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〈ライアーのおてくにっく〉6. 舞台で心打つもの。

先週のグループ・アンサンブルで、
素晴らしい経験をさせてもらった。

うちうちの話は、
しないようにしているのだが、
今回、非常に心打たれたことがあり、
ひとりじめしたらもったいないので、
noteしようと思う。

1人の奏者が、
先日の発表会の舞台が終わった後、
自分の演奏に納得がいかず、
必死で練習をしたと言う。

発表会が過ぎて、2週間後に、
グループ・アンサンブルがあった。

奏者は、グループ・アンサンブルに参加し、
その機会に、もう一度弾きたい、
と私に申し出てきた。

昼も終わり、夕方近くなった。
普段、グループの最後のシメには、

シンプルな体操で身体をほぐし、
宮廷音楽のステップで脳みそをほぐす。

しかし、この日は、その体操の前に、
希望奏者のソロを聴くことになった。

奏者は、バロック音楽を弾いた。
弾き終わった後、
この時も、あまり納得のいかない表情であった。


自分が思っていない自分との出会い。
人から見た自分、自分が思っている自分。

答えのないArtな世界。

普段の自分、舞台の自分。。
理想の自分、今ここにいる自分。

どれが自分?
誰が本物?

舞台芸術は、人生を見せること。
人生のプロセスを感受し、それを表現すること。

人生の結果をつかもうと追うほど、虚しくなる。
過去の人生は、もう後戻りはできない。
芸術に、間違いのある世界はなく、
間違いのない世界も存在しない。

存在自体が存在しない。

音は、人生と似かよい、煙のように消えていく。

どんな強い感情がわいてきても、
煙には、何も抵抗もできない。


私は、ミスタッチとか、調弦とか、練習とか、
そこらへんは、あまり重視していない。

少々ズレていても、違う音をビーッと出しても、
構わないのである。

より大切なのは、

「人生のプロセスを感受して表現して欲しい」
ということである。

楽譜の通りに、
正しく、きちんと演奏することは、
ボタンひとつのAIに任せればいいよ。

人間に残され、これから人間に必要な何かを
身につけていきたい。


私は、この目の前に座っている奏者が、
この2週間、必死こいて練習したのだと感じた。

そして、グループ・アンサンブルのこの機会に、
もう一度、聴いてください、
という申し出を現実にするまで、
どれだけの勇気が必要だったかを想像した。

その素直さと勇気に、私の胸は、
いっぱいになってしまった。


指導する時、いつも生徒さんに教えられ、
療法する時、いつも患者さんに助けられる。

そして今回、グループ・アンサンブルで、
こんな素晴らしい経験をさせてもらった。

Merciだ。

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