〈Artな心理〉明治大学に行ってきた

うわぁ、しゅごい!
こんなしゅばらしく新しい建物が、
大学なんだ。。

ある医療系の学会に参加しに、
お茶の水にある、明治大学に行ってきた。

私が通れば、ピカッ!と明かりがつく。
エレベーターが、さっと開く。
エスカレーターは、近くに行けば、
動き出す。

ムハハ!あたいは女王。

自分が望まなくても、用意周到、
とにかく時間短縮、
イライラという感情を減らし、
すべてスムーズに進む。

大学は、サービス満載のホテルのよう。

しゅごいな〜。

トイレは、カタツムリのように、
巻いて入って行く。
360度先に、
私の入るべき個室が待ち受けていた。
もちろん、あちこちで点灯するのさ。
水まで自動で流れる。

スマホを落としてないで良かった、と安堵。

トイレから出る時は、
殻からニョロニョロと逆方向に行けば、
廊下に出る。


内容に移ろう。
質疑応答では、
3,40代と6,70代の
考え方や態度の違いに出くわした。

まず質疑応答は、一方通行または、
1対1の対話でしかない。
討論または、
グループ会話になっていかないのだ。

んー、国が違うと、会話の仕方が違う。

3人目は、入れないしくみだ。
入ってみたら、
非常に気まずい雰囲気になった。

自分を勇気づけるのに、笑うしかなかった。

邪魔者、侵入者。。

そういう感じだ。

とにかく私は、こういった日本の学会での
「質疑応答」の意味が、分からない。

討論にならないのだ。
バンバン飛び交う意見や質問が
普通だと思っていたが、
どの学会も大人しい。

おもしろいことに、
MCが、質問者を募っても、
時間ギリギリまたは、時間過ぎてから、
人々が手を挙げ始める、という風潮だ。

休み時間は、休憩したいんだけど。。

そういった時間の後、
裏で、テンポ良い質疑応答が始まる
というのも、
日本的なのかもしれない。

しかしより顕著だったのは、
年代によって、
言葉の意味の取り方に違いがあることだ。

だから、話した内容の誤解も起こる。

昔は、厚くて重たい辞書で、
ひとことずつ訳したんだろう。

今は、即、デジタルで調べられるし、
日本人は、気軽に多くの国に行けるから、

語学は、身体で覚えられるだろうし、
感覚的に違うのかもしれない。


図書館も「行く」のではなく、
室内などで「検索する」ものになった。

それも、世界の大学に繋がることができる。

年齢に関係なく、
分からないことは、分からないと言い、
若い人たちのいい部分は認めた上で、
うまくいかなかったことを討論していければ、
私みたいな者にも、
やさしい学会になるんじゃないかな、
と思った。

いろいろな学会があるが、
この学会は、私的に非常に期待している。

よろしければサポートお願いします。大切にこれからの活動に使わせていただきたいと思います。