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【感想・書評】『人間』又吉直樹:芸人で作家の叫びが聞こえてくる

『火花』で2015年に芥川賞を受賞した又吉直樹さんの3作目となる『人間』は、自分にとって初めて読む彼の作品。初めてということもあり、読み終えた時に「この人の本をもっと読みたい」と思えた1冊になった。

序盤に描かれていたハウスでの生活で、住人たちでグループ展をやったり表現に対する議論をするなかで、他人の感覚や価値観に触れもがく永山に懐かしさと羨ましさを感じる。若い時に何者かになりたいという気持ちはあるものの、実力や行動が伴わず悶々とするあの感じ。歳を重ねた今、なかば諦めたかのように何者にもなれないという「現実」を受け入れたつもりで、もう若い時の情熱というか葛藤みたいなものを失ったのかと思い羨ましい。

ハウスの住人の1人である奥が「もしかしたら、才能ある奴なんて1人もいないのかもな」とう言葉に続いけ永山に言った「自分はなにかしらの存在であると自分自身を騙した人と、それ以外かもしれへんやん。正直、その可能性にかけてるとこあんねん」というセリフが印象的だった。若い時に何者かだと自分を騙せることができればなと思ったけど、そんなに簡単じゃないようなと。

また奥の次の言葉には、作者の創作に対する姿勢が現れているような気がした。

「自分以外のなにかの責任にするのは簡単だよ。社会的な評価がすべてだなんて俺もおもってないよ。誰かが、自分の感覚だけで誰かを褒めたいならそうすればいいけど、自分の人生とか痛みに、自分で責任取れない甘えた奴の作ったもんに金払えるか?」

この小説で読んでいて清々しい気持ちになれたのが「ナカノタイチへ(P123)」で始まる文章。これは、「イラストレーター・コラムニスト」という肩書きを持つようになった仲野が、芸人で作家である影島に対して芸人を放棄したと批判する記事を書き、この記事に対する影島が反論するシーン。

肩書きと描写から影島は作者自身だと思い勝手に読んだ。約10ページにわたる影島の反論は、かなり辛辣。作者はさんざん批判されてきたんだろうと、想像してしまう。

最初の反論は、作者自身の個人的な怒りぶつけられている印象が強かったが、ナカノタイチへの2回目の返信からは少し違ってくる。例えば次のような文。

あらゆることを簡略化して、知っている箱に分別する。「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」に該当しない内容不明瞭なものは、「異端生廃棄物」とでもして、「さぁ、みんなでコイツに石でも投げつけてやりましょう!」と呼び掛けて、銭を稼いでいるんだろ。

個人の抱える問題を考慮したりしない世界。箱のなかに敷き詰められた無個性の集団。それが何の箱なのか知る術がないからラベルを貼りまくる。そんなことが日常化するとカテゴリー分けが難しい者を攻撃するという排他的な行為と繋がっていくから、もっと慎重になるべきだ。

どちらも事の発端となった肩書きを超え、社会に訴えかけているように思う。いかに人が想像を超えた出来事や人に出くわしたとき、理解するよりも先にレッテル貼って自分を納得させることが危険であるかと。

正直、読んでいて分からないことも多く、この作品を完全に理解していないと思う。しかし、共感できることや、普段何気なく感じていることが言語化されて腑に落ちることもあり、満足した作品だった。人間ってやるのめんどう、でも人間でよかったなと。

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