短編『さよならビッグ・スター』

 あいかわらず、客が聴きたがっているのは15年前のヒット・ナンバーか。思い出したように手拍子をはじめた客席にむかって、おれは大声で叫びながら、同時に情けない吐息を漏らした。慟哭のようなおれの歌声は、もはや悲痛でしかないだろう。マイクががつんと前歯にあたって、いらいらした。

 そのヒット・ナンバーは、おれを一気に全国区の人気シンガーへと導いてくれた、『夢見る時代』という歌だ。まるで、そのころのおれ自身じゃないか。おれは自嘲的な気分で、コンサートのラストスパートを歌っていた。

 あのころのおれはすごかった、遠い日におれは思いを馳せる。コンサートのチケットは即完売、客席からは女どもの声援が、おれが捌けてからもずうっとやまなかった。それがいまじゃ、こんな鄙びた場末のライブハウスの、たった500の席を埋めることができない。

 ――ジョージ! ジョージ!

 ジョージか。その名前で呼ばれるのも、実のところ気恥ずかしい。おれの本名は山崎義男だ。当時のレコード会社の社長が、海外進出も見据えた名前を、と、おれに山咲ジョージという名を授けた。海外だって? 笑わせるなよ、10年前の妻との新婚旅行をさいごに、おれはこのちっぽけな島国から一歩たりとも出ていないんだぞ。

 どこから、狂いはじめたんだろうか?

 チャートで『夢見る時代』が1位を取ったとき、山咲ジョージの名前は永久に語り継がれるもんだと思った。全国規模のコンサート・ツアーや、連日のテレビ出演はすべてがうまくいって、おれは有頂天だった。気分屋のおれの顔色ばかりをうかがうスタッフやマスコミのまぬけな面は見ていて愉快だったし、おれに言い寄ってくる女は絶えなかった。おれはとにかくモテた。そのことがおれにとっての、なによりも華やかな青春の思い出かもしれない。いまでは「消えた」といわれる、いや、そんな話題にものぼらない当時のスター女優の、乳房のかたちや尻の肉の柔さはみんな記憶している。あの性癖はケッサクだったな――などと、そんな話を馬鹿笑いで聞いてくれる友も、もうどこかへ去ってしまった。

 ――ジョージ! ジョージ!

 うるせえな。

 二回目のサビが終わって、間奏がはじまる。

 おれは歳を食って錆びついた躰を、いったいどう動かせばいいのかわからなくなっていた。スターダムの中心にいたころ、腰は勝手にリズムに乗ったし、華奢な肢体をめちゃくちゃにスイングするだけで、会場は沸きかえった。躰に組み込まれていたオートマチックな動作システムと、そのときの燃えるような心の温度を、みんなおもしろいように忘れてしまっていた。おれはむやみやたらにマイクスタンドを振り回した。汗が客席の最前列まで飛び散った。立ち上がった客はジョージ! と叫んでいた。

 なんだか笑えてきたぞ。

 これが、悟りの境地か? ――バカだなあ、おれ。

 聞き飽きたギターソロが終わる。一瞬のブレイク。最後のサビ。言葉はしぜんに出てきた。

 夢見る時代を 君と生きよう
 愛なき世界じゃあるまいし
 はかないいのちの 燃えるかぎりに
 とわなる二人じゃあるまいし

 ちんけな歌詞だな、と思った。こんな曲が、チャートを席巻したんだとよ、笑っちゃうよなあ。おれはステージで孤独のスポットライトを浴びる、おれではない〈山咲ジョージ〉を見つめていた。きたない汗を飛ばしてやがる。腰はがくがく震えている。

 ――ジョージ! ジョージ!

 もうすぐその声援も、かりそめの熱狂も、尻すぼみに消えてゆくんだぜ。

 ――ジョージ! ジョージ! ジョージ! ジョージ!

 お疲れさん、ジョージ。

 ギターのフレーズに、時代を感じさせるシンセサイザーの音色が重なる。エンディングだ。〈山咲ジョージ〉は、最後までプロフェッショナルの矜持を演じて、客席に両手をはげしく振っていた。その笑顔が清々しいものでないことは、クローズアップしなくともわかる。お疲れさん。

 音楽が完全に終わり、〈山咲ジョージ〉はゆっくりと舞台袖へ帰っていった。背中を向けてから、闇の中に消えてゆくまでがはやかった。ゆっくりと暗転。むんむんとした熱気だけがライブハウスに残された。

 最後にジョージ、と叫んだ最前列の客は、疲れ果てたように地べたに腰を下ろした。ブーツの先があたって、床の缶ビールがかつんと横倒しになった。アルコールの水たまりが、じわじわと広がっていった。〈終わり〉

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