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治らない完璧主義

タイトルに使っちゃったけど
完璧主義って言葉好きじゃない。違和感ある。

完璧なんて人によって基準が違うものを
主義として主張するのは
曖昧すぎてわかりづらい。

完璧主義なの?完璧主義だよね?と
言われることがあるけど
全然そんなことない、適当だ。
こんなにいい加減でいいのか、と
自分では思っているけれど、

・人に迷惑かけないようにする
・頼るのがめんどくさいから自分でする
・ちょっとの一手間で自分の評価が上がるなら
 した方がいい

と思うところが他人からすると完璧主義らしい。

違和感しかない。

と思っていたが、先日初めて行く仕事で
無意識に結果を気にして
創意工夫している自分に気づいて、はっとした。

周りを見渡すと、
とりあえず時給分の仕事が出来れば〜
という感じの人たちばかりだった。

え?こういうところ?もしかして?

そこで冷静になって色々思い返してみたら…

対してやりたくないことも
バカ真面目に取り組もうとする自分。

特に結果も数字も求められていないところでも
どこかでそれを意識して頑張りすぎる自分。

そのくせに、そもそも"頑張る"ということを、
小馬鹿にしてしまう自分。

この3つのタイプの自分に挟まれて
最終的にしんどくなってきたことを思い出した。

あと家事にしろ、仕事にしろ、
とにかく誰かと何かを一緒にするというのが
めちゃくちゃストレスで、
それは自分に協調性がないからと思っていたけど

自分が目指す道順とゴールに沿って
物事が進まないとイライラしてしまうのは、
他者から見ると完璧主義らしい。

違和感しかない。

けど、人がわしに言う"完璧主義だよね"とは
そういうところらしい。

そう…なのか…(・Д・)

ということは、つまり、
中途半端にしか手伝えないなら
そもそも声すらかけない方がいいと思ったり

中途半端にでも手を出したのなら
最後までしっかりやれよって思ったりするのも

完璧主義の一種なのか?!!

ということに、やっと気づいた。

これに気付いた日の帰り道
突然しんどくなって
いつのまにか爆発を起こしてきた過去の自分は、
結局のところ自分で自分の首を絞めてたのか…
と気づいて、落ち込んではないけれど、
なんだかモヤモヤした気持ちになった。

"頑張ること"に対する動機が
明確に自分の中にあれば
主体性を持って動いているから、
結果に伴ってもう少し喜べるはずなんだけど

できない自分と思われてしまうことへの恐怖というか、強迫的な深層心理のようなものに追われている感覚から、逃れるための努力なので、
そりゃ逃げ続ければ、
いつかしんどくなるわけである。


そんなことに気づいて
こりゃどうしたもんか…治らんもんか…と考えて
たどり着いた答えがある。

頑張ることは決して悪いことではないので
頑張りすぎてない?これ頑張る必要ある?とか
考えすぎないようにすること。

その上で、

調子が良くて頑張れるときは頑張ればいいし、
悪いときは頑張らなくていい。
頑張ることは決して悪いことではないけど
頑張らないことも決して悪いことではない。
頑張ったのに結果が出なかったときは
自分を責めたり反省する前に、
こーゆー日もある!と
とりあえず楽観的に現実を受け入れてから考える。

というのを意識したら
完璧主義って言われるのって
こーゆーところ?に対する
モヤモヤが消えていった。

頑張った結果、しんどくなった時に、
それをよしとして
結果に執着しすぎないようにしたら、
仕事なり家事なり日常の自分のミッションが
終わったときの疲労感が激減した‼️

そして切り替えも早くなった‼️

無職期間中に"何もしなくてもOK"は習得したので
6月は社会復帰リハビリがてら
エネルギー配分を学んでいます。

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