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何十年経っても私の中で生き続ける母の言葉

先日も月に一度の帰省をしてきました。
母は先月と比べてそれほど変化はありませんでしたが、父がわずか1ヶ月で体力の衰えが顕著に。元々元気で、自転車であちこち出掛けていたくらいだったので、尚更そう感じるのかもしれません。足元がフラつくようになり、ついに杖を使うようになりました。

よくよく考えれば、父はもうすぐ80歳を迎えます。
今年に入って調子があまり上がらず、加えて足腰が悪くなってきて、珍しく弱音も吐露するように。
それでも父がポロッと一言「85歳までは生きたいんだけどねぇ…」と。「ちょっと前まで80歳まで生きたい、って言ってたのに。それだけ欲があるなら大丈夫だよ!」って笑って返すと、父も母も声をあげて笑いました。

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今回はタイトルにもあるように、母から言われた言葉の話です。
少し前になりますが、フォローしているめろでぃーさんのこちらの記事で親の言葉の威力について書かれています。

私にもあるなぁと思ったので、書いてみたいと思います。
話の合間に差し込む写真は、この間の週末に帰った時に撮った実家の花の写真です♫

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良くも悪くも、子供にとって親の発する言葉というのは、その後の人生に大きな影響を与えることがあると思います。
特に一緒に過ごす時間の多い母親の言葉の影響は絶大です!

紫陽花

初っ端からネガティブな話になりますが、小さい頃は母が怖かったです。
母にとって私は初めての子育てだし、下に弟もいて、お姉ちゃんとして私に期待する部分もあっただろうし、厳しかったと思います。

私が小学生になってしばらくした頃から母は働きに出ていて、多分気持ちに余裕がありませんでした。
その頃、私の体調が悪くなると不機嫌になるんですよね。例えば「◯◯したから(しないから)具合が悪くなるんだ」というようなことを言われたり。
そうすると、少しのことなら言わなくなるんです。怒られたくないから。
そして大変な事になったのが、盲腸炎がかなり進み、破裂?寸前と言われて、診断後わずか数時間後に手術をした事がありました。
それからは私の具合が悪くなっても母が不機嫌になる事はなくなりました。
そして私自身も母親になった時に、反面教師にしたのは言うまでもありません。

割と"長子あるある"かもしれませんよね。厳しく育てられて萎縮しちゃうパターン。自分を抑える事が当たり前になってしまいました。

アッツザクラ


ハイ!
ここからは良い話の連チャンで!ww

小学校6年生の家庭訪問か面談の時、担任の先生が私のことを評した言葉「あっきーさんは誰からも嫌われない子です」が余程嬉しかったのか、その後何度もその話をしていました(^^;;
ほかにも先生に褒められたことを何度も言いますね。大人になっても言ってました。なんならここ数年のうちにも言ってましたww

ゼラニウム()
ゼラニウム(ピンク)



中学2年生、始業式の日のことは今でもよく記憶しています。
その年はクラス替えがありました。
掲示で自分のクラスを確認して教室に入ると、そこには信じられない光景が…
いわゆる不良(ツッパリ、ヤンキーとも言う)の溜まり場でした!

少し解説しよう!
時代的にはドラマ「金八先生」シリーズの第二シリーズの後辺りかな?(年齢がバレる笑)
とにかく校内暴力が社会問題視されていた頃で、男子は長ランに太いボンタン、女子は上が短めでロンスカが不良の定番スタイル。ビーバップハイスクールとか、なめ猫スタイルのソレですね。懐かし〜!

その時の私の学年はそんな不良学生がかなり多かったのですが、教室には何人もいたんです。
何年も後に聞いた話では、学年主任だった担任の先生が一手に引き受けたのだとか。
正直ちょっと怖かったですよ。昔から知ってる人もいたし、その子は怖くないけど、よく知らない男子は怖かった💦
おまけにその担任も当時は苦手教科の先生だったこともあって好きではありませんでした。

帰宅後、真っ先に母に
「もう最悪だよー!!」
とクラスの様子を話しました。
その時に母が言った言葉。

「人を見た目で判断してはいけない、
もしかしたら良い人かもしれないよ」


その時は母の言葉を信じられなかったし、落ち込みました。

ところがです。
そのクラスは秋の文化祭の頃にはだいぶ雰囲気が良くなり、3年生もそのままクラス替えせずに進級したのですが、とっても仲の良いクラスになりました!
不良と呼ばれていた級友たちも、根は優しくて良い人たちでした!
最後の学級委員長にはクラスの大半が推す形で、その不良生徒の一人がなりました。
そして、今でも当時のクラスメイトや担任の先生とはお付き合いが続いています。

母の言ったことは本当だった!
中学を卒業する前にそれを実感して、その後の私の人生の教訓になっています。
ある一面だけを見てその人を判断しない。嫌だなと思える人にも良いところはあるかもしれない。それは今でも強く思っています。

オダマキ

その中学生時代の話はそのうち書きたいです(*^o^*)


ほかにも考えてみると母の言葉で背中を押された事がたくさんあったなぁと思い出しました。
私の、とりあえずやってみよう!行ってみよう!というフットワークの原動力も、かつての母の言葉によるもの。
果たして私自身は息子たちの背中を押せてるかなぁ。

庚申薔薇(多分💦)

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