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組み写真だと、物語が飛び出す。(#022)

私は絵を描く・絵を教える。だが、絵の学校は出てない。独学だ。それについては別の機会に話そう。私が出たのは写真学校だ。フイルム写真と暗室作業がメインで、世の中ではデジタルカメラが出るか出ないかという頃だった。

文章を書き出すと、時として「組み写真」が頭に浮かぶ。3枚組だ。

3つイメージがあれば、たて・よこ・奥ゆきで立体になる。一枚の写真では成せないことが組み写真ではできる。物語が立体感を持って飛び出してくる。

組写真みたいな文章になりますように。

***

私はシドニーに移ってわりとすぐに、長期入院・リハビリをした。
入院中、ベッドの上で半身起こすのもやっとという頃だ。看護婦さんが言った。「知ってる?日本で大きな地震があったらしいわよ。あなたの家族は大丈夫?」1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災だ。私はふうん・そうなんだ、と思った。

入院中は規則正しい生活をする。今日が何日だか何曜日だか関係のない生活だ。1日1日を闘い・生き延びる。看護婦さんが言う。「知ってる?東京でテロがあったらしいわよ」。大震災から約2ヶ月後に起きた地下鉄サリン事件だ。ふうん・そんなことも東京では起こるんだ、と思った。

なんとか車椅子にも座れるようになったので、リハビリ専門の病院へ移ることになった。

リハビリ病院では、食事の時はみんなで食堂に集まり、いくつか並んだ4人がけのテーブルにつく。20代半ばの私が一番若かった。

ちょっと小太りの40歳前後の男性が向かいに座っている。彼は軽い半身不随だった。財布から、写真を取り出して私に見せてくれた。満面の笑顔で言う「これは僕の娘たちなんだ」。会う人あうひとに財布から取り出して見せているせいで角が小さく折れたその写真に・まだ幼い女の子が笑っていた。ほとんどの人にとっては他人の子供の写真なんか大して興味ない。私は写真に興味があるので、少しだけ関心を持って眺める。スクールフォトだ。作られた笑顔。「キュートな娘さんね」「ありがとう。でも今は会えないんだ。私が倒れた後、妻が娘たちを連れて出て行った」。彼は、この「財布・写真・出て行った」を何度も繰り返したに違いない。そして、私からも同じように「それは辛いね。大変ね」と言う同情・慰めの反応を得る。何度繰り返しても・収まらない感情があるのだ。

私の右側には、白髪まじりの髪が肩まである・長身の男性が座る。50歳くらいだ。彼も半身不随。車椅子ではなくて三本足の杖を使って歩けている。「僕はアーキテクトだったんだ、こうなる前まではね」彼は利き手の右側が麻痺していた。「僕はね、フリーハンドで完璧な丸を描くのが得意だったんだよ。それは本当に、ビューーーーティフルな円の形だった」。この長く伸びる「ビューーーーティフル」をその後いろんな場面で何度も聞くことになる。彼の内なるリズムだ。パーフェクトな円が描かれる時のリズム。

私の左側にはブロンウィンが座る。私は彼女のことが大好きだった。リハビリ病院で名前をはっきり覚えているのは彼女だけだ。彼女は生まれた時から障害を持っていた。そこが私たちとは違う。30歳前後の彼女の体は、3歳の子供の大きさだ。特注で作られた電動の車椅子をイビツに曲がった短い腕と手を使って上手に操作し移動した。

長い金髪・色白の肌にそばかす・光を受けた金色のまつ毛・まぶたを閉じてゆっくりと丁寧に言葉を選んで話す。目を開けて私を見るとにっこりと微笑んで言葉を結ぶ。彼女は決して可愛いとか美人のタイプではなかったが、圧倒的に内から滲み出る人がらで・その笑顔で・人の心をつかんだ。

少し会話をすると彼女が本をたくさん読んでるクレバーな女性だとすぐわかった。不思議なことに、彼女と話しているときは、その小さな身体や肉体的障害が見えなくなる。話終わって、じゃあと別れる時に、あ・そうか、と彼女の不自由さを思い出す。彼女は喘息を持っていた。特別な個室を与えられて、1日に何度か、吸入器を使って喘息の症状を和らげているようだった。

ある日、「Ako、紹介したい人がいるの」とブロンウィンがいつもの電動車椅子で廊下の向こう側から声をかけてきた。彼女の後ろには長身の優しそうな男性が立っている。彼の整った顔立ちを何かが覆っていてイケメンなのに「いわゆる」イケメンに見えない。温かさと寂しげな優しさが霧のように包んでいるからだ、きっと。頭に軽く白髪が混じり、ブロンウィンよりいくらか年上と思われた。

「Ako、紹介するわ・私のフィアンセの○○よ」え?フィアンセがいるの?私の視線は二人の顔を行ったり来たり。ふたりは信仰で結ばれていた。熱心なクリスチャンだった。恋に落ちてるわけでない私が、ブロンウィンを前にするとその不自由な身体が見えなくなるくらいだから、きっとフィアンセの彼にとっては薔薇に囲まれた美しいお姫様に見えるのも納得だ。こいつらは別の次元で繋がっている。素敵だ。

あれから30年近く過ぎた。

時折り、あの頃の光景を思い出す。4人がけのテーブルで毎日一緒に食事をした仲間の光景。当時は永遠に思えた・でも今となってはほんのひとときだった光景。

そのご彼らと連絡取ることもなく会うこともなかった。だからこそ彼らは私の記憶の中で生きている。歳をとることもなく、規則正しく同じ時間に一日3回テーブルに集まって一緒に食事をしている。この記憶が薄れる前に・なくなる前に・文字で写真を現像し、組み写真にして壁に掛けておく。

あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

追記:
私が実際に写真学校時代に使っていたカメラNIKON FM2を描いた。何十年ぶりかにケースから出した。落としてつけた凹みがあちこちにある。もう使わないし・売るには形がボコボコだし… 時々出して描こうかな。こういう人工線の集まりはめっちゃ難しい。それよりも描いていると、思い出の波が打ちせ胸がキュンとなる。それが受け入れられる時とダメな時があるから、時期を選ぶな。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

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