見出し画像

PART.4--50代の私。もう絶対痩せることはないな、と思ってた・・。

コロナウィルス感染が拡大したことで、
大切な人を失ったり、苦しい闘病生活を強いられる人が
世界中に生まれ、明日は我が身 そんな不安な日々が
いまなお続いている。
こんな地球規模のパンデミックが起きるなんて、
本当に誰も想像なんてしてなかった。

人間は生き延びていくために、目に見えない脅威と闘うことを、
今なお、強いられていて、この絞めつけられたような感情を抱いたまま
生きていくことは、今のところ終わりの予定はない。

そして、コロナウィルスの出現によって、
様々な生活の様式が変わった。
そして、人々の常識も変わった。

様々な変化が起きた。でも、その変化の中には
悪いことだけではなく、こんな事態になったからこそ起きた、思いも
しなかった出来事もあったりする。

今、思う。。。
このパンデミックがなかったら、
私は、ランニングなんて、してただろうか。

コロナ禍以前の私といえば、
毎日、毎日、仕事に追われ、
残業して夜遅くに帰宅するのは当たり前。
独りで大量の仕事を抱えて、毎日頭痛に悩まされていた。
営業の数字に追われて。。。
人と人の軋轢に揉まれて。。。

正直に吐き出すと、
心が傷つかない日は、ほとんどなかった。
とっくに精神を病んでてもおかしくない状態が、10年以上は続いていた。
でも、身体に何か症状が出てこようと、
翌朝には、平気な顔を作って出社しないとならない日々だったから
何を持って心を病んでいると証明するのかさえも、わからなくなっていた。
いや、すでに私は精神を病んでいるのに
それが自分のデフォルトになってしまっているから
気が付かずに時を過ごしていたのかもしれない。

そんな中で、年齢的にも50代になり、自分でどうしても抗えない
身体の変化に直面した。
勝手に太っていくような感覚の自分の身体に苛立ち、
どんどん自分自身がキライになっていくようで、
本当に毎日憂鬱だった。

そんな最中に、コロナパンデミックは勃発した。

自宅待機していく中で生まれた、自分の身体との向き合う視点。
自分の心が、実はストレスや圧迫でかなり蝕まれていたことに気づく
のに、そんなに時間はかからなかった。

最初は自粛生活の息抜きという軽い感じで、川沿いの土手をウォーキングするつもりだった。
でも、自分の中の「毒素」を抜く作業を、いまここでコツコツでもやらないと、私は、ダメになる・・・
なんだか、そんな危機感が私の中に強く芽生えたのは事実だ。

そしてその危機感から始めたランニングは、
今まで気が付かなかった様々な美しさを発見することに、繋がっていった。

風の温度や風向き
陽のキラキラとした光線
空の抜けるような青
桜の可憐なペールピンク

・・・私が長年仕事に追われて、心を蝕んで俯いていたがために
ちゃんと見てこなかった美しいものが、すごく身近にあった。

ランニングをするようになって、
路傍に咲く花、近くの公園を彩る花
季節を知って、毎年花を付ける花々に感動を覚えるようになった。

これは何ていう花なんだろう?
と、植物図鑑のアプリなんか入れてみたりしてね・・・。

風の匂いで、「明日雨かな?」と知ったり、
朝の陽ざしと夕刻の西日、どちらも美しくて、胸が熱くなったり。

いままで、私は何見て生きてきたんだろうなぁ・・・
そんなことを思う。。

ランニングはを始めて、1年8カ月ほどで、
私は目標体重のその先、10kg減量に成功した!

体重と体脂肪率が減って、身体も軽くなり、
自分の体型にイライラすることも少なくなったけれど、
それだけでなく、いつも何かに追われているような強迫感や
心の疲労が泥のように溜まった閉塞感からは
抜け出せた気がしている。

人間は変われるもの・・・
他人にはそんな言葉を語りかけた記憶はある。
でも自分自身はなかなか、変われなかった。
とりまく環境も、自分の身体や心も。

でもランニングという、実は一番苦手だったことを始めてみて
継続していくしんどさも体験しながら
まだその正体はわからないけれど、
私の心の中に自分を俯瞰から見るような視点が生まれた気がする。

・・・Part.5につづく。。。のか?wwww




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?