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One day in La Habana 1


その日はどこか遠くへ行くつもりで、朝7時にデイジーおばあちゃんのカーサを出て、駅を目指しハバナの旧市街を歩いていた。「ここに初めて来る旅行者は皆期待しすぎるのさ。正直ハバナは2日で十分だよ。」なんて冗談をデイジー家に泊まっていたもう一人の旅行者、ツェンさんとは昨日話したくらいで、ところどころが朽ちたヨーロッパ風の旧市街はさほど大きいわけでもなく、いわゆる首都のカオスは想像よりも小さいように感じられたのだ。

ハバナは首都だが、いわゆるクラシック・カーが走る歴史的な古い街並みや葉巻やラム酒の売店、ヘミングウェイが通ったバーなんかの観光客向けの施設は、ほとんどが旧市街に集中している。決して退屈ではないけれど、広すぎるロサンゼルスから来た私には、この直径3km、1日もあれば一周できてしまうまちは、あまりに観光地化が露骨に思えるのだ。いや実際のところ、地元民も多く住むまちなのだが、この国では観光客相手の商売が最も稼げることもあって、とりわけこの旧市街は観光客を満足させようとする空気が満ちている。雰囲気がいい店は当然ながら、地元民が通うような店にも観光客価格の表示があるし、まちを歩けばもうなんど言われたかわからないくらいに「チーノ」「チーノ」の声である。ヨーロッパ系と現地人の混血が進み、黒人も多く住むキューバにおいてアジア人は目立つ。その上、同じ社会主義国家にしてGDP第2位という大国のイメージから羽振りがいいと思われているのか、とにかく声をかけられる。そんなわけでいささか疲れてしまったのだ。

マタンサスに行こうと思ったのは単純で、ハバナからほど近いバラデロという観光地に行く途中にあるため、電車とバスの本数が多いだろうと思ったこと。そこそこの大きなまちでハバナとは違い観光地化していない姿を見られると思ったこと。それからロサンゼルスで出会ったチリの友人にタバコの大規模な農園があるから見たほうがいいとオススメされたからである。

とはいえ朝早くから歩いているのには訳がある。キューバでは観光客用のバスは分けられており予約は1週間前まで、鉄道に毎日決まったダイヤはなくその日の朝に運行するかどうかと出発時間が駅に張り出されるシステムなのだ。実は前日にバスの当日券チャレンジをダメ元で決行したものの見事敗北、鉄道を利用するにも1日何本出るかも出発時間もわからないため、とりあえず駅を目指しているのだ。

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オフラインマップがハバナ中央駅を示す場所はバリケードで封鎖され、誰もが駅なんてないように振る舞い歩いていた。これまで見た駅というものはどんなに寂れていても人の流れだったり、駅前のロータリーだったりがあって、それなりに雰囲気があるものだ。ましてや首都の中央駅である。まちのシンボルになってもおかしくない古い大きな駅舎は、道ゆく人々をただ見下ろし、いくつも交差する錆びた線路ともう何年も人を乗せていないように思えた。

日本にいると気づかないが、我々にとっての駅は当然のように都市計画の一部になっていることに気づかされる。明治・大正・昭和と時代が進み経済の発展とともに人口が増加するにつれ、狭い国土にこれでもかと線路が敷かれ、田園都市構想のもとに、ターミナル駅には大型百貨店、沿線には駅を中心として放射状に広がるニュータウンができた。新幹線や高速道路が開通し、移動が容易になった現代においても同様に駅の価値は変わらず(少子化が進む中ではむしろ重要に)、路線価が不動産の価値として重要な指標になっている。

キューバという国は古くより、サトウキビやタバコの運搬用に全国に鉄道網が敷かれているのだが、旅客用の鉄道は少ないようだ。革命後、社会主義になり国が新車の輸入を制限していることや、中古にも関わらず年収と釣り合わない価格もあり、個人の移動に鉄道が最適であるはずなのに、ハバナのバスはラッシュ時の総武線並みに混んでいる。

そんなわけで駅の分かりにくさから、結局、別の場所に駅舎(というよりも貨物古屋に近い)があるのに気付くまでにもう2時間も無駄にしていた。

駅舎に着く頃にはとっくに陽は昇り10時近くになっていた。外国人と思われる人は一人もおらず、現地人でごった返す中、ようやく時刻表なる張り紙に12:00の文字を見つけ安堵する。つかの間、買ったマタンサス行きは実際は15:30発で、それまで待てと言われ待つことになった。今10時、にも関わらずこれだけの人が集まっているのも不思議なもので、思えばキューバの人はなぜこんな1日1本の電車のために朝10:00から5時間も駅で待てるのだろうか。国がインターネットの接続を規制しているため、指定のwifiスポット以外でスマホは使えないので、ただひたすら待つしかないのは、私にはかなりの苦行であるのだが。

いてもたってもいられず、ふらふらと外に出て、駅の前の売店で売っていたウエハースのお菓子を買おうと思い1ペソを出す、と売店のおばさんはウエハースをすぐには渡してくれない。どうやら7ペソをくれというのだ。キューバという国には2種類の通過がある。現地人用の人民ペソ(CUP)と観光客用のペソ(CUC)。どちらも1ペソなのだが、価値は実に4倍の差、25CUPで1CUCなのだ。物価も賃金も国が統制し、人民が平等にサービスを受けられるようにしているため、キューバ国内と海外の物価や賃金の釣り合いが取れないのである。そんなわけでこの通貨価値の差を利用した観光客相手の商売は、社会主義の中で生きるキューバ人がへそくりを貯めるのに最適なのだ。売店のおばさんが7ペソをくれと言ったのは、CUPの値段であるようだった。アジア人観光客が1CUCを出すと思っていたのだろう。本来ならCUPは人民のためサービスと対価であり、観光客はCUCを使うべきなのだが、100円と28円でさえ惜しいと思ってしまうくらいには貧乏旅だったので、このお得感が格別に気持ちよかった。(ちなみにCUPは観光客でも案外簡単に手に入る。私は宿でデイジーおばあちゃんに変えてもらったし、銀行に行けばすんなりともらえる)。


CUPのお得感に駆られた私は、さっそくCUP払いのできるお店を探すことにした。ハバナには現地人用にCUPしか取り扱いのないお店もある。駅舎からそう遠くない場所にあったレストラン「El Parisien」は人気らしく、わずか3つのテーブルはいっぱいだった。閉店間際で青い目の青年は断ったが、オーナーの一言で食べさせてもらえることになった。 

白身魚のカレー風味とお汁粉のようなスープ、バターライス、お酢のドレッシングのかかったアボカドサラダ。タマリンドというリンゴ酢の飲み物。クラッカー。キューバ庶民が食べるものにしては少し高く700円だが、かなりのボリュームで、東京で食べればランチでも1800円はするだろう。特にタマリンドジュースが本当に美味しかった。オーナーは英語が話せた。おそらく観光客に人気なのだろう。それでも特段高値をふっかけることもせず、また、胡散臭そうな勧誘もせず、ただ旨いか?と聞いたのだった。

まもなく15:30になり列車に乗ることになった。意外にも海外の列車移動は初である。(ドーバー海峡の海底トンネルはたしか貨物列車にバスごと乗っけてた!のでそれを除けば)

ディーゼル機関車に引かれて10両ほどがハバナから約700kmも離れたサンティアゴ・デ・クーバに向かう。この距離の移動が一等客車で95ペソ(410円)なので、改めて資本主義の人間から見た社会主義の安さに驚く。
15:30発だったが、電車の車窓からの景色を見たくて乗った。

妙な緊張感から指定の号車に乗り込む。しばらくすると食べ物と飲み物を持った車掌が回ってきて切符をチェックし、キューバサンドとスプライト(のコピー品)を渡す。



私の番になりそれを受け取ったあと、車掌が私に何かを言う。当然スペイン語なので2〜3回聞き返してニュアンスを掴もうとするも分からない。車掌は次第に苛立ち呆れているようである。周りの視線が集まり何やら悪いことをしているような気分になりながら、席が間違っているのか、飲食代は別だったのか、など考えながら結局わからないまま別の車両に案内された。(キューバサンドとスプライトもどきは貰えた)
"言葉が分からなくても結局は人と人とのやりとりであり、相手へのリスペクトと想像力さえ失わなければ大体のことは解決する"というのが旅の学びの一つだと思っているが、そうはいかない場合もたまにあります。

もう何年選手かわからないオンボロの電車は時速50kmくらいでノロノロと走る。車窓からは時代に都市や生活の面影が消え荒野が広がる。旅で出会う大自然は、全く見ず知らずばかりの人の世界から私を消し去り私だけを肯定してくれる。
一人旅は孤独かというと、全くそんなことはなくむしろ積極的にコミュニケーションせざるを得ないし情報のインプットがややもすれば生死に関わるかもしれない環境ゆえに、唐突に現れる大自然と向き合うこの瞬間の開放感がとても好きだ、と思った。


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