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【怒涛の中編①:ADHD診断。人生を変えた2015年中盤まで】我が人生の”北極星”は未来の自分~”2022年・36歳の私”を、10年以上闇夜の道標にし続けたお話~

表題の件、前編を書いたのが昨年末。特に前編と掲題してなかったけど、前半の4年分書いて満足して深夜3時頃に寝たのは覚えている。今、前編とタイトル修正した。

で、なんで今さら10ヶ月ぶりにnoteに戻ってきたかというと、本日現在3連休の初日である2022/10/8に、自身の次の中間マイルストーン(2026/8/31。40歳)のTo-Be像を、多角的に構想したりしていた。
ほらほら、こんな感じで。(まだ途中)

で、上記マインドマップ最下部”直近のマイルストーン”を記載しており、その振り返りとして、
「あれ?理性面と感性面、具体的な戦略、アプローチとして、中間マイルストーンとして掲げた2014年からこれまでの8年間、どうやって・どう考え・どう感じて進めていたっけ?」

と思ったので、「じゃあ、エモーショナルな部分を解像度高く振り返りたいので、マインドマップでなくnoteでも書きながら振り返るか」と思って戻ってきたら・・・

偶然にも、ちょうど2014年分まで、タイムリーに36歳をマイルストーンとした話を、10ヶ月前に書いていたというwwwwwwwwwww

確か、前編を書いたときの目的としては、仕事納めの前夜、年末を迎えるにあたり、翌年ついに8年間見据え続けた36歳になるのか・・・と思い、来年に向けて波乱万丈期を振り返りたく、書いた・・・気がする。


じゃ、ちょうどいいので、8年間の残りを書こう。
前編では、深夜のテンションでイキってイタくこう書いていたけど、今回も同じく見出しなし平文で、ひたすら書き殴ろうと思うwww

“私にしては非常に珍しく、セルフボースティング(HIPHOP用語で言う、己の誇示、自慢)を厭うことなく、ひたすら己の情動のまま、ひたすら己の紡ぐ言葉を、他者や己自身に忖度して塗り替えないまま、書き出す。 いや、”書き出す”などという甘い言葉ではなく、noteというデジタルスペースに刻み込むがの如く、キーボードを介して筆圧強く書き込む。”

以下リンク再掲の前編より引用


まずは、前回のラスト部分再掲から。
2014年。28歳。

結果、最大手通信キャリアの、私が支援して伸ばしたくなるような、理想的なクラウド事業企画・運営リーダー候補(非正規ながら月収はいい)に、なんとか滑り込む。
東大京大の修士クラスが部門にぞろぞろいる同社でも、優秀な人が多く集まった(と、元人事の元上司は言ってた)最先端の事業だ。入社した結果、トリプル→まずはダブルワークに抑えることができた。

そして、何とか食らいついて、2014年内に新規クラウドサービス企画プロジェクトリーダーに抜擢いただく。

さて。今回は、時期的には前編の上記部分からの続きね。

少し時系列は遡るけど、前編では以下のように記載した「しっかり描きなおした36歳のキャリアモデル」を、思い出しながら言及するところから始める。

更に、”弱々しい36歳の自分という北極星”ではなく、残り8年で、本当になりたい自分のキャリアモデルを、半月ほど本業辞めて(負債数百万なのに)平日日中以外でのダブルワークに押さえてでも、しっかり描き直した。

以下、2014年7月、27歳時点での36歳の中間マイルストーン設定(当時の記憶ベース)と、そのための逆算マイルストーンである。意外と、しっかりキャリアモデルを描いたので、8年経っても覚えているものである・・・・

  • 2022年(36歳): ”社会的インパクトのある事業活動を行う企業または事業のCIO(補佐)相当”、もしくは、”大企業(中心)の事業体・組織体・所属個々人が、いずれも満足した活動を行うためのサービスにおける”事業開発or推進全般(企画・推進)”のポジションで活躍していること

  • 2019年前後: 上記役割・ポジションに就くための転職orポジションチェンジが行えていること

  • 2015-17年前後: 2019年(前後)までに、以下の1-3の要件をすべて満たすべく、残りの経験を積むためのポジションチェンジが行えていること。 1. 課題解決または価値創造型のサービスにおいて、顧客提案経験がある程度積めていること。2. 企業または事業の営業プロセスを、何かしらの立場で関与・経験できていること。 3. 事業運営は経験したので、事業またはサービスの企画・アライアンス系の経験が積めていること。

  • 2014年(7-9月): まずは、月収がトリプルワークをダブルワークにできるレベルで得られること(そのためには正規/非正規問わない)。また、2019年前後までに上記経験が得られるために、いずれか1つ以上の経験ができるポジションに転職できること


で、今回は特にエモーショナルな部分の8年間の遷移を振り返りたいので、上記を描いた時の自分自身の率直な気持ちを。

いや、計画性高そうに書いているけど、正直なところね、当時の私は

負債返済月15万でトリプルワークの状況なのに、
トリプルワークすべて仕事内容や評価もボロボロ(要は仕事できてない)なのに、
「来月生きているかわからない(栄養面、金銭面、肉体面、精神面すべての観点)」のに、

「こんなの、ホントに僕にできんのか?」と。

でも、何とかもう少し生きたい、8年後に描いた指針通りの望む自身像を手に入れる自信はないけど、まずは目の前の転職先の仕事に真摯に向かいたい、と、借金と過剰労働でしんどい中、歩みを進めていった私だった。


閑話休題だが、ここまで2022年10月に記載していたが、実は下書きに残したまま、半年近くたった2023年の4月1日にタイムリープしているww
では、再開。


2015年。29歳。
ちょっとここで、私の人生歌である般若さんの「あの頃じゃねえ」の2nd Verceをサンプリングさせてほしい。

オジロ モサド ニトロ 雷
当時周りは 俺よりも成功をしてる奴らばかりだ
焦んなって言いきかすが これ以上時間無い ステージ上ブレーキ無え いつでもスタンバイ

大手通信キャリアで最先端の事業で、社内、いやグループ内からもエース級ばかりが集まった事業。前述の通り、周りは見たこともないほど優秀な方ばかり。一方、私はプロジェクトリーダーの役をようやくいただいたものの、当時非正規雇用で現場に入っており、プライベートでも300万円以上の借金(肩代わり)しかない。
かつ、当時、既に、未診断だったものの、自身のADHDをほぼ確信していた。どうせ一生治るわけじゃないなら、通院なしで頑張ろうと思っていた。そういうわけで、負債・キャリアとしての出遅れだけでなく、ADHDという大きなハンディキャップも抱えている。

まさに、般若さんが歌うような周りが成功者だらけの状況だったが、30歳を目前にして、借金もADHDも頑張って今日明日で解消するものではない。焦んなって言い聞かせるが、般若さんも言う通り、これ以上時間無い。

当時、借金やシェアハウスの共同生活、トリプルワークこそ解消したものの、まだダブルワークだったので、本業以外でもかなり色んなことがあり大変だった。
一方の本業も、複数のサービス企画のプロジェクトリーダー/サブリーダーを回しながら、既存サービス複数や既存事業全体も伸ばすという、人一倍本当に忙しい日々。だけど、以前と違うのは、徐々に私の動きも芽は出てきている。

そんなこんなで、上半期である6月まではまだ順調だった。一般的な感覚だと、おそらく気が狂う人が多そうなハードシングスの塊だったとは思うが、前が前だけに、相当私の足元も将来も、光が指したほうだから。

それは、7月のある日のことだった。
実態はダブルワークでヘロヘロになってるんだけど、ある意味慢性的でなれすぎていた日々。ただでさえ、後に診断されるADHD傾向から、遅刻が多い傾向にある中、疲れもあり、”数分~1時間前後の遅刻”の常習犯になってしまっていた。

当時も今でも、とてもリスペクトする担当課長に、1on1に呼ばれる。
そこで言われたのが、

上司「コロさんは凄く頑張っているが、遅刻だけはなんとかならないかな。頑張って結果も出ている分、人事から(注:少しぼかしている)そろそろ庇えなくなってくるから・・・」

ということば。
過去の1on1でも遅刻の指摘はあったが、このときの上司のこの言葉を受けて、「ああ、この人にこれ以上迷惑はかけられない」と、心から思った。

でも、自身に疑いがあるADHD傾向だと、かなりコントロールが難しい。一方で、まだ診断も降りてないのに、ADHD疑惑なんて下手に言ってしまおうものなら、有期雇用のためクビになるかもしれない。

・・・などと、本当に、思考も、珍しく感情もとんでもなくグルグル回り波打ったが、最終的には、上司への信頼が決め手となって、私はこう告げた。

コロ「"上司"さん。私、正直、発達障害の一つである「ADHD」であることを凄く疑っているんです。(中略:ここでADHDの説明)診断がおりているわけではないですし、自身の診断有無がどうあれ、決してそれを言い訳にはしたくないです。なので、すぐに治すことは難しいかもしれませんが、本当にここで頑張りたいので、遅刻をなんとか改善してみせます。」と。

そのことばを、上司は真摯に受け取ってくださった。そして、しばらく待って口を開いて頂いた次の言葉を、私は今でも忘れない。

上司「正直に言ってくれてありがとう。ADHDは多少は知識があったし、コロさんがADHDだとすると、私もある程度納得もできる。
でも、ADHDって、創造性が高い人が一定数いるとか、好奇心、探究心が強い人がいるとも言うよね。コロさんは、そんなADHDのいい面も持っているように見える。それだけでなく、他にもコロさんには良い点がいっぱいあるし、徐々に結果も出てきている。」

続けて、

上司「一度、精神科に言ってADHD診断を受けてみない?はっきりさせて、特徴がわかれば、より傾向と対策も明確になるし。実際の診断がどうあれ、特性上難しい部分は、チームや私でフォローするから。コロさんの強みをより活かせるように、我々も頑張るから。」

衝撃だった。勇気を出して自身のADHD疑惑を告げた反動もあり、感謝の思いが止まらなかった。
何より、当時の私は、自身を「大した長所や強みなんて無い。借金やニガテなこと、その要因となっていそうなADHDのハンディだらけ」だと思っていた。

そして、強く思ったのは、「この人を結果を出して押し上げたい。他のことは優先順位を落としていいから、勇気を出してADHDの診断を受け、ADHD特性と向き合うことに集中したい」と、決意した。

2015年7月末。今でも忘れない。池袋のメンタルクリニックで、ADHDの正式な診断がおりた。
しかも、ADHD特性が、診断しきい値レベルを超えてかなり強いと告げられた。

正直、想像はしていたけど、当日および翌朝くらいまではショックだった。

ただでさえ重い借金とキャリアのビハインドがあるのに、一生かかるハンディキャップを背負うのか、と。

また、2015年夏当時、上司は評価していただけるものの、前職までで、バイト含めた仕事で人並み以上のトータル業績評価をされたことがない自分だったので、ここから「人並みにできる」自信もほぼなかった。


だけど、やる。将来はわからないけど、以下前述の通り、上司や事業のために、まずは自身と向き合うことをやる。

そして、強く思ったのは、「この人を結果を出して押し上げたい。他のことは優先順位を落としていいから、勇気を出してADHDの診断を受け、ADHD特性と向き合うことに集中したい」と、決意した。

そしてそして、描いた7年後のビジョン(以下再掲)には程遠いけど、反面、今のかなりハイレベルな仕事で結果と経験を積めば、大きなショートカットになることも想定できていた。

2022年(36歳): ”社会的インパクトのある事業活動を行う企業または事業のCIO(補佐)相当”、もしくは、”大企業(中心)の事業体・組織体・所属個々人が、いずれも満足した活動を行うためのサービスにおける”事業開発or推進全般(企画・推進)”のポジションで活躍していること

まずは、目の前の自身のADHD特性と、与えられた役割と向き合うことだ。



・・・と、もう5000字を超えそうなところで、もう一旦これで公開しようと思ってきた。2015年だけでも、ここからとんでもない話がまた多くあるから。本当は前編後編で2022年まで書こうと思ってたけど、私の人生マジで人一倍波乱万丈だから終わらないwwww

と、現在、2023年4月2日のAM4時。書いているうちに、最近では珍しく過集中タイムリープして、とんでもない時間になってきた。

最後に、先程同様、もう一回「あの頃じゃねえ」から、今度はHOOK(サビ)を。

十ゼロくらい不利だぜ
皆も言うよ 無理だね
日本人な、まじだせえ
「ありがとう」飽きたぜ この想像の上 現実と夢 狭間埋める自分にベット 必ず出来るあの頃じゃねぇ 一番強いのは今だぜ

最後に書いた、2015年7月末時点では、本当に「十ゼロくらい不利」だと思っていた。2022年に掲げた36歳のビジョンは当然のことながら、目の前のハイレベルな仕事すらも。

もう一度、多少言い直して言うと、私自身を「多少の"いいところ"はあっても、私には"強み"や"武器"が一切ない。ADHDは強みを活かして・・・というけど、活かすものがない」と思っていたから。

でも、その1年前であり、36歳までの計画を掲げた2014年夏は、十ゼロを言い換えると「99.9%対0.1%くらい不利」だと思っていたのが、まる1年で「99%対1%くらい不利」くらいには変わっていた。

それは、この1年で、社会的に見ても相当ハイレベルな仕事を、なんとかやり遂げてきた経験があるから。
そしてそして、上司だけは可能性を見てくれていることを、はっきりと言ってくれたから。

上司がベットしてくれた私に、自分がベットしなくてどうする?

現実と夢、具体的に狭間埋めていくだけ。向こう7年間のロードマップはある。そのために、何度も言うけど、自身のADHD特性及び役割と向き合うだけ。

般若さんのHookの歌詞でいうと、ここまでは言えるようになった、2015年夏。

「必ず出来る」とまでは言えないけど、2014年まで(前編参照)を振返り、「あの頃じゃねぇ」とは、自身を持って言える。

トリプルワーク、月400時間以上労働でもなくなった。
借金も、月17万から月10万返済くらいにはなった。

なにより、理解と可能性を見てくれる、上司そしてチームメンバーが一緒にいる。
無事転職でき、本当にハイレベルな仕事を、本当にハイレベルな方々と一緒にやれる機会に恵まれている。

そして、良くも悪くも、ADHDであることが判明した。向き合う覚悟もできた。


次回。2015年8月以降、わずか4ヶ月で私自身と私の人生が大きく変わります。
というわけで!!!AM4時51分!!!寝ます!!!!!!!!!!!

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