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母と大福を食べる先生

 私が小学生だったとき、とても個性的な先生が担任だった。

 それは高学年の頃の話だ。新卒で赴任してきて4年目になる、比較的若い男性の担任だった。
 
 私は中学年のときに男性の担任を経験していたが、精神が甘ちゃんだったためにかなりのストレスを感じていた。女性の方が優しいし可愛い。男性は怒鳴るし怖い。
 別に両親がそうだったからではない。両親、特に父は頗る優しい。だからこそ社会に出たときのギャップに怯えていた。

 要は高学年になってもまた男性の教師だったことに絶望を感じていた……いや、実はそこまででもなかった。若いからだ、多分。
 僅かではあるが感じていた不安。しかしそれは一蹴される。彼の一言によって。

「こんにちは!皆さんの担任になる〇〇です!」

声が、高い。めちゃくちゃ、高い。

 字では伝わらないだろうが私の語彙力ではそもそも伝えられない。誰に似ているとかではなく、キンキンするとかでもない。でもとりあえず、高い。

 若さに付け加え、この声の高さなら一安心である。
 そして自己紹介タイムが始まる。普通は名前と誕生日、あるとすれば前年のクラス、あとは何か一言というのが自然の流れだ。しかしこの担任は違った。

「じゃあ、お名前と誕生日と、好きな漫画を発表しましょう!

 聞けばこの担任は大の漫画好き。部屋を埋め尽くすくらいの数で漫画が溢れているらしかった。

 私が小学生の時はまだ漫画を読む大人=オタクの風潮があったため、大人でしかも教師でありながら漫画好きというのは、まあまあ珍しかった。
 
 私は何を言おうか悩んだ。当時は少女漫画をメインに読んでいたが、年齢的なのもあり敢えて邪道を狙いたいと考えた。いわゆる中二病の初期症状である。
 私にとってその頃の邪道は、"少年漫画を読むこと" だった。そんな時代だ。
 結果的に私の自己紹介はこうなった。

「〇〇です。誕生日は9月9日です。好きな漫画は、名探偵コナンです」

 名探偵コナン。当時は小学生のうちからここに手を出す子をあまり見なかった。
 特に女子は少なかった。我々からしてみれば夏休みと冬休みになんか必ずやっている堅苦しいアニメという印象しかなかった。
 いや、意外とみんな観ていたんだろうけれど。
 
 すると担任はいきなりガシッ!と手を握ってきて目を輝かせた。 

 「いいね!僕も好き!!」

 すごっ。いや、握力。目の輝き。あと、自分のこと "僕" って言うんだ。そこは "先生" を貫かないんだ。
 
 正直に言えば少しかじって読んでいる程度だった。でも困ったことに、先生はかなりのコナンファンだった。

 休み時間には教卓にたくさんの児童が集まり、わいわい話をしていた。そりゃあ人気あるだろう。こんなにグイグイ来る先生なんだから。
 
 私は人見知りだったがその輪に混じりたく、少し後ろでみんなと先生のやり取りを聞いてたまに笑ったり、「え〜?」と盛り上げ役に徹していた。完璧なまでに当時から陰キャである。
 

 すると先生がいきなり私に話を振ってきた。

「〇〇ちゃんはコナンが好きなんだよね!?」

 いや、早い。覚えるのが早すぎる。

 あとこのあとすぐに先生がニックネーム(というよりは名前の呼び捨てに近い)を決めてそれで呼んでいいか聞いてきた。
 距離の詰め方が走る兎だ。

「〇〇(呼び捨て)は一巻から読んでいるの?」
「あ、はい」
「あ、タメでいいからね。一話目怖くなかった!?」
「えっ…あ〜まあ、首吹っ飛ぶやつですよね。グロいけれど…大丈夫でした、ね…へへっ」
「マジ!?僕、あれ見た日怖すぎて夜眠れなかったよ!?あと、タメでいいからね。」

 いや、そんな精神でよく教師やってんな。夜は寝ろ。体に悪い。
 あと私は人見知りなんだからタメ口強要しないで。
 先生のタメ口でいいよ精神は卒業まで続いた。うるさいから頑張ってタメ口にしようとぎこちなく話したら「慣れてないね〜」と言われた。
黙れ。

 そんなこんなでなんとか数週間が過ぎ、時期は家庭訪問に差し掛かる。母にはどんな先生かを話していたため、非常に楽しみにしているようだった。
 
 当日、私は気まずいと感じ、母に靴を仕舞って「娘は遊びに行ってます」と言ってもらうことにし、DSを持って寝室に閉じこもった。
 
 家庭訪問終了後、母はとても上機嫌だった。もはや話の内容などどうでもいい。先生との様子を知りたい。私は母に聞いてみた。

「どうだった?先生」
「すごく明るくて面白い方ね〜!びっくりしたわよ!簡単に大福をお出しして「よろしければ…」って言ったら「じゃあお母様も食べましょう!」って言ってくるんだもん!だから二人で「おいしいですね〜」って食べちゃったわよ、あはは!!

 いや、意味分からん!

 先生にマナーという知識はないんか?普通食べないし一緒に食べようなんて言うか?で、あんたも乗って一緒に食べるんじゃないよ。おいしいですね〜じゃない。
 
 ちなみに母はこのあと、「やっぱり声は高かったわね!」と言っていた。


 そんな奇想天外なことをしてばかりの先生だが、流石に数カ月も経てば私たちも勝手が分かってきた。
 
 まずめちゃくちゃ緩い。タメ口で良いと言うし、私たちを友達のように呼んでくるし、先生をいじっても特に叱られはしなかった。男子なんかは言いたい放題だったがそれも許容していた。
 
 しかし反対にかなり厳しくもあった。今振り返ると月に一度は必ず怒鳴り散らしていたと思う。高い声でだ。
 
 先生が怒鳴るときというのは、まず喧嘩やトラブルで友達を傷つけた子がいたとき。また、理不尽なことをしたり、嘘をついたりしたときだった。
 
 先生が怒鳴るときはどんなやんちゃな子もぐちゃぐちゃに泣いた。大体廊下で階段辺りまで詰め寄って「一年生に戻れ!」と言うのがお決まりだった。

 私は先生に怒鳴られこそしたことはないが、二回ほど長い説教を食らったことがある。私だけが怒られたわけではないが。
 
 それは学習発表会の練習が始まろうとしている時期だった。当時の親友と約束をし、私は主人公、親友は準主役として同じ場面に出ることになった。(この役決めのオーディションも担任勢はかなり本気で、何かのプロダクション並の緊張感だった。)
 
 その日は体育の授業があったが、ちょうど全員が体育帽子を持ち帰るように指示されていたときで、まんまと私は洗濯に出したきり持って来るのを忘れてしまった。他にもちらほらと同じような子がいて、親友も忘れていた。

 めちゃくちゃ怒られた。なんなら発表会の主役を降ろされそうになった。親友も、キャスト勢みんな降ろされそうになった。

 先生は責任感というものを自覚させようとしていたのだ。それは説教の内容からも分かることだったが、流石に飛躍し過ぎでわけ分からなくなった。わけ分からなさすぎて泣いた。親友も泣いていた。

 親友は「悔しい…!」と言っていた。謎すぎるがそうだよな…と私もぐしゃぐしゃになりながら頷いたら親友は「あんな奴に泣かされるのが悔しい!」と言った。
 今でもこの言葉は忘れない。
 
 ちなみに二回目の説教は忘れた。でもこのときも絶賛発表会練習の期間で、同じように役を降ろされそうになった。どこの芸能事務所だよ。

 他にも先生のエピソードは尽きない。例えば休んだ子に連絡するはずが、間違えて我が家に電話してきたときがあった。そのときは夕飯前だったのだが、

「夕飯なに?」

 と、何故か聞いてきた。そのときは私も先生との会話に慣れていたため(タメは苦手だが)もはや漫才になっていた。

「いや、それ知ってどうするんですか」
「え〜いいじゃん、教えてくれても」
「餃子ですけど…」
「お!いいね!餃子めっちゃ好き!おいしそ〜手作り?」
「いや、買ったやつですね…」
「そっかそっか!いっぱい食べなよ〜!」
あの、早く休んだ子に電話してあげてください
「そうだね〜」

 マジでこんな調子だった。母にこの内容を話すとゲラゲラ笑っていた。

 ここまで先生の不可思議なエピソードばかりを話してきたが、なんだかんだ良い先生ではあったと思っている。
 先生は説教をよくしたが、必ず最後にはクラス全体に向けて

「叱られた子がいても悪く言うな。その子は反省し、落ち込んでいるんだから、みんなは慰めてあげればそれでいい。みんなが責める必要はない。悪者は先生一人でいい」

と、こう話していた。他にも、先生は社会の担任だったが社会を選んだ理由を語ったこともあった。

「社会は理不尽なこともあるし、それにより悲しむ人もいる。悪いように扱う人もいる。そんな社会が許せないし、みんなにはそうなって欲しくない。だから僕は社会の先生になったんだ」

 この2つの言葉は今でもふと思い出す。

 SNSが普及している今、過剰に人の過ちを責め立てる者がいる。理不尽な社会に太刀打ちできず泣き寝入りする者も、社会の未熟な部分を狙って悪巧みをする者もいるのは事実である。
 
 先生は不思議な方だが、それ以上に自分の理念を貫き、熱血さを失わないように強くあり続けようとする方だった。
 
 私が一人を好んでいたときも、先生は本当に心配してくれてしきりに「悩みはない?」と聞いてきてくれた。しつこすぎたためジョークとして「先生が悩みがないしつこく聞いてくることが悩みです」と答えたら先生は声を上げて笑った。
 
 私が好きな絵を描くことも、歌を歌うことも、いつも褒めて認めてくれた。そして私を「人を思いやれる優しい子だ」と何度も母に伝えてくれた。

 他にも個性的な先生はいたし、中学や高校、そして今も教師だけではなく、たくさんの大人に出会ってきたが、こんなにも純粋で真っ直ぐで情熱的な人は先生以外に出会ったことがない。私にとって先生は大切な存在である。

 卒業式のとき、先生は私の両親に

「〇〇さんは絶対に小学校の教師に向いています。絶対です。僕、待っていますから。そう〇〇さんに伝えてください」

 と言ったらしい。私も直接言われたことがあった。
 しかし私は勉強が苦手だし、教師という仕事の激務さに怖気づいて教師になりたいとは思っていない。先生が何回も念押ししてくれたのにそれは申し訳ないと思っている。

 後日談として、私が卒業したあと、買い物帰りの母がたまたま先生に会ったらしく、先生はすぐに母に気づいて握手してきたという。相変わらず過ぎて笑ってしまった。

 母と交した握手は、私が先生と初めて会ったときに交わした握手と同じだけの強さだったのだろうか。


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