見出し画像

子育て終わったら、スキンケアの時間が、仕事終わりのチルタイムになった話

先日、”時短美容”なんて記事を投稿しておきながら、実は今のわたしのスキンケア時間は、全く時短じゃない。

みずのけいすけさんの「疲れを薄めに、夜の川へ行く」を読んで、私も夜のチルタイムについて書きたくなったので書いてみる。

コロナ禍を経てほぼ外出がなくなり、この3年ですっかり子ども手が離れた今(浪人生・中3)、私にとってスキンケア時間は、仕事終わりのチルタイムとなっている。

朝から始動して、だいたい17時に一旦仕事の手を止める。
下の子が塾に行く前に夕飯を準備して送り出すためだ。やりかけの仕事に後ろ髪引かれまくりながら、無理矢理、二階の寝室兼書斎から一階のキッチンにバタバタと駆け下りる。

毎日毎日の手抜き料理を30分ぐらいで作り、一緒に食べ、学校のプリントなどを受け取る。だいたいは、要らない情報なので、ぱっと見て捨てる。
娘が塾に出発したあと、ひとりになったリビングで、少し横になるのがお決まりで、20時頃、また書斎に戻る。

そうして23時ごろまで仕事をして、そろそろお風呂~と思っていると、だいたい塾帰りの娘が入っていて、順番を待つ間に浪人生の息子も帰宅する。私はとにかくリビングでひとり時間を過ごしたいので、風呂の順番は息子に譲る。先に入ってもらって、さっさと自室に行ってもらうのだ。

そういうわけで、結局私の順番がくるのは深夜12時半時頃。
心ゆくまで長風呂をして、しーーーんと静まりかえったリビングに戻ってくる。

ここからスキンケアタイム。
ソファーの横に毎日使うスキンケアグッズを置いてある。

ソファーに沈むように座って、まず最初にMEGLYを10秒吹きかける。
顔を引き上げて押さえる。「ここで止まって・・・!」と念じながら深呼吸。そっと手を離すと、ちょっと顔が上がった気がする。

シートパックをする。
5分ぐらい。余った液を首に塗りたくりながら、ぼーっとする。はがしたら、パックでひんやりした頬を触って「ひんやりしてる」と感じる。

ドライヤーで髪を乾かす。
色んな方向から乾かすので忙しい。仕事の雑念なんか吹っ飛ぶ。何も考えずに色んな方向からぶぉーーーーーっと。

復元ドライヤーを使っているので、美顔器がわりにフェイスラインを下から上になぞったり、目のあたりにあてたりもする。肌につやがでる。

復元ドライヤーは不思議なドライヤーで、風の温度の感じ方が部位やその日のコンディション?で変わる。かなり地肌に近づけても、温度を感じられないことがある。

そういうときは、感じられるまでじーっと当ててみたりする。だんだんと温度が感じられるようになる。そんな、身体の感覚に意識を持っていくと、気分が落ち着いてくる。

鏡で顔や首の様子を見る。
あー、ここにシミがあるなぁ、とか、頬が垂れてきてるなぁ、なんていう発見が、朝は苦々しく感じるけど、この時間だとなぜか歳を重ねた自分をいたわるような気持ちになる。「よしよし、がんばってきたよね」みたいな。

化粧水を重ねる。
手で顔を包み込んで押さえる。自分の頬肉を感じる。首も押さえる。皮膚がもう、おばあちゃんのように、肉体からちょっと離れてる。

美白美容液を塗る。
ここらへんはもう無心。マインドフルネス。

まつげ美容液をまつげに塗りながら、目をこすって抜けてしまう下まつげを観察。伸びない、生えない・・・けどそれもよし。

最後はアイクリーム。目元にゆっくり押さえ込むように塗り込む。
目尻のシミ、皺、目頭の皺、まぶたのたるみもよーく見る。見るだけ。落ち込みも喜びもない。穏やかな気持ち。

瞑想のようなスキンケアタイムをひとり静かに過ごせたら、「よし、明日に向かって寝よう-」と前向きなエネルギーが静かに湧いてくる。

これが私の終業後のチルタイムだ。
15年前の私にとっては、信じられない時間。3歳と0歳を抱え、お風呂で自分の身体を洗うことさえできない日もあったぐらいのギリギリな生活。ひとり時間なんて、通勤の満員電車の中だけ。そんな日が永遠に続くものだと思ってた。あたまでは「いつかは終わる」って知ってるけど、そんな「いつか」なんて、おとぎ話みたいなハナシに感じてた当時。

育児していた月日は、その間がハードすぎて記憶が曖昧で、だからこそ、タイムスリップでもしたみたいに「ハッ」と気づいたらここにいた、というかんじ。当時の「いつか」はそれほど遠くないということと、若いときには見いだせなかった楽しみ、時間の使い方を発見できてるよ、ということを15年前の自分に教えてあげたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?