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空気も降る雨も冷たい。ある方とのやりとりで、冬に逆戻り、と言われたけれど、わたしは、この寒さがぶり返すことも含めて、春なのだと思っている、と気づいた。

千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』。ここで言われている「物語」とは、いわゆるお話、フィクション、小説のことではなくて、知らず知らずのうちに持ってしまっている、人生を捉える枠組みのこと。思い込み、固定観念、信念(ビリーフ)、世界観、あるいは設定などと言い換えてもいいかと思います。人が「世界を時間と個別性のなかで理解する枠組み」を「ストーリー」と定義して進められるこの話は、物語論(ナラトロジー)をもとにしながらも、小説論でも本についての話でもなく、自分が心地よく生きていくためにはどうしたらいいのかを探求していくものでした。

ビリーフリセットカウンセリングというものがあるのですが、カウンセリングで初めてわかるくらいに、自分で気づきにくいのがビリーフ、この本で言うところの「ストーリー」なのです。自分がそれを持っていることにさえ、気づかない。そこに気づいてその「ストーリー」を変えれば、楽になるんじゃないかということを千野氏は言うのです。

「自分の過去のストーリーメイキングを捨てないと、つぎが開けないんだよなあ」

終わり近くに書かれたこの一言に、すべてが集約されていると思いました。わたしのオーラソーマの先生の言葉で言うと、このようなことになります。「傷から世界を見るのではなく、ただよろこびの世界を生きる」。

オーラソーマのコースでそのお話を聞いたときに、言われていることはわかるけれども、自分の内側の感覚としてそれがどういうものなのかが、はっきりしなかったのでした。それがこの『人はなぜ物語を求めるのか』で、「ストーリー」という概念を使って説明されることで、ようやく自分のものとして、わかる、がやってきました。傷を持ったことで固定化された、世界を捉えるその枠組みごと、取り替えちゃってもいいのだ、という風に。

たとえば、小さなことで言えば、〈オーラソーマで言われていることは、オーラソーマの文脈のなかで理解しなければならない〉というのも、わたしの持っていた「ストーリー」です。それを拡大して言うと、〈誰かほかの人が言っていることは、その人の文脈のなかで理解しなければならない〉、つまり〈自分の文脈、自分なりの解釈で理解してはいけない〉ということになります。さらに、これがわたし自身の性質と絡み合うと、〈相手を文脈ごと理解するために、必要以上に思いやらなければならない〉となる。これは、今たどり着いたまったく新しい「ストーリー」で、自分でも驚いているのですが、この「ストーリー」を生きるのはとても大変で窮屈です。「ストーリー」は取り替え可能。なのでこれ、捨てちゃいますよ。

というように、気づいて手放す、というオーラソーマの実践につながっていきます。「ストーリー」は、何に気づくのか、自分が気づいていないおおもとのところに気づく手助けをしてくれる。わたしにとっては実用書的な一冊でした。


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