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アイドルではないノクチルたち。「天塵」で描いた煌めきの正体


ノクチル初のイベント「天塵」を読了。ネタバレ注意でお気持ち表明させてください。他のコミュに続き、ギャルゲー好きには完璧に近いシナリオでした・・・。











アイドルよりも幼馴染を優先した

終始、自分たちがどのようなアイドルになるかを決めない、いや、決める必要があると思っていない幼馴染たちのコミュでした。

彼女たちにとってアイドルであることはさほど重要ではなく、いつまでも続く幼馴染との関係が、283プロにいる意味だからでしょう。
唯一、浅倉だけがPという理由を持ち、歪な共同体といえますが、そのあたりの黒い考察はこちらのnoteへ。

今回特筆すべきはシナリオの組み立てです。

ノクチルとして初の仕事を得て、配信番組に登場することになるのですが、演出側の意図に合わない動きをします。駆け出しアイドルとしてあるまじき行いですが、もとよりアイドルへのこだわりが薄い彼女たちにとっては、浅倉、樋口、小糸、雛菜の4人でユニットなのだから、ユニットとしてのありのままの姿を映し出すことが当然であると考えています。

そして、この姿勢は終始ブレず、擬似的なプレイヤーであるプロデューサー自身も劇中で、これこそが彼女たちの輝きであると認識しています。

誰も未来が見えていない。
ただ、この空気をいつまでも願う

「天塵」では樋口の独白という形式で自分たち幼馴染がどこに向かっていくか、分からないことへの不安が語られます。小糸は他の幼馴染についていくことで精一杯、雛菜はもとより今を見続ける性格です。肝心の浅倉ですが、限定SSRのシナリオでも、浅倉自身が未来を見えていないことが語られます。

そう、ファンを喜ばせたいとか、そういう次元のふわっとした目標すらなく、ただ浅倉がアイドルをやり始めたことで集まった幼馴染にゴールはないのです。

物語のクライマックス。小さな巡業の仕事を得たノクチルは花火にかき消され、最後までほとんど人の目に留まることはありませんでした。近しい展開のあるアニマスとは対照的で、聴衆は歌に感動することもありません。

それでも、彼女たち自身が楽しいと感じる世界に充実感を感じているのです。ここに来るエモさがノクチルのギャルゲー味を深く醸し出しています。

ギャルゲーの構成要素「約束」と「変化」

今作「海に行く約束」をした幼馴染としてのノクチルと、アイドルとして今を生きるノクチルとに変化がないことを描く、幼馴染としてずっとあり続けていることを示したかったのだと思います。

ギャルゲーのシナリオとして主人公とヒロインとの「約束」は非常に多く、約束を果たす果たさない、覚えている覚えていない、といった要素が事件につながる展開がよく見られます。

なぜなら、「約束」は過去の自分たちの関係性の象徴であり、そこに加わる「変化」が「取り戻したい過去」や、「こんなはずではなかった今」とのギャップを現実世界の自分(=プレイヤー)とシンクロさせ泣かせにいくからです。

そして、今回のシナリオは変化がないことを描きました。アイドルとしての成立ではなく、幼馴染として成立していることを、運営側はノクチルのゴールとして据えたのです。

アイドルを脇に添え、彼女たちの関係性に小さな煌めきを感じたい

クライマックス。誰からも見られない、返しもない、アイドルとして成立していないノクチルたちが、「海に行く約束」は叶えた瞬間が花火の演出や独白などと合わせて、ノクチルにとっての輝きはここにあると示したのです。

ノクチルの輝き、夜光虫という自然の輝き。

浅倉のプロデュースイベントや、「天塵」シナリオでも対比的に描かれるのは「見せ方」の上手いアイドルたち。彼女たちに対して、自分たちのありのままを、特に「見せよう」と意図せず外に出す浅倉。浅倉に勇気づけられ、ありのままでよいと、信じてついていく樋口、小糸、雛菜。

アイドル育成ゲームのはずが、アイドルを通した自己実現をあえて忘れて、幼馴染共同体に振り切ったシナリオは初回ノクチルイベントとして、コンセプトを描ききった傑作だと思いました。

アイドルではない彼女たちの純粋なる光をこれからも見守りたいです。

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