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『隣人の愛を知れ』に学ぶ、「人の愛を知る」ということ

「まったく、結婚というのは残酷なことだと思う。結婚するということがどういうことなのかというと、いちばんなりたくない女に、いちばん好きな人の前でなってしまうということなのだ。いやになる。」そう綴っていたのは、わたしの大好きな江國香織さんだ。(『泣かない子供』)
夫の浮気に苦しみ、ハンガーストライキを起こしてしまう、ひかり。
「一体なんなんだ。泣きたいのはこっちだ。直人に嫌われたくないのに、こんなに恐ろしい自分を晒したくないのに、責めずにはいられない。」心の底から愛している夫を、ただヒステリックに責めてしまう彼女の気持ちが、わたしには痛いほどよくわかる。本当は、こんなふうになりたくないのに。ただ、あなたを愛していると伝えたいだけなのに。裏切ったことを責めたいわけじゃない。信じていたわたしを、間違いだとも思わない。信じることをやめたくもない。ただ、一緒に幸せになりたいだけなのに。
この人さえいれば、この人のそばにいられさえすれば、幸せだという気持ち。それとは裏腹に、この人さえいなければ、この人と一緒にいることさえしなければ、こんなにも切実に苦しまなくてもいいのだという気持ち。
恋愛というのは、悉く野蛮で、本当に矛盾に満ちている。アンビバレントだ。けれど、こんなにも甘美で、しあわせなものが、他にあるだろうか。と、わたしは常々思ってしまう。


たぶん、人を愛するという行為に、正義なんてないのだ。おとぎ話じゃあるまいし。究極的に言えば愛なんて所詮、独りよがりで無謀なものなのだと思う。
きっと愛の前では、誰だって未熟で、誰だって全面降伏なのだ。だけれどそれが、愛するということの尊さでもある。
格好よく、いつでも正しくなんて、できない。
通り一遍の正しさとか、そんなものに拘泥したら、きっと恋なんてできない。
わたしはこの本を読んで感じた。


この物語には、不器用にたくましく愛を生きる、6人の女性とその周りの人々の人生が緩やかに交わり合いながら描かれている。

『浮気される妻になるくらいなら、愛人の方がいい』と高を括り、熱に浮かされた不倫をする。けれど最後には『人様のもので自分を満たして』いた自分の惨めさに気づき、前に進む、知歌。

「結婚」という型に拘泥し、自分の愛も、愛された事実も壊したくなかった美智子。娘の夫の不倫相手に、自分が『善意に隠れた蔑み』を抱いていたことに気づかされ、そして、家族を捨て男性と生きる道を選んだ夫を、赦す。そして自分を認め、赦す、自己憐憫から抜け出し、最愛の夫の幸せを願うことを決める。
夫に、どうしたら愛してもらえるか、嫌われないか、そんなことばかり考えて自暴自棄になってしまっていた。けれどそんな自分を認め、まず自分を愛すること、夫ではなく、自分が信じられる自分でいることの大切さに気づく、ひかり。
自分の過去の過ちを背負い、現実を受けいれ、愛する人との最後の時間を心から大切にしようとする、ヨウ。
自分の弱さと、夫婦の間の冷めた空気を他の女性にあたためさせてしまった夫を赦し、自分から歩み寄ることを学び取った青子。愛する夫と離れることを決断する。最後まで、気丈に。そして映画監督である夫に認められた、ひとりの女優として。

自分の想った分、相手にも想ってほしい。愛した分愛されたい。与えた分、与え返してほしい。人はきっと誰だってそうおもう。
けれど。見返りを求めても、決してうまくはいかないということ。相手を変えることはできないということ。大切なのは、まず、自分が愛せる自分になるということ、自分を赦してあげるということ。

この物語に登場する女性たちはみんな、誰かの愛に触れて、そう、隣人の愛を知って、また新たな愛に生きていくのだ。


人を愛するという行為に、正義なんてない。
この本を読んでわたしがいちばん感じたことは、それだった。
この本に出てくる女性たちは、みんな、向こうみずで、野蛮。途方もなく、呆れるほどにまっすぐだ。そして、どうしようもなく愛おしい。

彼女たちには、恋愛以前に、一人ひとりに人間としての魅力がある。深みがある。正しくなくたっていい。正しいと言われる愛じゃなくたっていい。自分の愛をまっとうし、まっすぐ生きる女性たち。もがきながらも懸命に、自分なりの進む道を導き出す、彼女たちの人間らしさや強さ、温かさに心を奪われてしまった。
最後の最後に、驚くほど彼女たち一人ひとりを愛おしく思ってしまうのは、彼女たちが自分の愛をまっとうしながら、そのどこかに、誰かを想うあたたかさが、誰かの想いに気づける優しさが、必ずあるからだとわたしは思う。


最後に、女優・戸鳥青子はインタビューで「人間にとって宝物は?」という質問に対して、「歌を知っていること」と答えている。(これが夫の不倫相手の父親の受け売りであるのならば、とても皮肉なものだなあ、と思うのだけれど)
もし、わたしなら。その答えに準えていうのであれば、わたしは「言葉を知っていること」と言いたい。美しい言葉を知っていること。美しくなくてもいい、好きだと思える言葉がたくさんあること。
その点で、尾形真理子さんの作品は宝石箱みたいだと思う。コピーライターならではの言葉の美しさ、軽やかさ、リズムの良さ。宝石みたいに、どこから見てもきらきらと輝いてそこにある。


言葉を大切にしていることが伝わってくる、そんな文章だ。
なんてったって、各章のサブタイトルを読むだけで、わくわくしてしまうのだから。
前作、『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』に引き続き、尾形さんの紡ぐ言葉の美しさに、陶酔してしまった。

#読書の秋2021 #隣人の愛を知れ #読書感想文2021

#読書の秋2021

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