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若年性認知症は嫌だな、とおぼろげに思う。


 時間は午前十二時四十三分。机に置いた小さな電子時計には『0:43』と表示されている。古びたカーテンがかかっている窓は、外の強風に揺れてガタゴトとよく音を立てている。この音になれた自分はうるさいとも何とも思わないけど、都会から静けさを求めてやってくる人にとってはこれも騒音に入るのだろうか、と何となく思った。
 スマホにつなげたヘッドホンのコードがピンと張って、やんわりと顎に食い込んでくる。少しだけ鬱陶しい。ヘッドホンのスピーカーからは、Amazonmusicで選んだ作業用の音楽が流れてくる。いわゆるインスト曲で、ゆっくりしたリズムとギターの音が気持ちいいジャズ系の曲だ。ボサノバ風ともいうのかもしれない。ギターだけじゃなく、ほかにもポンポンと柔らかい金管楽器のような音がなるが、名前がわからないからどう書けばいいのかわからない。
 何か好きなことを語ったり、書いたりしたい場合、最低限その方面への知識がないと、その魅力が人に伝わりにくいのだろうと思う。現に私はいま、音楽のメインになってメロディを奏でるポロンポロンと軽やかな楽器の名前を知らない。
 知識がなければ好きなものを語ることもできない。好きなものというのがすべて専門的な知識を必要とするわけでもなく、何となく「こういう雰囲気の曲が好きなんだ」という漠然としたものもある。だけどいざ話したくなっても、その魅力をうまく言語化できずにやきもきする。そうして初めて学ぼうと思えても、楽器の種類なんかの具体的なものならともかく、雰囲気という漫然としたものはどうしたらいいのか検討もつかない。
 結局自分の好きなものに対する熱はその程度なのかと失望し、やがて離れていく。知識がない人間はみんなそうなんじゃないかと、私は思いたい。ほかならぬ自分がそういう人間だから。
 学がなく気力もなくやる気もない人間に好きなものを語る資格などないのだと、私は最近気が付いた。

 ここまで書いて手を止めて、時計を見ながら手探りでスマホを持つ。時間は十二時五十三分。書き始めてからきっかり十分経っていた。届いていたDMを返すついでに、タイムラインをぼんやり眺める。ポケモンのダイヤモンドパールリメイクが公式に発表されたとあって、タイムラインは盛り上がっていた。世代的にはドンピシャだと思うが、ポケモンよりもちゃおを読んで下手な絵を描いているような子供だったので、大して抱く感想はない。
 スマホを毛布の下に潜り込ませて、またキーボードに手を置く。お腹がすいた。今日はあれだけ食べたというのに、まだお腹がすくというのか。健康に気を付けた方がいいというのはわかっていても、あればあるだけ食べてしまう。
 冷凍餃子を五つほど、溶けるチーズの羽をつけて。Twitterで見かけた、食パンの真ん中をくりぬいて卵を落とし、チーズをまぶしてくりぬいた面で蓋をして焼く料理。タッパーに残った汁に冷ごはんとチーズを突っ込んでレンチンして混ぜたもの。もらってきたという明太子とマメ入り冷ごはんをあっためて混ぜ合わせたもの。そして貰い物のチーズケーキ。
 今日一日だけで見ても、なんでこんなに食欲がわいたのか甚だ疑問だ。生理は先週終わったばかりで、まだ暴食の時期には程遠い。こんなことではダイエットはおろか、五年後辺りには身体を壊して倒れていそうだ。
 家に食べられそうなものがあれば、母親の家事に影響が出ない範囲で食べてしまう。運動のほうは、家を出て走ったりするのを両親に見られ、「お前ばかりダイエットするのか」と、語尾に(笑)とついていそうな声で言われるからやりたくない。
 他人の目は気にする必要も意味もないけど、親の目は気になる。そういうこともあって、私はこの年になっても化粧をしていない。やり方もわからない。やっているのを両親、特に母親に見られて、反応されるのが嫌だ。
 いっそ一人暮らしをすれば、必要な分だけ食材を買うから無駄食いもしないし、気兼ねなく運動もできるので、ダイエットになるのではないかと考えてしまう。だけど茶化されそうだからと言って何も言わないのは、対話の拒否ではないかと何となく思う。
 歩み寄りの拒否は人間関係の崩壊だと、最近見ている動画のどれかで誰かが言っていたのを思い出す。母親にスキンケアのこととかだけでも聞いてみようかと、何となく考えた。

 ここまで割と一気に書いてきて、文字数が気になった。スマホの画面をつけてDMの返事を返し、タイムラインをまた眺める。大したツイートがないことを確認してYouTubeを開いて、「使いたかったのは電卓だ」と思い直しながらTwitterのアイコンをタップして。流れ作業で行われた行動に呆れも何も浮かばないまま、電卓で行数と文字数を計算した。
 一時六分時点で、二十文字八十八行。総文字数は千七百六十文字。ヘッドホンから流れる曲は、柔らかくて穏やかな曲調から、いつの間にかサックスの響きがシックなものへと変化していた。

 キーボードから手を離し、背もたれの枕に頭を乗せて息を吐く。天井を見上げて、電灯の白い光をぼおっと眺めた。明るさが最大の灯りは目に痛い。時刻は午前一時十五分。しばらく天井を眺めた後、またスマホを手に取った。
 pixivでフォローしている人の新作を見て、Twitterに舞い戻る。フォローしている人の困惑しているツイートが流れてきたので何事かとみてみたら、FA用タグもつけていないイラストにVtuberが反応していて驚いているようだった。私もちらっと見たが、タグはおろかツイートにはファンマークも伏字も名前もない。よく見つけたもんだなと思って、サーチ能力の高さに笑った。

 そろそろ終わらせてゲームでもして寝ようかと思いながら、スマホを毛布の下に置く。しかし置き場所が悪かったせいなのか、ヘッドホンから流れるジャズがぶつりと音を立てて止まった。ゴトンと鈍い音が鳴る。支える物がなくなったヘッドホンのコードが緩み、垂れ下がった。愉快なツイートを見た時の和んだ気持ちが、一気に冷めた。溜息を吐きながらスマホを拾い、コードをつなげて曲を再生する。
 サックスの低い音が静かだ。響いていると書いた方が正しくても、私はこの手の曲を聞いてるといつも「静かだなぁ」と思う。これはコンクールに出すような仰々しい文章じゃない。文法的に間違った表現でも何も間違いではない。

 時計を見ると時間は一時二十六分になっていた。時間を打ち込もうとして、何分だったか忘れて、もう一度時計を見る。ついさっき見たはずなのに記憶がすぽんと抜け落ちるのは、毎日が単調で変わり映えしなさすぎるせいで、記憶力が落ちているのかもしれない。

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