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写真撮影で大切な事は技術とかよりも、

先日まで開催されていた北京オリンピック。様々な出来事があった今大会だったが、その中でも特に印象に残った記事があった。

パシュート女子のこの写真は発信された時、とても話題になった。私もとても良いなあと思って見ていた。この記事は、その写真を撮影していたカメラマンの話だ。

転倒した姿を認識した瞬間、その後の写真撮影に関しての葛藤、これまでパシュートを見続けてきたからこその想い、リスペクト。全文ラインマーカーを引きたいぐらいに素晴らしい文章で、読んだだけでその光景が脳内で再生された。
プロではなくとも写真を撮っている人間として、スポーツを撮る人間として、心に刻んておきたい内容だった。


ただ、私はセレモニーの間、とても悩んでいた。終了後に各選手をその国や地域のカメラマンが呼び止め、個別に撮影させてもらえる時間があるが、今回は呼び止めるべきなのだろうか。それ以前に個別撮影するべきなのだろうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5604419bab2e950208fc0434f256885089a59e60

世界の強豪相手に死力を尽くして得た銀メダルは十分誇れる成績だが、悔しい結果でもある。そんな状況で「それでは笑顔で!」なんて、とても呼び掛ける気になれない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5604419bab2e950208fc0434f256885089a59e60


特に印象に残っているのは、カメラマンの葛藤している心情のところだった。ずっとパシュートを見続けていたからこそ、選手たちをリスペクトしているからこそ、出てきた葛藤だと思う。

でも写真撮影をする時に、機材とか、技術とか、センスとか、それらよりも、一番大切な部分だと思う。心の中ではあるけれども、被写体とのコミュニケーション。


選手たちは最高の舞台で、最高のパフォーマンスをしている。だから最高の姿を私は撮りたい。でも結果はとても悔しいものだった。そんな姿を撮って良いんだろうか、撮らない方が良いんだろうか――

そんな葛藤をしていたら、決定的瞬間を撮り逃してしまうぞ。そんなこともあるかもしれない。だけど、その葛藤をすっ飛ばしてはいけないと思う。
自分の欲に溺れてズカズカと踏み込んで撮れたものが、果たしてどうなるんだろうかと。


最後にもうひとつ、印象に残った所を。

「あの時、おまえが声を掛けて写真を撮らなかったら、このレースで残るのは転倒の瞬間や涙に暮れる菜那選手など、悲しい写真ばかりだった。ここまで努力して、最後まで懸命に闘った選手たちもそれはつらいはず。ほんの少しだったけれど、彼女たちが心から笑顔になれる瞬間を残せた」

https://news.yahoo.co.jp/articles/5604419bab2e950208fc0434f256885089a59e60


ハイキュー!で、烏野vs白鳥沢の戦いが決着を迎える回、週刊少年ジャンプに『準優勝は、負けだ。』というキャッチコピーの広告があったことを思い出した。銀メダル、2位というのはあと一歩届かなかったということで、ある意味では銅メダル、3位よりも悔しい想いが強くなることもある。


今回のパシュートも、あのカメラマンがいなければ、先輩が言ったように、悔しい、悲しい写真で溢れていたのかもしれない。

素晴らしい笑顔の瞬間を残してくれて、素敵なエピソードを教えてくれて、本当に嬉しい気持ちでいっぱいだ。


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