気づいたはずなのに思考に埋まる時....
目の前に現れる人に惑わされる。
日常生活をしていると、大体がその連続と言っていいと思います。
仕事上でならば、そんな時はどう立ち回れば仕事が
上手く廻るのかを優先して、自分の言動も無意識のうちに瞬時に判断して来た私。
仕事モードの時は自分の本来の気持ちは後回し。
営業モードスイッチオン的な感じで、それでお客様にも社内の人達にも接して、効率よく仕事が廻れば
それが私の満足度にも繋がっていた。
でもやっぱり知らず知らずのうちに我慢はしてるし、無理もしていた。
今は自分軸で丁寧な暮らしをして行くようになり、
そんな中でも特に女友達について最近思う事がありました。
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でも、そんなモヤモヤした時はworkでの学びの出番です!
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core塾で学び、色々な気づきがありました。
今もまだまだ学び中ですが、約1年半以上経過し今は、新しい事を次々と学ぶと言うより、繰り返し繰り返し深まって行く....そんな感じです。
朝の瞑想とジャーナリング
最初はとにかく毎日の朝瞑想で、静かに座ると言う
習慣が身につきました。瞑想の後のジャーナリングでは、最後に必ず "宇宙、太陽、月、地球、生きとし生けるもの全てに感謝、ありがとう"
と、私は書きます。
瞑想は呼吸です。呼吸は酸素と二酸化炭素。この世にあらゆる生物がいるから循環していて、そのおかげで呼吸が出来ている。
だから 全てに感謝する。
単純なことだけれど日常では忘れがちな大切な事だと今ならわかる。
沢山のことに気づく
自分を客観視する。
今起きている事を俯瞰してみる。
思考や感情の沼にハマらない。
他者を変えようとしない。
他者をコントロール出来ない。そう感じているのは自分自身。他者は変わらない。
ジャッジしない。
自分が何故今、その人の言動にモヤモヤするのか。
何故、その言葉に傷つくのか。何故悲しくなるのか。何故........
その答えは全て自分の中にある。
自分が創り出しているだけ。
モヤモヤする事だけじゃない。
心地良い事も自分が創り出している。
自分が見たいと思うと、その世界が見えるようになる。
脳のRAS機能は、皆、認識した事があると思う。
自分が妊娠したら、妊婦さんが街中にこんなにいた事に気づく。自分がトヨタ車を買いたいと思うと、
トヨタ車ばかり目に入って来る。
私は野鳥撮影を始めたら、今まで気づかなかった身近な場所で沢山の綺麗な野鳥を見つけるようになった。
野鳥は前からいたのだ。
ただ自分が見ようとしてなかっただけなのだ。
だから、モヤモヤする事も、自分の中にその記憶があり過去に感じた感情が蘇って来てるだけ。
そこまではわかるようになった。
検証
今回検証してみるのは、上記にリンクしたある友達の事だ。
最初の頃は同じような音楽の趣味があり、お酒も好きな人だし、性格もサッパリ型で口が堅く人の悪口も言わないので、一緒にいても変な話題にはならず
それが良かった。
だけれども、付き合う年数が経過して、あまり口数が多いわけでは無い彼女の言動の端々に、違和感を覚えるようになって、私はそんな時、怒りは湧かず、悲しくなるタイプで、、、なんて言うかガッカリすると言うか。。
親しいからこそだ。。
友達だと思っていたからこそ、悲しい。
〜この人は、私と行きたいんじゃなく、連れてってくれる人なら誰でもいいんだ〜
と感じた時。。
悲しかった。
さて、学ぶ前ならこれで数日モヤモヤして、彼女から少しずつ遠ざかる。
今までは、これの繰り返しをして来ました。
でも、学びをして、それをしても又別な人が現れて又繰り返すよ。と気づいているので、彼女が云々じゃなく、自分なのだと...そこを見つめてみました。
自分の過去の経験、感情を検証して行くと、
瞬時にある点の記憶が蘇りました。
記憶
それは私が小学校2年生の時、下校時に大雨になり、傘はあるもののかなりの雨風だったのでお友達のお母さんは迎えに来ている人もいました。
徒歩20分。当時は母親が車を運転する家は少なかったと思います。うちも父親はその2年後に免許を取り車を購入しましたから、その時はまだ家に車は無かったです。
お友達のお母さん達も歩きでのお迎えでした。
私の母は迎えに来ませんでした。
迎えに来たお友達のお母さんが、自分の子供と方向が一緒の私ともう1人、合計3人を連れて帰ってくれました。☂️は役に立たず、カッパを持って来てもらえなかった私ともう1人はびしょ濡れになりながら一生懸命に歩いて帰った記憶があります。
頼れる存在のお母さんが、うちは迎えに来てくれない。強風で不安だった。。。
どの親も迎えに来なければ、あんな寂しく不安な気持ちにはならなかったでしょう。。
やっと帰宅すると暖かいリビングに母親がいて
労う言葉をかけてくれた。
あまりハッキリと言葉は覚えていないけれど
多分私は友達のお母さんが迎えに来て、途中まで一緒に帰って来た事を話したと思います。
その時に母は
行けなくてごめんね
とも言ってくれましたが、その時の私には
何故?来てくれないの?と言う思いだけが残りました。
理由は、簡単です。
生まれたばかりの妹がいたからです。
妹は可愛いかったです。毎日帰宅すると私は真っ先に妹が寝ている部屋に行き顔を見ていました。
目覚めていたら笑わそうとして妹の回りを飛んだり
跳ねたりしていました。
でも、その時小学校2年生の私には、
赤ちゃんを置いて出かけられないこと。
大雨の中を赤ちゃんを連れてお迎えに行けないこと。
それがわかりませんでした。
ただ、寂しかった感情だけが残っている。
でも、私に自己肯定感がしっかりあるのは母親も父親も愛情を持って育ててくれたからだと思っています。普段は寂しいとは思ったりしてなかった。
でも、やはり紐解いて行くと姉妹関係に絡む、特に
母親との関係は、完璧では無い事があったなあ、と
今になって思います。
私は3人姉妹の真ん中で、大人しい姉よりも小さい時から活発で元気な子でしたから、8歳下の妹が生まれてからは、無意識に母親は、どうしたって、
元気で活発な次女の私にまで手が回らないワケです。
これはずっとそうで、結局は姉が1番、母親が関わり守ったのですが、だからか?でも?なのかわかりませんが、姉は長年ずっとひとりで埼玉県から函館の実家に、ひとりで帰れない大人になってしまいました。コロナの頃は近所のスーパーにもひとりでは行けないようになっていました。
それはさておき、私の話しです。
要するに、私は母親に "私をもっと見て!" と
思う記憶が残っているがために、あらゆる場面で
それが発動するようです。
今の私にとっては、大したことではありません。
次男が危篤状態だった時、夫が病気になり看取るまでの期間の大変だった事に比べたら、どんなこともなんでも無いことです。
毎日平穏に暮らしてるので、たまにモヤるのは
こんなことくらいしか無いので、検証するには
良い勉強だと思って、自分の内側を見つめる
練習をしています。
現在91歳の母親は既に認知症でグループホームで
暮らしています。
自立心が強く育った私は、30代の頃に母親が言った言葉で、完全に親離れしています。
" もう お母さんを超えたね..."
真面目で目線の高い母からそう言われて、
ちゃんとした大人だと認めてもらえた感が
ありました。
で、、、益々、姉より強くあらねばと無意識に
思ってきた私なんだと思います。
友達については、まあ期待せず、私が誰かと行きたいなあと思った時には、又誘う相手と割り切って、
今後も交流していきます。
こう言う検証をすると、アレ?何にモヤってたんだっけ?と、問題が問題で無くなります。
ここまで読んで頂きありがとうございました😊
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