(AFL)から分離する形で新たな労働組合7)産業別組織会議(CIO)が誕生した。1955年に合同しAFL-CIOとなった。

 1935年、連邦政府による失業保険・老齢年金などを規定した8)社会保障法を制定した。

 ニューディールの様に、国家が積極的に経済に介入して景気回復をはかる動きを9)修正資本主義政策という。自由主義経済にかわるこのような動きは、イギリスの経済学者10)ケインズ(著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』)によって、理論化された。*「有効需要」を創出する!

 ローズヴェルトは二期目以降、財政支出による有効需要拡大策をさらにすすめ軍需産業の拡大にのりだした。

外交の転換 


 ローズヴェルトは対外面でも従来の合衆国の路線を転換した

 1933年、共和党政権(1921-33)が承認を拒んできた11)ソ連を承認した。

 ラテンアメリカ諸国に対し、高圧的なカリブ海政策を改め、12)善隣外交を展開し通商の拡大に努めた。1934年13)プラット条項を撤廃し、14)キューバの独立を承認した。

 1935年イタリアのエチオピア侵略を機に15)中立法を定め、交戦国への武器・軍需品の売却の禁止などを取り決めた。しかし、軍需産業の拡大にともない、41年武器貸与法が制定され、空文化した。

恐慌とラテンアメリカ

 アメリカ資本の支配が強くなっていたラテンアメリカ諸国は恐慌によって深刻な打撃を受け、社会不安が高まり、政変や革命があいついだ。アルゼンチンでは、1930年に軍事政権が成立し、ブラジルでも30年革命がおこって独裁権力を握った16)ヴァルガス大統領のもとで強力な統一国家の形成がすすめられた。1933年にはキューバで民族主義政権が成立し、34年にはメキシコでも 17)カルデナス大統領の民族主義的な政権が誕生し、土地改革と外国石油資本の国有化を推進した。


135-2 ドイツの景気回復とヴェルサイユ体制の崩壊


ナチスの政治と迫害


 ナチスは巧みな経済政策で国内景気を回復し、失業を減らし、国民の支持を得ようとした一方、暴力や秘密警察を使い反対派や少数民族を弾圧することをいとわなかった。

 ナチスは1)アウトバーン(自動車専用高速道路)の建設や軍需生産によって失業を克服し、36年からは「2)四か年計画」により戦争に向けた経済体制づくりにのりだした。

 国民は仕事の確保やナチスによる休暇旅行の普及などを歓迎したが、学問や思想・言論・集会などは厳しい統制下に置かれた。一家に一台の自動車を目標にしてフォルクスワーゲンが製造された!

 ナチスはアーリヤ人種(印欧語系)の優性を説き、ユダヤ人差別思想である3)反セム主義を掲げ、多くの反対派やユダヤ人、4)ロマ(ジプシー・ジタン)の人々などを迫害した。1938年11月のユダヤ人迫害事件(ポグロム)はその激しさから5)水晶の夜(クリスタル・ナハト)と呼ばれた。さらに敗戦までに約600万人にのぼるユダヤ人を虐殺した。これを6)ホロコーストという。

ヴェルサイユ体制の崩壊

 軍備平等権を主張し1933年7)国際連盟を脱退したナチス=ドイツは、公然とヴェルサイユ体制の破壊に乗り出した。

 1935年1月、住民投票により8)ザール編入を実現した。

 1935年3月、9)再軍備宣言をして10)徴兵制を復活した。フランスとソ連はこれに対抗して5月11)仏ソ相互援助条約を結んだが、ドイツを共産主義に対する防波堤とみるブリテンは35年6月、ドイツに英海軍力の35%の保有を認める12)英独海軍協定を結び、再軍備を追認した。

 1936年、仏ソ相互援助条約に抗議して13)ロカルノ条約を破棄し、非武装地帯ラインラントに軍隊を進駐させた(14)ラインラント進駐)。

 イタリアのファシスト政権も、恐慌による国民の不満を外にそらすため、1935年15)エチオピア侵略を強行した。これを機に合衆国は中立法を制定した。国際連盟はイタリアに対する経済制裁を決議したが、効果は薄く、イタリアは翌36年エチオピアを併合し、1937年16)国際連盟を脱退した。

三国枢軸の形成

 ドイツとイタリアは、ヨーロッパにおける国際秩序ヴェルサイユ体制を崩壊に追いこみ、日本による満洲国の建国と中国侵略は、東アジアにおけるワシントン体制を崩壊に向かわせた。

 国際的に孤立した独・伊と日は急速に接近し、36年から37年にかけて17)三国枢軸が形成された。

 イタリアのエチオピア侵略をきっかけに1936年18)ベルリン=ローマ枢軸が結成された。

 1936年11月19)日独防共協定が結ばれ、翌37年にイタリアもこれに参加し日独伊20)三国防共協定が成立した。「防共」とは、「共産主義から防衛する」の意。

独裁体制の拡大

 ヨーロッパでは1920年代から30年代にかけて、イタリアやドイツ以外の国でも地主や軍部による保守的な独裁体制がつくられた。左派共産主義と右派独裁の台頭で中道自由主義は危機に瀕した。

 ハンガリーでは、1919年以来21)ホルティの独裁が25年も続いた。

 ポーランドでも軍人22)ピウスツキが26年から軍事独裁を開始した。

 ポルトガルでは、1932年以降23)サラザールの独裁政治が行われた。1974年の民主化まで続いた!

 ユーゴスラビアは1929年国王独裁に移行、ブルガリアやルーマニアの国王も30年代に独裁を宣言した。


135-3 人民戦線とスペイン内戦


コミンテルン第7回大会


 ファシズムや軍国主義的な独裁体制など右派政権の広がりを阻止できなかったコミンテルンは、1935年の1)コミンテルン第7回大会で、社会民主主義政党を敵視する政策を転換し、自由主義勢力も含めファシズムに反対するすべての勢力が協力する2)人民戦線(反ファシズム統一戦線)の結成を提唱した。

 これを受け、中国共産党は長征中の1935年、国民党に対し日本に対する共闘を呼び掛ける3)八・一宣言を出し、1936年の4)西安事件を経て、1937年の5)第二次国共合作(抗日民族統一戦線)が成立した。

 フランスでは、1936年共産党が社会党・急進社会党と提携し、社会党の6)ブルムを首相とする7)フランス人民戦線内閣が成立し、大規模な公共事業を実施し、有給休暇法などを制定した。

 8)フランス共産党は、1920年社会党から分離したマルクス主義政党。

 9)フランス社会党は、1905年社会主義の諸派がパリで結成した穏健左派政党。

 10)急進社会党は、1901年結成。小農や小経営者、中間層を支持基盤とする中道左派政党。

 スペインでは、11)アサーニャを首班とする12)スペイン人民戦線内閣(任1936~39)が成立した。スペイン内戦を招き、1939年右派ファランヘ党のフランコ軍に敗北して崩壊した。

 チリでは1938年、急進党・社会党・チリ共産党が結束して13)チリ人民戦線内閣が成立した。第二次世界大戦後、冷戦がはじまると合衆国の弾圧がはじまり、1948年崩壊した。

スペイン内戦

 1936年左派人民戦線と右派の間でおこったスペイン内戦は左翼共産党・コミンテルンが主導する人民戦線と右翼ファシズムの国際的な対決の場となった。

 1931年に第二共和政が成立(15)スペイン革命)し、政教分離や土地改革がはかられたスペインでは、危機感をもった地主・資本家・教会勢力に支援されて右翼政党が台頭した。

 これに対抗し、1936年に社会党や共産党などが協力してアサーニャ人民戦線政府が生まれたると、右派のファシズム政党ファランヘ党と軍部に支持された 16)フランコ将軍がモロッコで反乱をおこし、内戦は全土に広がった。フランコはファランヘ党党首となり、ファシズム体制を確立した。

 ドイツとイタリアは軍隊を送ってフランコを支援し、1937年4月26日人民戦線派の拠点だったスペイン北部バスク地方の都市17)ゲルニカを空爆した。スペイン出身の画家18)ピカソは、ゲルニカという都市への無差別爆撃という蛮行に抗議し代表作『ゲルニカ』を描いた。

 人民戦線側にはソ連が援助をし、各国の知識人や労働者が19)国際義勇兵として参加した。

 合衆国の作家20)ヘミングウェーは、国際義勇兵に参加し代表作『誰がために鐘は鳴る』を著した。

 フランスの作家・政治家 21)マルロー は、国際義勇兵に参加し代表作『希望』を著した。

 英国の作家22)オーウェル は、国際義勇兵に参加し代表作『カタロニア賛歌』を著した。『動物農場』『1984』は全体主義を批判した作品として知られる。

 英・仏は23)不干渉政策をとり、人民戦線側はしだいに劣勢となった。

 1939年24)マドリードが陥落し内戦はフランコ側が勝利、以後フランコの独裁政治がつづいた。


練習問題135-1


問題:


次の文章を読み、空欄に適切な語句を埋めなさい。

 アメリカ合衆国では、民主党の(1)が1933年に大統領に就任し、(2)とよばれる大規模な対策を推進した。 (3)は農産物の生産調整と価格の安定をはかったが、違憲判決を受けた。 (4)は企業間の競争の制限などを認め、労働者の団結権と団体交渉権を認め、失業者救済の公共事業促進をはかったが、違憲判決を受けた。 (5)は大公共事業をおこして雇用の拡大をはかった。 1935年、NIRAが違憲判決を受けると、新たに労働者の団結権と団体交渉権を保障した(6)を制定した。 労働運動が発展し、1938年にはアメリカ労働総同盟(AFL)から分離する形で新たな労働組合(7)が誕生した。1955年に合同しAFL-CIOとなった。 1935年、連邦政府による失業保険・老齢年金などを規定した(8)を制定した。 ニューディールの様に、国家が積極的に経済に介入して景気回復をはかる動きを(9)という。自由主義経済にかわるこのような動きは、イギリスの経済学者(10)によって、理論化された。

 ローズヴェルトは対外面でも従来の合衆国の路線を転換した。 1933年、共和党政権(1921-33)が承認を拒んできた(11)を承認した。 ラテンアメリカ諸国に対し、高圧的なカリブ海政策を改め、(12)を展開し通商の拡大に努めた。1934年(13)を撤廃し、(14)の独立を承認した。 1935年イタリアのエチオピア侵略を機に(15)を定め、交戦国への武器・軍需品の売却の禁止などを取り決めた。 アルゼンチンでは、1930年に軍事政権が成立し、ブラジルでも30年革命がおこって独裁権力を握った(16)のもとで強力な統一国家の形成がすすめられた。1933年にはキューバで民族主義政権が成立し、34年にはメキシコでも(17)の民族主義的な政権が誕生し、土地改革と外国石油資本の国有化を推進した。

解答:

  1. フランクリン=ローズヴェルト

  2. ニューディール

  3. 農業調整法(AAA)

  4. 全国産業復興法(NIRA)

  5. テネシー川流域開発公社(TVA)

  6. ワグナー法

  7. 産業別組織会議(CIO)

  8. 社会保障法

  9. 修正資本主義政策

  10. ケインズ

  11. ソ連

  12. 善隣外交

  13. プラット条項

  14. キューバ

  15. 中立法

  16. ヴァルガス大統領

  17. カルデナス大統領

問題2

  1. 1933年にアメリカ合衆国の大統領に就任した民主党の人物は誰であるか?

  2. フランクリン=ローズヴェルトが大統領に就任した際に推進した大規模な対策を何というか?

  3. 農産物の生産調整と価格の安定を目的とした法律は何か?

  4. 企業間の競争の制限や労働者の団結権を認める法律は何か?

  5. 大公共事業を推進し、雇用の拡大を図った公社は何か?

  6. 1935年にNIRAの違憲判決を受けて、新たに制定された労働者の権利を保障する法律は何か?

  7. 1938年にアメリカ労働総同盟から分離して誕生した労働組合は何か?

  8. 連邦政府による失業保険や老齢年金などを規定した法律は何か?

  9. 国家が積極的に経済に介入するニューディールのような政策を何というか?

  10. 「有効需要」の理論を提唱したイギリスの経済学者は誰か?

  11. 1933年にローズヴェルトが承認した国は?

  12. ラテンアメリカ諸国に対するローズヴェルトの対外政策は何と言われるか?

  13. 1934年にローズヴェルトが撤廃したキューバに関する条項は?

  14. 1934年にローズヴェルトが承認したカリブ海の国は?

  15. 1935年にイタリアのエチオピア侵略を受けて制定された法律は?

  16. 1930年のブラジルで独裁権力を握った大統領は誰か?

  17. 1934年にメキシコで誕生した民族主義的な大統領は誰か?

解答2

  1. フランクリン=ローズヴェルト

  2. ニューディール

  3. 農業調整法(AAA)

  4. 全国産業復興法(NIRA)

  5. テネシー川流域開発公社(TVA)

  6. ワグナー法

  7. 産業別組織会議(CIO)

  8. 社会保障法

  9. 修正資本主義政策

  10. ケインズ

  11. ソ連

  12. 善隣外交

  13. プラット条項

  14. キューバ

  15. 中立法

  16. ヴァルガス大統領

  17. カルデナス大統領

練習問題135-2

問題:

  1. ナチスは、国内の経済を回復させるために何の建設を行ったか?

  2. ナチスが36年から戦争に向けた経済体制づくりにのりだした計画は何か?

  3. ナチスが掲げたユダヤ人差別思想は何か?

  4. ナチスが迫害した少数民族の1つは?

  5. 1938年11月のユダヤ人迫害事件は、その激しさから何と呼ばれたか?

  6. 約600万人にのぼるユダヤ人を虐殺した事件を何というか?

  7. 1933年にナチス=ドイツが脱退したものは?

  8. ナチス=ドイツが1935年1月に実現した事は?

  9. 1935年3月にナチス=ドイツが宣言したことは?

  10. 1935年3月にナチス=ドイツが復活させた制度は?

  11. フランスとソ連がドイツの再軍備に対抗して結んだ条約は?

  12. ドイツに英海軍力の35%の保有を認める協定は?

  13. ナチス=ドイツが1936年に破棄した条約は?

  14. ナチス=ドイツが非武装地帯に軍隊を進駐させた事件は?

  15. イタリアが1935年に強行した侵略は?

  16. イタリアが1937年に脱退した組織は?

  17. 36年から37年にかけてドイツ、イタリア、日本の間で形成されたものは?

  18. イタリアのエチオピア侵略をきっかけに結成されたものは?

  19. 1936年11月に結ばれたドイツと日本の協定は?

  20. 日独伊が結んだ協定は?

  21. ハンガリーで25年も続いた独裁者は?

  22. ポーランドで軍事独裁を開始した軍人は?

  23. 1932年以降ポルトガルでの独裁政治を行った人物は?

解答:

  1. アウトバーン

  2. 四か年計画

  3. 反セム主義

  4. ロマ(ジプシー・ジタン)

  5. 水晶の夜(クリスタル・ナハト)

  6. ホロコースト

  7. 国際連盟

  8. ザール編入

  9. 再軍備宣言

  10. 徴兵制

  11. 仏ソ相互援助条約

  12. 英独海軍協定

  13. ロカルノ条約

  14. ラインラント進駐

  15. エチオピア侵略

  16. 国際連盟

  17. 三国枢軸

  18. ベルリン=ローマ枢軸

  19. 日独防共協定

  20. 三国防共協定

  21. ホルティ

  22. ピウスツキ

  23. サラザール

問題2:

 次の文の空欄を補充しなさい。
 ナチスは巧みな経済政策で国内景気を回復し、失業を減らし、国民の支持を得ようとした一方、暴力や秘密警察を使い反対派や少数民族を弾圧することをいとわなかった。  ナチスは( 1 )の建設や軍需生産によって失業を克服し、36年からは「( 2 )」により戦争に向けた経済体制づくりにのりだした。  ナチスはアーリヤ人種(印欧語系)の優性を説き、( 3 )を掲げ、多くの反対派やユダヤ人、( 4 )の人々などを迫害した。1938年11月のユダヤ人迫害事件(ポグロム)はその激しさから( 5 )と呼ばれた。さらに敗戦までに約600万人にのぼるユダヤ人を虐殺した。これを( 6 )という。  軍備平等権を主張し1933年( 7 )を脱退したナチス=ドイツは、公然とヴェルサイユ体制の破壊に乗り出した。 1935年1月、住民投票により( 8 )を実現した。  1935年3月、( 9 )をして( 10 )を復活した。フランスとソ連はこれに対抗して5月( 11 )を結んだが、ドイツを共産主義に対する防波堤とみるブリテンは35年6月、ドイツに英海軍力の35%の保有を認める( 12 )を結び、再軍備を追認した。  1936年、仏ソ相互援助条約に抗議して( 13 )を破棄し、非武装地帯ラインラントに軍隊を進駐させた( 14 )。  イタリアのファシスト政権も、1935年( 15 )を強行した。イタリアは1937年( 16 )を脱退した。  ドイツとイタリアは、36年から37年にかけて( 17 )が形成された。1936年( 18 )が結成された。1936年11月( 19 )が結ばれ、翌37年にイタリアもこれに参加し日独伊( 20 )が成立した。「防共」とは、「共産主義から防衛する」の意。  ハンガリーでは、1919年以来( 21 )の独裁が25年も続いた。ポーランドでも軍人( 22 )が26年から軍事独裁を開始した。ポルトガルでは、1932年以降( 23 )の独裁政治が行われた。

解答2:


  1. アウトバーン

  2. 四か年計画

  3. 反セム主義

  4. ロマ(ジプシー・ジタン)

  5. 水晶の夜(クリスタル・ナハト)

  6. ホロコースト

  7. 国際連盟

  8. ザール編入

  9. 再軍備宣言

  10. 徴兵制

  11. 仏ソ相互援助条約

  12. 英独海軍協定

  13. ロカルノ条約

  14. ラインラント進駐

  15. エチオピア侵略

  16. 国際連盟

  17. 三国枢軸

  18. ベルリン=ローマ枢軸

  19. 日独防共協定

  20. 三国防共協定

  21. ホルティ

  22. ピウスツキ

  23. サラザール

練習問題135-3

問題:


以下の文章の空白部分に、適切な語句を入れなさい。

 コミンテルンは、1935年の( 1 )で、社会民主主義政党を敵視する政策を転換し、自由主義勢力も含めファシズムに反対するすべての勢力が協力する( 2 )の結成を提唱した。 中国共産党は長征中の1935年、国民党に対し日本に対する共闘を呼び掛ける( 3 )を出し、1936年の( 4 )を経て、1937年の( 5 )が成立した。 フランスでは、1936年共産党が社会党・急進社会党と提携し、社会党の( 6 )を首相とする( 7 )が成立し、大規模な公共事業を実施し、有給休暇法などを制定した。 ( 8 )は、1920年社会党から分離したマルクス主義政党。 ( 9 )は、1905年社会主義の諸派がパリで結成した穏健左派政党。 ( 10 )は、1901年結成。小農や小経営者、中間層を支持基盤とする中道左派政党。 スペインでは、( 11 )を首班とする( 12 )が成立した。スペイン内戦を招き、1939年右派ファランヘ党のフランコ軍に敗北して崩壊した。 チリでは1938年、急進党・社会党・チリ共産党が結束して( 13 )が成立した。第二次世界大戦後、冷戦がはじまると合衆国の弾圧がはじまり、1948年崩壊した。 1931年に第二共和政が成立(( 15 ))し、政教分離や土地改革がはかられたスペインでは、危機感をもった地主・資本家・教会勢力に支援されて右翼政党が台頭した。 これに対抗し、1936年に社会党や共産党などが協力してアサーニャ人民戦線政府が生まれたると、右派のファシズム政党ファランヘ党と軍部に支持された ( 16 )がモロッコで反乱をおこし、内戦は全土に広がった。フランコはファランヘ党党首となり、ファシズム体制を確立した。 ドイツとイタリアは軍隊を送ってフランコを支援し、1937年4月26日人民戦線派の拠点だったスペイン北部バスク地方の都市( 17 )を空爆した。スペイン出身の画家( 18 )は、ゲルニカという都市への無差別爆撃という蛮行に抗議し代表作『ゲルニカ』を描いた。 人民戦線側にはソ連が援助をし、各国の知識人や労働者が( 19 )として参加した。 合衆国の作家( 20 )は、国際義勇兵に参加し代表作『誰がために鐘は鳴る』を著した。 フランスの作家・政治家 ( 21 )は、国際義勇兵に参加し代表作『希望』を著した。 英国の作家( 22 )は、国際義勇兵に参加し代表作『カタロニア賛歌』を著した。『動物農場』『1984』は全体主義を批判した作品として知られる。 英・仏は( 23 )をとり、人民戦線側はしだいに劣勢となった。 1939年( 24 )が陥落し内戦はフランコ側が勝利、以後フランコの独裁政治がつづいた。

解答:

  1. コミンテルン第7回大会

  2. 人民戦線(反ファシズム統一戦線)

  3. 八・一宣言

  4. 西安事件

  5. 第二次国共合作(抗日民族統一戦線)

  6. ブルム

  7. フランス人民戦線内閣

  8. フランス共産党

  9. フランス社会党

  10. 急進社会党

  11. アサーニャ

  12. スペイン人民戦線内閣(任1936~39)

  13. チリ人民戦線内閣

  14. スペイン革命

  15. フランコ将軍

  16. ゲルニカ

  17. ピカソ

  18. 国際義勇兵

  19. ヘミングウェー

  20. マルロー

  21. オーウェル

  22. 不干渉政策

問題2:

  1. 1935年、どの大会でコミンテルンは社会民主主義政党を敵視する政策を転換したか?

  2. コミンテルンがファシズムに反対するすべての勢力が協力する統一戦線の名称は?

  3. 中国共産党が1935年に国民党に対し日本に対する共闘を呼び掛けた宣言は?

  4. 1936年、中国でどの事件が起こったか?

  5. 1937年に成立した、中国の共産党と国民党の合作は?

  6. フランス人民戦線内閣で首相になったのは誰か?

  7. 1936年、フランスで成立した人民戦線の内閣は?

  8. 1920年に社会党から分離したマルクス主義政党の名前は?

  9. 1905年、穏健左派政党としてパリで結成された政党は?

  10. 1901年に結成された、中道左派政党の名前は?

  11. スペイン人民戦線内閣の首班となったのは?

  12. 1936~39年に成立していたスペインの内閣は?

  13. 1938年に成立した、チリの人民戦線内閣は?

  14. 1931年にスペインで成立した政治制度は?

  15. 1936年のスペイン内戦で反乱を起こした将軍の名前は?

  16. 1937年に空爆されたスペイン北部の都市の名前は?

  17. その都市の無差別爆撃に抗議して「ゲルニカ」という作品を描いた画家は?

  18. スペイン内戦で各国から参加した義勇兵の名称は?

  19. アメリカの作家で、国際義勇兵に参加し『誰がために鐘は鳴る』を著したのは?

  20. フランスの作家で、国際義勇兵に参加し『希望』を著したのは?

  21. 英国の作家で、国際義勇兵に参加し『カタロニア賛歌』を著したのは?

  22. 英・仏がスペイン内戦中に採用した政策は?

  23. 1939年に陥落し、フランコ側が勝利したスペインの都市は?

解答2:

  1. コミンテルン第7回大会

  2. 人民戦線(反ファシズム統一戦線)

  3. 八・一宣言

  4. 西安事件

  5. 第二次国共合作(抗日民族統一戦線)

  6. ブルム

  7. フランス人民戦線内閣

  8. フランス共産党

  9. フランス社会党

  10. 急進社会党

  11. アサーニャ

  12. スペイン人民戦線内閣

  13. チリ人民戦線内閣

  14. スペイン革命

  15. フランコ将軍

  16. ゲルニカ

  17. ピカソ

  18. 国際義勇兵

  19. ヘミングウェー

  20. マルロー

  21. オーウェル

  22. 不干渉政策

  23. マドリード



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