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なぜ人は恋をするのか

そもそも恋ってなんだろう。

人に恋するだけでなくお菓子に恋する人もいる。
ひとまとめに人と言っても、国籍も性別も色んな人がいる。明確な定義づけが難しい。

エゴ: 自分本位の考え方や態度。

よく、恋と愛は並べられて、区別される。
恋は一方通行で自分本位で一時的な気持ち。
愛は双方向で相手本位で永遠に続く気持ち。
少しググればでてくる内容だが、これを調べる大半の人にとって、どうでもいいことだろう。
結局のところ自分の気持ちが恋情なのか愛情なのかなど分からないのだから。
話が逸れたが、私に言わせればどちらもエゴだ。
恋は言わずもがな、愛する気持ちも離婚や別れを経て冷める。
愛は永遠ではないし、相手本位でもなく、自己満足によるものだ。いまいち満足できなくなれば愛は途端に憎悪になることもある。
これをエゴと言わずしてなんと言うだろうか。

興味を持ち、欲しい欲しいと強く願っていたモノを手に入れた瞬間、ドーパミンに溺れる。
しかし、そのモノに対する興味は徐々に減り、いずれ他のモノが欲しくなる。
そんな経験をしたことも数十年生きていれば一度くらいはあるだろう。

恋も愛も欲も人間の意識的行動は総てドーパミンを求めたエゴであると思う。
人に優しくすることも、優しくすることによる満足感や、優しくした結果、相手の安心する姿や笑顔を見たことによる快楽を無意識に求めている例である。

自分と自分、自分となにか、自分とだれか。
どんな恋でも、自分がいる時点でエゴが絡む。
自分は美しいという自己肯定的エゴ、モノが欲しいという欲求的エゴ、相手を知りたいという好奇心的エゴなど、なんらかのエゴがそこにある。

お悩み相談

今、これを読んでくれている人の多くは恋に悩める者だろうからある知恵を授けよう。
悩みは、自分の中のエゴとエゴの衝突が産む。
例えば、LINEしたい相手がいるとき、相手を知りたい気持ちと相手にキモイと思われたくない気持ちの衝突がLINEを送るべきか悩ませる。
そんなときは割り切るしかない。
キモイと「思われたくない」という受動的なエゴを取るか、「知りたい」という能動的なエゴを取るか。どちらが好ましいかは場合にもよるが、受動的なエゴは快楽を感じるのが難しい(後悔に繋がる)ことが多い。
快楽を求めることがエゴの本質であるのに、そんなのはエゴと呼べないだろう。
ならば自ずと答えは出る。勇気を出せ。

結論

なぜ人は恋をするのか、それは対象に対してエゴを抱くからである。抱いたエゴから快楽を感じる為に人は、考え、悩み、行動する。
しかしこれは恋以外にも当てはまることである。恋を恋たらしめるものはなにかと思う人もいると思うが、そんなことは些細なことだよ。

自分の抱いている「恋」をよく知りたいなら、対象をはっきりとさせ、対象の何を求めているかをよく考えるといいかもしれない。

おしまい

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