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10年ぶりのFF9で「わたし、大人になったんだな」と実感

この前NHKで放送していた「全ファイナルファンタジー大投票」を観て、FFプレイしたい欲がうずうず湧いてきたため、翌日に唯一クリアしたことのある「ファイナルファンタジーⅨ」のSWITCH版を購入しました。

約2,600円(税込)でそこそこ安価なのですが、解像度が上がっており綺麗になってました!
しかも、SWITCHだからテレビなくてもできるし都度ディスクを替えなくてもいいし、どのメモリーカードが使えるんだ?とごそごそ探す手間がなくなったのもいいですよね。
最初はPS版でやろうかなと思っていたのですが、SWITCH版にして正解でした。

今、なかなか外出できない状況だから新たな楽しみができてとっても嬉しいです。

FF9はファイナルファンタジーシリーズの本編9作目として2000年7月に発売。
プレイステーション用のゲームソフトですが、ハードウェアの限界まで出し切っているため、後続のプレイステーション2と引けを取らない映像美が実現されています。
20年前の作品だなんて考えられないくらい、今でも綺麗なグラフィックだなと惚れ惚れします。

6~8作目が近未来的ファンタジーな世界観だったのに対し、9は”原点回帰”というコンセプトが置かれているため、児童文学のようなハイ・ファンタジーな世界観となっています。
また、色鮮やかで綺麗なデザイン、個性豊かで可愛らしいキャラクター達…そんな心躍る王道ファンタジーである一方、「自分の存在意義」や「生と死」について問いかける哲学的な物語が9の特徴です。

実際、物語の序盤から各キャラクターは「自分とは何なんだろう」ということに葛藤します。

黒魔道士のビビは、自分と似た黒魔道士達が兵器として利用されあっけなく殺されていくところを見て、自身の出生や生きる意味について考え向き合うようになります。

アレクサンドリア城の女王付きの近衛騎士であり隊長のスタイナーは、女王の不穏な動きに何も疑問を感じることなく「騎士として女王と姫様を守ること」を任務として全うしていたが、一連のアクシデントに巻き込まれた際に「自分自分と言う割には、自分がないやつ」と指摘されます。
その後、スタイナー自身はどうしたいのかということに葛藤しながらも自らの考えで判断し、行動するようになります。

キャラクター達が悩みながら大切な存在を守ったり、自身と向き合いながら冒険を続ける姿は、プレイヤーの心を打つのではないかなと思います。

現在の進捗がDISC2のところのため、今後の展開が楽しみです!(なんせ10年ぶりのため、ストーリーを忘れている)

かなり久しぶりにFF9をプレイして実感したのは、わたし自身が大人に成長したんだなということ。

当時、中学生だったわたしはストーリーをなぞっているだけでキャラクター達がなぜこんなに苦しんでいるのか理解できてなかったように思います。

戦争の理不尽さ、上の言う通りにただ仕事をこなすことへの疑問、自分の存在意義…
まだまだ分からないことだらけだけど、一緒に考えることはできるようになりました。

また、ジタンのさりげない優しさにも気付けるようになりました。
例えば、ビビとの接し方。
ビビがうーんうーんと悩んでいるとき、ジタンは子供のビビと同じ高さの目線となるよう、都度中腰になって優しく語りかけます。
大人でもできない人がいるなかで、16歳の少年が自然とできるこの振る舞いはとても素敵だなと思いました。
これも大人になったわたしだからこそ気付けたことです。

FF9に限らず、子どものときに観ていたアニメや漫画も改めて観たり読んだりすると、大人になって気付くところがあるのかもしれないですね。
感慨深いです。

それでは、時間を見つけて少しずつ物語を進めていこうと思います!
ハイ・ファンタジーの世界観にももっと浸りたいので、そのうち児童文学も読んでみたいです。



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