読書日記
読書日記なるものをつけてみた。
最近小説にはまっているのだが、その小説の中に読書日記という言葉が目に止まったのである。
学生の頃の私は夏休みによく出される宿題の読書感想文が大キライだった。
というか、読書が嫌いだったから、読書感想文を書くまでが難儀であった。
しかし、読書日記はとても簡単。
読み始めた日、読み終えた日、目に飛び込んできた文や心に刺さる一行を書き留める。このシーンが好きだ。と思えるものを簡単に書き出すだけでよい。
これは誰にも見られるものではないし自分が見返した時にその時に感じたことが思い出せて便利な気がする。
長い人生の中では様々な挫折を味わうこともあるし、無性に泣きたくなるような場面だってある。
そんな落ち込んだ自分に、「もう一度あの本をよんでみないかい?」とそっと寄り添うようなそんな内容になればいいなぁとふと思ったのだった。
本を読んでいると、この言葉や言い回し方初めてだ。と思う瞬間がある。
その度に携帯などで調べてなるほど。と納得するのだが、それがその後自分が使うかと言えばほぼ使わないしすぐに忘れている。
そんな言葉も書き留めておくことも良いかもしれない。
また、何度も読みたくなる本ってあるじゃない。そんな本が、20代の頃に読んだ時と、50代で読んだ時とでは全く別の共感が生まれたり、以前はこのシーンが好きだったけど、今はこちらの文に惹かれるわぁ。なんて発見も面白いと思う。
少し私の読書日記の内容を紹介しよう。
読み始めた日 2024/02/10 読み終えた日 2024/02/18
『心をととのえるスヌーピー』チャールズ・М・シュルツ作
ぐっときた禅語「和敬清寂」(わけいせいじゃく)
意味:敬う心で生まれる温かい人間関係
いくら会話がうまくても、相手を喜ばせるテクニックがあっても、そこにお互いを敬う気持ちがなければ温かい関係は生まれない。
※感想
どんなに親しい関係であろうと、初対面であろうと相手に敬意をもって話をする気持ちがなければどんだけ綺麗ごとを言おうが相手に伝わる熱量は少なく薄っぺらいうわべだけの言葉となってしまう。相手に響くことはなく、関係を深めることはできないのだ。
敬意を持つことから心の絆は生まれるのだろう。
読み始めた日 2024/01/14 読み終えた日 2024/01/14
『すーちゃん』 益田ミリ作
心に刺さったシーン
親友という言葉で友達をしばってはいけないんだ
ただ流れのままにつきあってゆくのがいい
それでいいと思う
ずっと変わりたいと思って生きてきたけれど
いろんなあたしを増やせばいいのかな~って思うようになって
なんていうか少し楽だ
※感想
自分が密にかかわってきた人に裏切られ関係がぎくしゃくし、連絡もとらなくなってしまったことがあった。その人も含めた飲み仲間がいたのだが、その飲み仲間もしばらく彼女と距離を置いていたが、私の知らないところで仲間の一人と彼女がまた会っていることを知った。(数か月たって)
最初は本当に傷がついたしもうある程度の距離を置いて付き合おうと思ったのだが、よくよく考えてみれば、私と彼女の問題であって、その周りの仲間たちは関係のないこと。彼女と連絡を取ろうが交流があろうが勝手なのだ。
だれも、私の味方だからね。とか、あの子とは連絡とらないから。などと私に言っていないではないか。そうだ。それとこれは一緒じゃないんだ。
学生の頃は仲の良いグループの中で一人孤立してしまえばみんなでその子を無視しないと自分が仲間外れにされてしまうかもしれないとかいう恐怖心があった。
でも、人が誰と付き合おうとそれは自由である。
自分だけに向いてほしいなどと束縛する意味はない。
軽い関係で付き合うのがベストである。
個人的な問題を仲間の問題ととらえるのは間違いだ。と思えば心が楽になった。
※感想については、日記には書いておらず今の感想です。
禅語なんて今まで興味もなかったし難しいと思っていたけど本当に日常にあふれている出来事の中に色んな感情が生まれていてその意味の深さや当たり前に感じて発するようなちいさなことにも目を向けていく大切さを教えてもらえる気がする。
小説のシーンでも、話の展開が面白くてついついこの言葉好きっと思ってもこれを書き留めるよりもまず次の展開がきになって読み進めてしまううちにあれ、さっきの好きなシーンどこやっけ?と思うこともしばしば。。。
でも、これからはよいなと思ったシーンは写メで残しておくなりして後でじっくりと読書日記に書き綴るのもいいなぁと感じた。
その時に感じた自分の思いがまたある時の自分へ背中を押すきっかけにもなりかねないのだから。