誰も信用できない
私は誰も信用できない。生きている間にきっと心を許すタイミングはたくさんあったのだ。
しかし私は信頼関係の結び方を知らない。
これは私のトラウマに関係することで、一番身近で信頼を得る家族から得ることができなかったことが原因だ。
母の顔色をいつも伺っていた。私が大きな問題を抱えていたときに助けを求めたのに助けてもらえず育った。
だから誰にも相談しなくなった。誰とも心を通わせることはなかった。
同じような境遇の人は沢山いて、中にはパートナーがうまく解消してくれ救われた人もいる。
多くは救われていないと思うが…。
相手の気持ちを考える事。
想像はできる。その想像が正しいかは分からない。
最近わかったのは、正しいのはあまり関係なく、思いを馳せ大変だと感じれば労い、嬉しければありがとうと言う。
しかしずっと信頼できなかった私にはそれが難しいときがある。
相手に近づいても、少しのことで「あ、だめだ」と思って心を閉ざす。
だからますます内に入るし孤独になる。そして心で思っていることもうまく伝えられなくなる。
子供の頃や思春期の頃に小さな失敗を繰り返しながら育てるべき感情を育てることができなかった。
大人になってからでは難しい。
空っぽの私は褒められることや役に立つ事で自分を埋めようとした。
ワーカホリックなのもそのせいだ。
自分が空っぽなのに埋めるものは不確かなもばかりで埋まるはずはない。何も知らない私はそれで埋まるのだと信じていた。
それでは埋まらないのだと今はなんとなくわかる。
閉じてしまった心や、傷ついて一人を選んだ心はきっと簡単に回復しない。よくわからず折れてしまった心も。
ただ、ほんの少し違う何かが見えてきたかもしれない。
ゆっくりでいい。
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