狡い男 山田涼介演(仮) / 「最後の息子」吉田修一著 を読んで

「閻魔ちゃん」という渾名がすごくいい。ぼくの恋人、閻魔ちゃん。

「ぼく」は閻魔ちゃんに、ようは飼われている。ぼくは閻魔ちゃんの愛人でいるべく、努力をしている。ウェットに飛んだ知識の収集、それをひけらかさない忍耐、そしてダメンズウォーカーの欲を満たすためのあえての暴力。

愛されている関係というのはらくだ。
求められている事に、上手に応えていればよいのだから。

相手が求めている自分を演じる。
それだけだと言い訳ができる。

そうしないと、本当は嫌われるのが怖いのは自分の方だと、気づいているから。


ぼくは日記の中の、死んだ友人の名前を修正液で消して「大統領」という渾名に換えていく。

ぼくは大統領のことも好きだったのだと思う。きっと関係も持っていたのだろう。転がり込んだ閻魔ちゃんの部屋で。
「愛人としてのお勤め」、怠惰なジゴロを演じているという名目で。

そしてぼくは、閻魔ちゃんの名前も修正液で消していく。今度は「本名」に書き換えるために。


主人公ぼくは、山田涼介くんにお願いしたい。
というか、なにか勘違いしていて、もう山田くんで映画化していると思っていた。
大統領は向井理。憧れだった幼馴染の右京は菅田将暉。
閻魔ちゃんは、、だれかなあ。

しかし背表紙の「爽快感200%、とってもキュートな青春小説!」というのはいただけない。
同時収録の他二篇はたしかにそんな風だけれど、表題作のこの作品は、狡くて汚くて愛おしい、吉田修一の真骨頂なのだから。

#コラム #エッセイ #小説 #吉田修一

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