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〈ライアーと音楽療法〉フランス音楽療法の学会 at サン・マロ

久しぶりに、
フランスの音楽療法学会に参加。

ここ数年の学会は、テレワークも可能なので、
いろいろな種類の学会への参加をした。

音楽療法学会は、
長いこと参加していなかった。

国立の学生や学会会員は、
無料だったのだけど、
今回、学会会員は、
15€(約2500円)になった。

画面では、
懐かしい教授たちと再会した。

特に、今から話す、
2人の教授には、本当にお世話になった。

1人は、ナント大学の
フランソワ・グザビエ・ブレ
Francois Xavier Vrait 教授。

実は私は、彼の率いる、
ナント大学の音楽療法科に在籍していた。

しかし1年目で辞めて、
パリ大学に移ってしまった。


そんなことがあっても、
彼は、今回の学会前日に、
トラブルがあった私のメールを
夜中まで、付き合い、手配をしてくれた。

ムッシュー・ブレは、まだ話しがある。

私が、パリ大学(ソルボンヌ)を
卒業できた時のことである。

ソルボンヌ大学で、
音楽療法学会が開催された。

学会に来た彼は、私に近寄ると、

「フランス語、大変だったね。
卒業できて良かったね。」

と、目を細めながら、声をかけてくれた。

授業が分からなくて、
涙がボロボロ流してしまったり、
諦めそうになったりした
私のフランス語力のなさに、
その言葉は、深く胸を打ち、
今でも忘れられない。

そのムッシュー・ブレは、
今回の大会の開催の言葉を述べた。


もう1人は、パリの音楽療法の責任者、
教授のエディト・ルクール
Edith Lecourt

フランスの音楽療法の代表的な人である。

大学では、
彼女の授業を受けたのはもちろんだが、

彼女は、卒業論文の口頭試問の
審査員のひとりでもあった。

審査の際、
緊張して、ワナワナ震えていた私に、
いろいろ言い方を変えて、
質疑応答をおこなってくれた。

ああ、もう12年も前のことか。。

改めて、日が経つのが早いなと思った。

今回の学会では、エディットは、
自分が苦労した話しや
うまくいかなくて、
どうにもならなかった話しもした。

そして、それをどのように抜け出たか。。
そんな秘話があった。

思わず微笑むような、
温かな人柄がにじみ出る。

学会は、発表会ではないので、
専門家ならではのテクニック、
方法を惜しみなく教え合い、
お互いに見聞を広めていく。

フランスの
「療法」や「精神医学」や「心理学」は、
歴史の積み重ねの中で、
細かく丁寧に培われ、
「哲学」を通して、生まれ、
自立してきているのを再確認した。

評価や効能に頼らず、
経験を大切にし、
ケーススタディをひとつずつ話し合う。

昼をはさんで、
午前中2人、午後2人、
じっくり聴いた、観た。


デジタルミュージックの世の中となり、
録音、音声、音楽認識が
変わっていったことを発端に、

タイトルは、
「遊ぶ、話す、録音すること。音楽療法では、どう考えていくか。」

テーマは、近未来の療法のあり方や融合、
そして倫理的な問題、
法律に触れることなど、
その点も重視した内容であった。

私は今、
デジタルミュージックに夢中になっている。
反面、ライアーで生演奏もしている。

現在、こういった両極端な音の世界があり、
消えてしまう音をこの世に残す意味を
考えていった。

さまざまな意見、時に辛辣な質問など、
みんなで一緒に考えていく学会のあり方は、
大変居心地良いものだった。

そして学会は、
「成功する発表会」ではなく、
誰でも意見をし、
それが的外れの質問でも、
研究の場を広げることこそ大切で、
疑問を投げかけるものだと言うのも
再認識した。

終わったら、やっぱりお尻が痛かった。

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