花は咲いているか

『花の子ルンルン』というアニメがあって、小さい頃に見ていた。とびきり好きだったという記憶はないのだけれど、いまでもオープニングの主題歌をほぼ歌えるほどに覚えている。「しあわせをもたらすといわれてる どこかでひっそりさいている はなをさがして はなをさがしています」ルンルンという女の子が、七色の花を探して旅する物語。

ルンルンを魔法少女だと思ったことはなかった。見ていた当時も、大人になってからも、不思議な花を探す普通の少女だとばかり思っていた。魔法のステッキも使わないし。わたしは子どもの頃から、魔法と杖とは切っても切り離せないものと考えていて、だからコンパクトを使う、有名な彼女のことは好きじゃなかった。杖を振らないと、本当の魔法は使えないと思っていた。鏡で変身するのなんか邪道だ、とさえ思っていたかもしれない。ともあれ、ルンルンはステッキを持たない。別の誰かに変身もしない。だから魔法少女だとは、思いもしなかったのだ。

ルンルンについて書こうと思ってから、少し調べてみた。ルンルンは魔法を使っていた。花の形のブローチを使って、自分の着る服を変えていた。たとえば第一話では、火事になった家から人を助けるために、耐火性のある宇宙服みたいなコスチュームになっていた。ルンルンはルンルンのままだけれど、その時必要な服を身に着けて、必要な技術や力も手にしているようだった(煙に強くなるとか、子どもを運べるくらいの力を持つとか)。自分という人間のままで、コスチュームによって使える能力を付与するという魔法。

花の子、というのも実は花の精と人間との間に生まれた子と、その子孫のことを言うらしい。わたしは、ずっと花が好きな子、花を探す子、という意味なのだと思っていた。花の子ルンルンとは、花の精につらなる少女ルンルンということになる。この花の精というのは、ずっとずっと昔、地球で人間と暮らしていたのだという。人が自然に対して傲慢になったために、自分の星に帰ってしまったのだとか。少数ながら地球に残った精たちもいて、花の子が生まれ花の精のいのちは地球にも続くことになった。こんな設定を、小学校入学前の幼児が理解していたわけもなく、今回初めて知ったことだった。

配信されていた第一話を見て、幼いわたしがこのアニメを好きだったのもさもありなんと思った。小さな花の妖精や、綿毛がきらきら光りながら飛ぶシーン、ブローチの中の鏡を花にかざすときの背景の光、鮮やかに変化する服装、そして咲き乱れる花たち。いま見ても好きなものばかりだった。こういうものが好きだと自覚している現在からみると、幼いわたしがそれを好きだったのも当然のように思ってしまうけれど、そのときすでに好きだったのかどうかまでは、もうわからない。もしかしたら、ルンルンを見てはじめて好きになったのかもしれないし、ルンルンを知ることでそれが好きだと自覚したのかもしれない。もとからあった性質が、ルンルンに触発されて大きくなったのかもしれない。もしルンルンを見なかったら、という仮定は意味をなさない。わたしはすでに見てしまったのだから。『花の子ルンルン』に描かれたような世界があることを、それを自分が好きなことを、見て、知ってしまったのだから。

ルンルンの訪れた地には、花の種が蒔かれて咲き誇り、その花言葉が示される、それが各話ごとのラストシーンだ。探している花は見つからないけれど、かわりに他の花々があちこちに根づき、咲いていく。別の誰かに変身しないし、ステッキも持たないルンルンは、コスチュームを変えるだけじゃなく、その土地の風景を変える人だった。これ以上の魔法があるだろうか。花の種は人が蒔くものだ。人がこの花を咲かせたいと願うから、蒔かれる。咲かせたいと思わせる何かを、ルンルンは残していくのだ。魔法少女と題されなくても、ルンルンはただしく魔法使いだった。

物語の詳しい内容を覚えていないのに、主題歌だけ覚えていたのは、いつか大人になってルンルンのことを調べるためだったのだろうという気がした。アニメを見ていたその時に芽生えたものであれ、もともとの質の拡大であれ、過去のわたしはルンルンから種を受けとっていたのだ、自分でもそれと知らぬ間に。その花はいま咲いているのか?わからない。花は自身の咲いている様子を見られない。わたしもまた自分の様子はわからない。咲いているのかも、それがどんな花なのかも。咲いていなくても構わない。すでに種は蒔かれていて、いつかは咲くのだろうから。


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