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恩師が旅立った

先日、恩師の訃報がありました。

周りを「どよん」とさせてしまうので訃報って滅多に共有しないのですが、先生との思い出や、一部であっても軌跡を残したい、というか。
皆さんそういう想いで故人の記事を書くのでしょうか。

わたしも記しておこうと思います。
お時間のある方はお付き合いください。

◆音楽部との出会い


まのせん、こと間野先生は、高校の音楽部の顧問でした。
吹奏楽部でも、ビッグバンドでもない、音楽部=聖望学園コンサートバンド=SGCB。

中学の頃、先輩に誘われ音楽部の定期演奏会に行ったわたし。

「何これ、楽しそう!音楽部に入るためにこの高校に行こう。」

と、直感&単願でぬるっと入学。

そこからは、とにかく音楽・部活漬けの日々が始まります。

◆在学中に出会った音楽と仲間


クラシック、ジャズ、吹奏楽、ミュージカル、ポップス......
まのせんは、音楽・演奏の楽しい世界へ、わたしたちをぐんぐん引き込んでいってくれました。情緒を教えてくださったというか、音楽を立体的に捉えられるようになったというか......。

ものすごく視野が広がったし、あの時出会っていなければ知らない音楽もたくさんあったなと、今でも感じています。

そして音楽を、演奏を楽しく続けられていたのは、まのせんが否定しなかったから。

正直わたしたちの代は、演奏技術がすげぇ!という人がいませんでした。

同期のみんなは覚えているであろう、まのせんの「お前たちは荒削りだからな。(ニヤっ)」の一言。

もちろん、「このリズムが違う!」とか指導はあったけども。

なんかみんな妙に納得して(開き直って?笑)、わいわいきゃーきゃーやってましたね。

同期とは、今でも連絡を取ったりたまに集まる仲で、本当に良い仲間ができたなと思います。

◆繋がり続けるまのせんを愛する人たち


この、まのせんを核とした人との繋がりは、世代を越えていきます。

在学中に被っていた先輩後輩はもちろんのこと、地元の吹奏楽団や、OBバンド等でご縁が紡がれていくのです。

そもそも、定期演奏会では10も20も離れた先輩方が、ガチの裏方(!)をやってくださっていました。(私の代近辺では。少なくとも。)

舞台を創っていく過程などたくさん経験させてもらえましたし、今の仕事にも繋がっているなぁ、と思うと本当にありがたいことです。

今回お別れ会がありましたが、誰が指示するでもなく、裏方チームが結成され、装飾物ができあがり、インカムが配布され笑......間野イズムを受け継いだOBOGの結束力たるや!でしたね。

受付もやらせていただきましたが、本当に多くの方が参列されており、改めて間野先生の存在の大きさ・カリスマ性を実感しました。

◆残念だけど


危ないという連絡からのそわそわ、訃報を受けての動揺、かっこよく眠っているまのせんを前に込み上げるよくわからない気持ち。
それに、企画していた喜寿お祝い演奏会がコロナでできなかったこと。
まとめると「残念」ということになるのでしょうけど、必要以上の後悔はありません。

たぶん、在学時はがむしゃらに、卒業しても仕事の都合をつけ、他の時間を割いて、めいっぱい関わってきたからでしょう。

3年前に父の死を経験してからは特に、好きな人と過ごす時間やお金は惜しまずに使おう、と意識しています。
どうやら昔から直感的にそう動いていたというのを、今回認識しました。

日々のちょっとした幸せの瞬間の度に「この時間に戻ればいいのに....って憂う時が来るのかなぁ。」「この人とはまた会えるのだろうか。」なんてチラついちゃう、考えすぎなわたしですが。

間野先生には感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。

Riverdance/Spain/Gospel John
あたりは、また、叶うならば間野先生の指揮で演奏したいなぁ。

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