おじ友
私にはおじ友がいる。末期のガンを患っている。おじ友と出会ったのはかれこれ4年ほど前になるか。
前職で訪問先と紹介してもらってから毎週のように顔をだすようになったのだ。
おじ友は75歳になった。出会った頃は71歳か。父より少しお兄さん。旦那の親世代。おじ友には私と同い年の子供がいたようだから、私のことを娘のようにかわいがってくれた。
末期のガン患者と紹介を受け、余命は半年と聞いていたのだが、今も尚生きている。本人は早くあっちへ逝きたいという。私は過度にとめることもない。でも、生かされているのだからまだあちらは渋滞してるんじゃない?もう少し待ったら。という。
何年も通っていると少しずつではあるができていたことができなくなって、困っている様子ではあった。
毎週のようにゴミ出し支援をしたり、買い物を頼まれていくこともあった。それが私の仕事だったから。
暑い日に草刈りをした日もあった。そんな日には内緒で私にビールをくれるのだ。しかも、高いやつ。おじ友なりの心遣いがうれしかった。私も遠慮なくいただく。
おじ友の好みは知っていた。女性であれば背が低めのぽっちゃりが好き。巨乳好きでむっつりスケベである。お前はもうちょっと太ったほうがかわいい。といつも言われていた。
どうも、すいません。まな板貧乳ですよ。というと大笑い。
食の好みも知っていた。いつも買い物に行く際には刺身や里芋の煮物があれば。と言っていた。ない日も私はおじ友ならこれかな。と思って買って帰ると、「お前の選んだものは食べれる。」と喜んでくれていた。
おじ友はなかなかの頑固じじぃであり、好き嫌いがはっきりしていていつも毒舌である。
新しいメンツ(役所の人間など)には、はなから嫌われるようなことを言っては煙たがられ隣人との付き合いもないのだ。
私はおじ友の話をとにかく聞いた。昔若かったころの話などをたくさん聞いた。今はもう自宅で最期を待っているので新しい情報や話題がなくひたすら昔の話を聞いているのだ。
同じ話を何度も何度も聞いて、少し飽きてはいたのだがおじ友には私しかいないのだからと思い聞いていた。私もまた、時折おじ友には誰にも言えないような毒を話して聞かせた。そうするとおじ友は喜んだ。
私が仕事を辞める時、最後におじ友は私に「今までありがとう。元気でな」といった。私は「また会いにくるよ。それまで生きててや」といった。
しかし、電話もせず会いに行くことすらしていない。
私は仕事でこのような活動をしていたのだから、それ以上の関係にはなってはいけない。仕事を辞めたのだから会いに行くのもおかしいと思っていた。しかし、ただの利用者と職員という関係はとうに過ぎているのではないか?
おじ友という名前がぴったりくる。友達になったのだ。
純粋に会いたいと思う。
また聞き飽きた話を聞かせてほしい。
明日はごみの日だ。おじ友は一人でごみをだせるのか。
日が経つにつれて、心配は大きくなる。
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