見出し画像

無題

「…ずいぶんあっけないもんだ」
 長いこといたその場所は、明日からはもう自分の居場所じゃなくなる。勤続四十余年、新卒で入社した会社に定年まで勤めることになるとは。
 決して器用な人間ではない。困っている部下に上手く声をかけてやることができずに悩んだこともある。
 だけど、なんとかここまでやってきた。いろんなことがあったけど、乗り越えてきた。こんなに長い期間なにかをやり続けたことはない。例え生きるためだったとしても、それは誇れることだと思う。
 だからこそ。だからこそ、明日からの自分には全く自信が持てない。趣味と言えるようなものもない。
 唯一、定年後の楽しみだったのは妻と一緒にいろんなところへ出かけること。だけど、肝心の妻は数年前、先に逝ってしまった。家族に見守られながら、眠るようにそっと。
 もらった花束を抱えて、いつもより時間をかけて帰路を歩く。これで最後なのか、駆け足で過ぎていった時間は戻しようもない。戻りたいとは思わないが、今になってもう少しゆっくり味わうように生きていれば趣味も持てたのではないかと思う。
「おかえり、お父さん」
「なんだ、来てたのか」
「もーまたそんな言い方して」
「…すまん」
 妻がいなくなってからは、子どもたちがが入れ替わり来てくれるようになった。心配してくれているのは分かるが、子どもに世話を焼かれるのはなんだか気が休まらない。
「それじゃ、近いうちにまた来るからね」
「あぁ、ありがとう」
 しっかり者の妻に似た次女は、いつもばたばたと去って行く。思えば、じっとしていることが苦手な家族だった。一度だけ、家族で映画を観に行ったことがあるが、帰り道は神妙な空気になったものだ。
 映画はいいものだが、自分たちの性分には合わないと笑った。きっと、映画館というあの動きのない空間がだめなんだろう。それからは、好きに動ける家で観るようになったんだ。
「そうか、久しぶりに映画でも観るか」
 適当に選んだ映画は、とてもきれいだった。景色も、時間も、しっかり目に焼き付いて離れない。そんな、きれいな映画だった。


“父さん、元気なの?”
「元気だよ」
 遠方に住む長男は、こうやってたまに電話をくれる。毎日やることがあった日々が変わってしまうこと、自分は受け入れているが子どもはやはり心配なのだろう。
 それだけ、自分の背中を見ていてくれたということかと、なんだか感慨深い。
 他愛ない会話を二三交わして、通話を終える。
「大きくなったもんだ」
 戸惑い、四苦八苦した子育ては、どうやら成功したようだ。
「ありがとな、三代」
 仏壇に向かう時間が日に日に長くなる。仕事をしていたときは同じ毎日だったのが、今は一日一日が違う。報告することが多すぎて、天国の三代が苦笑いをしてるのが見えるようだ。
 今日は、電車に乗ってみよう。なにかを探すように、歩いてみよう。結婚前、二人でそうしたように。


 電車の中吊り広告が、ふと目に入る。不思議なものだ、通勤時はそんなもの見向きもしなかったのに。
 きれいな絵だ。まるで、この間観た映画のような。芸術なんて、まるで分からない。でも、この絵は見たい。
 そう思った途端、今日の行き先が決まった。

 初めての美術館は、とても静かだった。

 初めての場所への緊張感、久しぶりのそれはなんだか心地よい。悠然と、目の前の時間はその言葉がぴったりだ。
 どのくらいの速度で進むのか、そんな小難しいことは考えなくてよかった。なにも考えず、ただ絵を感じる。
 すごい、きれい、簡単な感想が頭を駆け巡る。難しい顔で絵とにらめっこをするのは、存外楽しかった。
 そんな感性は、自分にはないと思っていた。いや、若いころは確かにあったんだ。薄れていっただけで、ずっと中にあった。
 それを感じる余裕が、仕事を退職したことで戻ってきた。
 これからどうしていこうか、そんな不安が消える。なんて偉大なんだろう、芸術というものは。
「…絵画教室か」
 館内の掲示板は、色とりどりのチラシで彩られている。
 
 三代、君は幸せだったかな。
 俺は、君といられて幸せだった。

「えーこれ、お父さんが描いたの?」
「きれいねぇ」
「父さん、これすごい」
 映画のような、絵画のような時間、共に過ごせる君はもういないけれど、また君に報告することが増えた。
 なにもない俺に、家族をくれた。君との思い出が、俺を絵画と出会わせた。
 人生の最後に、こんなプレゼントをくれる君に、もう一度会えるのを楽しみに過ごすよ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?