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テレビゲームが自分の人生に与えてきた影響

はじめに

今日の仕事中、ニュースアプリの通知で一本の訃報を目にしました。作曲家であるすぎやまこういち氏が亡くなられたのです。

すぎやまこういち氏と言えばドラゴンクエストの作曲をしたことで有名です。最近だとドラクエの曲が東京オリンピックの開会式で流れたり、「そして伝説へ…」なんかは運動会でよく流れる曲なので、日本人で彼の曲を知らない人はいないのではないか、とすら思います。中には「そして伝説へ…」をドラクエの曲と知らずに聴いていた人もいるのではないでしょうか。
ちなみに、もっとも有名な曲であるあの序曲は5分で作曲されたそうです。

本当に偶然なんですが、今日の午前中に本記事タイトルのテーマでnoteで記事を書いてみようかと思っていました。普段記事なんて書かないのに、ふとそう思って、かつこの後出てくるんですが本記事のメインテーマはドラクエだったりもするので、そんなことを思った数時間後に例の訃報を聞いてショックを受けた後に、これはこの記事を書かないと、という謎の使命感を感じたのです。

基礎情報

最初に僕についてですが、1995年神戸生まれの26歳男性で、大学を卒業したのちに東京のIT系スタートアップに入社し、今はグローバルな開発組織のHRをしています。(よければnoteの過去記事を参照ください)
ゲームやその他の体験が絡み合って、今の仕事のモチベーションにも通ずる部分があるので、自分のライフステージに沿って、ゲームやその他の体験がどのように自分の人生に影響を与えてきたかを書いてみたいと思います。

幼少期

僕がゲームに出会ったのは3歳か4歳の頃です。引っ越しをしている時に両親が昔遊んでいたSFC(スーパーファミコン)が出てきて、(僕が引っ越しの邪魔になるからと)両親が遊ばせてくれたのがきっかけです。
初めて遊んだソフトはスーパーマリオワールドでした。自分で画面上のキャラを動かす体験に僕はのめり込み、そこからゲームが大好きになります。

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ちなみにスーパーマリオワールドはヨッシーが初登場する作品なのですが、幼い僕はヨッシーが可愛いからと全てのステージをヨッシーに乗った状態でクリアしようとしたそうです。プレイしたことのある方は分かると思いますが、ヨッシーに乗っていると蔦を登る等のアクションができないのでどこかでそれ以上進めなくなります。ヨッシーを乗り捨てなければいけないのです。
それができない僕はヨッシーを連れて行きたいと泣き始め、両親曰く結局引っ越しの邪魔になったと。。

その後、母親の実家でヨッシーのぬいぐるみを見つけ、おばあちゃんにもらった自分はそのぬいぐるみを大層可愛がり、寝る時もどこかに出かける時も連れ回していました。そのため、自分にとってヨッシーは今でも特別なキャラクターであり、会社のSlackでもヨッシースタンプを使ったりMacbookのアカウントのアイコンをヨッシーにしていたりします。(そのヨッシーのぬいぐるみは今も東京の家に持ってきて棚に飾っています。)

小学生

さて、このセクションで本記事のメインテーマを扱います。

その後も僕はゲームにどんどんのめり込み、世間でもNintendo 64ゲームキューブPS2等といったハードが次々に発売され、今となっては伝説となっているようなソフトが続々と世に放出されていきました。

その中でも今の自分に大きな影響を与えているゲームが1つあります。それが、「ドラゴンクエストVIII」です。

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世界で最も売れたゲーム機であるPS2において、最も売れたソフトがドラクエ8です。当時プレイしていた人は分かると思いますが、あのゲームは当時の他のゲームとは一線を画した革命的なグラフィックでゲームに新たな可能性をもたらした作品でした。

そもそもドラクエはそのベースのゲーム性が非常に面白く、初めてプレイしたドラクエはGB版のドラクエ3でしたが、その時に「こんなに面白いゲームがあるのか」と思ったほどで、
その体験に加え、青空、海、草原、砂漠、山といった大自然のフィールドを自由に動きながら新しい街を巡り、物語を進めていく体験は当時8, 9歳だった自分の脳と心に深く刻まれることとなりました。

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特に、物語後半になるとを入手し、神鳥レティスという鳥の魂を使って大空を羽ばたくこともできます。このゲームの世界地図を見ながら、行ったことのない島や歩いては行けなかったエリアに降り立つとまだ見ぬ何かがある、という感覚は冒険そのものであり、後の自分の感性に大きな影響を残すこととなりました。

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中学生

僕が中学生の頃を代表するゲームはやはり「MHP2ndG」でしたが、これもとても面白いゲームではあるものの、今思えば自分が好きだからやっていたと言うよりは、これを遊ばないと周りの話題についていけないからやっていた、という感じだったんだと思います。

それまで任天堂のゲームばかりやっていた自分でしたが、周りの友達がモンハンの話ばかりし始めていたある日、僕の親と友達の親の間で「今の中学生でモンハンを持っていないのは苦しいよ」という会話をしていたのを聞いたのですが、程なくして親がPSPとモンハンを買ってくれました

当時は分かりませんでしたが、僕が周りから浮かないようにと思ってのことだったんだと思います。そういった意味では今となっては思い出の一作です。

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高校生

さて、高校に入り、先ほどのドラクエ8の話がここで繋がってきます。僕が高校生になった頃と言うと、オンラインのコミュニケーションの場がメールやmixiからLINEやTwitterに移り始めた頃で、それまでテレビでしか見なかったiPhoneやスマートフォンを学生が持ち始めていた頃です。

僕もタブレット端末が欲しいと思い、iPod touchを買いました。色々なアプリを触る中で特にお気に入りだったのが壁紙のアプリで、世界の景色のカテゴリで世界中の色々な景色を見ては、いつかそこに行くことを夢見るようになります。

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クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園。高校生の頃、壁紙アプリでその存在を知り、行きたいと思った約7年後、実際に行くことができました

また、僕が通っていた中高一貫は特殊な教育方針で、中高の教育カリキュラムの中でアメリカ、アジア、ヨーロッパで計10カ国を周りました。その他にも海外旅行等で色々な国を周っていたため、上記の景色を見る経験と相まって異国への興味はより強いものへとなっていきました

そんな中、社会科の科目で地理選択だった僕は地図帳を読むようになります。ある時、自分が目的がなくても地図帳をただ読むことにワクワクしていることに気づきます。
当時はそこに疑問を抱くことはなく、暇つぶしがてら通学中のバスの中で地図帳を開き、例えば南米の地図を見ながら、「ここに鉱山があってすぐ近くに街があるからここは労働者の街なんかな、今この瞬間どんな人たちがどんな事をしているんやろう?」と空想旅行に耽ったりしていました。

この地図を読んでその土地を空想するワクワク感はドラクエ8をやった時に育まれた感性だったのではないかと、数年前にふと思いました。単なるこじ付けかもしれませんが、でも僕の感覚としては小学生の時にゲームをしながら地図を見てゲーム内で足を運んで感じていたワクワク感と高校生の頃に地図を見て空想をしていたあのワクワク感は非常に似通ったものです。高校生の頃にヨーロッパの街並みを見た時のワクワク感もドラクエ8の中世ヨーロッパのような街並みを見ていた時の興奮が寄与していたのではないか、と思ってしまうのです。

大学生〜社会人

大学に入った僕は高校生の頃の想いを元に専攻は天然資源系の工学を選びました。物理や数学が得意だったので工学をベースに、1番グローバルで地理のにも近い分野だと思ったからです。実際、教育カリキュラムの中でも海外に行くチャンスがあり、学部生ながら大学からの援助を受けてアメリカとボツワナ(アフリカ南部の国)に行く機会を得ることができました。

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↑アフリカのサファリで撮ったキリン

個人的にも英語の学習を開始し、初めて1人で海外に行ったり、海外の友達を作ったりととりあえず高校の頃に抱いていた異国や他文化への憧れを基に色々と行動しました。その中で少しずつ、日本の誇れるところや他国に比べて遅れている部分等について考えるようになり、進路としては「日本をぶち上げる」会社への入社を決めました。

そんな中、今挑戦しているグローバルな組織づくりのミッションに向き合えるチャンスが訪れました。ここのテーマに行き着くまでに自分の感性を築き上げてきたものとして、自分にとってはゲームが表現していた異国感や冒険のワクワク感が寄与していた部分は大きいと思っています。

現在

高校生くらいからゲームから離れていたのですが、社会人になり、またゲームをするようになりました。背景として任天堂のV字回復も大きいのではないかと思っています。最近のゲームはさらにグラフィックやゲーム内の行動の自由度が向上し、現実の映像と遜色ないクオリティで現実にはない架空の景色を楽しめるのは、一種の新しいジャンルの旅行のようだと感じます。

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↑FFXVに登場する水都オルティシエ。ヴェネツィアのような水上都市で画像のようにゴンドラに乗って観光をすることもできます。

最後に

ゲームに限らず、人生観を変えるような作品というものはあらゆる分野に存在すると思います。一方でゲームは、没頭しすぎるあまり社会活動が疎かになる人が出てきたりもするため、子供の頃などは大人たちが「教育に良くない」等とネガティブなもののように捉えて発言していたのをよく聞いていました。

しかし、結果として僕の人生にとっては自分を形作る重要なピースとなっています。今となっては僕のようなゲームと共に育ってきた世代が親世代になりつつあるので、ゲームに対するネガティブなイメージは以前に比べ薄れているのかもしれませんが、僕としては子供の感性を磨くものとしてゲームを捉える人が増えると嬉しいな、と思います。

最後になりますが、すぎやまこういち氏のご冥福を祈りつつ、今後もゲームという文化を楽しんでいきたいと思います。

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