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「覚えれられないんじゃない、覚えるつもりがないだけ」

人生で初めてのバイトは旅館の女中さんだった。
志望動機は家から一番近い立地だったからというのが最大の理由である。
観光業にはひとつも興味がなかった。
マナーを身につけてお嫁修行!という気分でもなかった。

コンビニとかで知り合いに会うのが何となく嫌。
飲食業は大抵時給が安い。
観光が盛んな地元で求人広告を見ていると、お土産や旅館業の時給はすこぶる良かった。
消去法で行った先に徒歩でもいける旅館街で求人募集を見つける。
この手の求人は未経験可といいつつ、ある程度経験あるいは主婦層・社会経験のある人を求めて募集している。

当時19歳の私は世間知らずでもあった。
いい子だという自負はあった(烏滸がましい)私は、
きっと可愛がってもらえるだろう(烏滸がましい)と自信を持って応募した。
オーナーは、親の顔も知っている19歳の近所の学生が応募してきて戸惑っていた。
それでも人手は不足している状況に世間知らずの女中が誕生してしまった。

バイト当初は配膳や客室の案内だけで大丈夫だろうと高を括っていた。

赤ちゃんのいる家族を担当したとき、食事の準備の際に呑気に子供用の椅子を出していたら「お客様の赤ちゃんちゃんと見た?」と怒られた。首が座っていないことに対して何一つ私は理解していなかった。
ただただ小さい子がいるという認識をして、マニュアル通りのものを用意していただけだった。
客室のチェックの際、トイレに汚れはないかの確認で、私は便座を上げてまで確認しなかった。
再チェックで指摘されて裏側の汚れの存在をその時初めて知った。
忘れないようにメモにしているのに、いつまでたっても料理の説明はできなかった。

ミスして怒られた時、ポロッと「覚えられなくて、、えへへ」なんて言ったら、
「覚えれないじゃない、覚えたくないだけ」とピシャリと言われてしまった。
ぐうの音もでない、という瞬間が本当にあることを知ったのもこの時だった。

どこか突き放されるような説教ではあったが、思わず「確かに」と口にしてしまいそうなセリフに、バイトから帰ったその日の日記帳に書き記した記憶がある。

覚えれないんじゃない、覚えるつもりがないだけ
理解しようとしているんじゃない、理解したくないだけ

もてなすという配慮はどれだけの気遣いと知識と経験で構成されているのか。その根源すらわかっていなかったと、同年代よりも気遣いできるほうだとこっそり思い上がっていた私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

メニューも礼儀もひとつも覚えられなかった、いや覚えるつもりがなかった。たかだかバイト。学生のできる範囲なんてしれている。若いからを盾に覚えらないことを言い訳にしていた。

もちろんこの日記でのオチはお客さまは神様という考え方ではないし、そうやってできない自分を責め立てることが全てでもない。

ただこれから先と仕事や人間関係でミスするであろう自分に、よく聞かせておきたいのだ。そのミスの根源を辿ろうとした時、そういった言い訳から始めてはいないかと。
自分が理解しようとしている姿勢そのものは、そう見せかけているだけということが多々あることを、自戒のように憶えていたい。

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