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note1周年〜その後2

前回で活字に出来た事実、想いの一部。

今回はその続きを書こう。

2021.05.02
夫が脳梗塞で左半身麻痺になった。

 夫はとても優しくてイケメンで明るくて、一緒にいるととても楽しい人だった。
私のことをとても愛してくれた。

45歳の時に重度の糖尿病発覚

 だが、、、今から14年前に初めての救急搬送。。。
 重度の糖尿病と診断された。
 45歳。
 その時の血糖値は700。。。

当時血糖値の知識もない私だったが、今思うと命があるのが不思議なくらいだ。

それからと言うもの、私は病院で栄養指導を夫と共に受け、仕事をしながらも、お弁当と夕食はカロリー計算と栄養に偏りが無いように糖尿病食のレシピを見ながら夫のために頑張った。

夫は仕事が好きだった。
一生懸命仕事をする。
技術職だったから休めず、子供達の運動会も見に来れない時もあった。

しかし
そのストレスは、お酒とタバコに依存するようになっていた。

今思うと職場でどんなにか厳しいことがあったのか、仕事でミスをしてパワハラめいたことも経験していたのだとも思う。

夫は愚痴は一切言わない人だった。

私もずっと組織の中で仕事をしてきて、
男性の社会はいまだにパワハラちっくな言葉を発っせられているのをこの目で耳で体験してきた。

自分が言われていなくても毎日聞いているとこちらも病みそうになる。

話しを戻そう。

夫は、インシュリン注射をしているにもかかわらず、タバコもお酒も止めなかった。

そして益々体調を悪くしていき、仕事にのめりこみ休日もなく、
たまの休みも一日寝ていて夜には又お酒を飲む。

私はそんな夫を見ているのが嫌になり、
一生懸命に作った食事も、結局は本人が好きな物しか食べない、嫌なものは食べないので、糖尿病食作りも止めた。
なんとなく感覚で緑黄色野菜は必ず入れる、とか、主菜は重ならないようにとかは覚えたので自分に出来る範囲ですることにした。

しかし夫はその後何度も体調を崩して入院、Icuに入ったりし会社も転職を繰り返すようになった。
技術職なので新しい職場はすぐに決まるが、無理をするので体調を崩して、、の繰り返しだった。

54歳の時に、私はその仕事を辞めて、もう少しストレスが少なくなるような仕事に、、と夫に提案した。

54歳の時に転職。そして2019.1 大袈裟。

二人の息子も社会人となり、私も頑張って働くから、夫の収入が下がってもいいから、自分の身体を大事にして欲しいと、
そう思った。

夫はその仕事が好きだったから辞めたくはなかったようだし、プライドもあったが、、、
そうこうしているうちに又体調を崩して入院。
流石に夫は職種にこだわるのはやめて、責任の軽い仕事についた。
そして
4年経ったある日、仕事中に2mくらいの高さから落ちて救急搬送。
緊急手術。
硬膜下血腫だった。

命は助かった。
麻痺もない。
が、
無気力になり、
入院と自宅療養のため足の筋力がかなり衰えた。

私は、益々仕事を頑張り資格試験勉強もして基本級も上がった。
準職員だが、朝7時に家を出て帰りは20時頃だ。
家事、家計、全て私がしていた。

夫はそれでもタバコとお酒は止めなかった。

この事故?は
次男が亡くなる1年前の出来事だった。。。


その後から現在の夫のことは、
また次回へ続きます。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

このあたりから私は自分の心身に目をむけざるをえなくなり、

幸せとは、、、との考えを自分なりに確立していくのです。


次回へ続く。

#幸せとは #悲しみ#夫の不摂生#本人次第#介護

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