見出し画像

乗り物の一枚 1

あれから10年・・・。

当時も今も、私は九州にいる。日本中の、いや世界中の人の心に突き刺さった東日本大震災は、テレビやネットでしか見ていなかった。それ以前に起こった阪神淡路大震災もそうだった。新潟県中越地震や北海道胆振東部地震も・・・。地震だけではない。豪雨も。台風も。大雪も。

さまざまな情報媒体から流れてくる情報は、どれも、心をきゅっと締め付けるものばかり。締め付けられてばかりで、募金ぐらいしか行動を起こすことができなかった。

でも、自分は福岡西方沖地震を経験している。なのに、あの大震災の時、東の方を、そっと見守り、祈ることしかできなかった。その後に、熊本地震も経験した。その時も実家がある熊本の方を、そっと見守り、祈ることしかできなかった。

撮った。

写真は、2011年から2年後の、福岡の築城基地での航空祭で展示飛行するブルーインパルスである。
この展示飛行を見る数ヶ月前、私は、福岡の芦屋基地から、ブルーインパルスがホームベースとしている宮城の松島基地へ帰る時に行われたセレモニーの展示飛行も見ていた。

そもそもなぜ東北の基地に所属しているブルーインパルスがなぜ九州にいたのか?ご存知の方も多いと思うが、2011年3月の九州新幹線全線開業のお祝いで駆けつけて来ていたのだ。しかし、東日本大震災でセレモニーは中止。ホームの松島基地も甚大な被害を受けて、芦屋基地での避難を余儀なくされたのだ。

大震災から10年経った今でも、大変な方々がいらっしゃると思う。そんな中、震災から2年後に見るブルーインパルスは感慨深いものがあった。
「大変」とかいう月並みな言葉で語れるようなことではないと思う。しかし、大震災後も各地で地震や豪雨災害などの自然災害が絶えない。

これからも起こるであろう自然災害、いったい私に何ができるのだろう?今度は以前より、何か行動を起こすことができるだろうか?でもたぶん、また祈ることしかできないかもしれない。自分が悔しい。でも、ずっと想って考えていきたい。

・・・。

私は、乗り物好きである。なので、いつもブルーインパルスを元にあの日の事を思い出している。

そして、もう一つ思い出すことがある。こちら。

私は鉄道も大好きだ。このCM撮影の時は、旦那と二人で、新幹線に手を振りに行った。そのCMは震災からしばらく経って、ネットでそっと公開された。

そして、10年後。

新幹線は走り続けている。

人によって違う10年。場所によって違う10年。それぞれで違う10年。どんな言葉を使っても表現しがたい10年だったように思う。
うまく言い表せないでいるが、あの日の事はずっと心の中。

忘れない。忘れられない。

記事を書くための栄養源にします(^^;)