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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。②(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。



 大虐殺は作り話『聞き書・南京事件』

 俗に「人の口には戸はたてられぬ」と言い、「悪事千里を走る」とも言う。
 私は南京戦の翌年の昭和十三年八月、従軍記者として武漢攻略戦に従軍するために、南京に約一か月ほど滞在し、南京の治安状況についてつぶさに視察したことがある。さらに、昭和十七年応召、一つ星の初年兵として上海の中支那野戦兵器廠で訓練を受け、南京、漢口の支廠で勤務し、最後は兵技伍長として無錫の弾薬庫で終戦を迎えた。

 従軍記者として南京に滞在した時も、南京支廠に勤務した時も、ずいぶん中国人との交友もあったが、南京城の内外で大虐殺があった、などということは、露ほども聞かなかった。 

 中支那野戦兵器廠の戦友会は、毎回百名以上集まり、今年(平成六年)で第四十一回になるが、その席上でも、『大虐殺』があったという噂話すら聞いたことがない、とだれもが言い切る。もしも、数十万人もの大虐殺があったとしたら、いくら口止めしようが、臭いものにフタをしようが、フタのしようもないはずである。

 評論家の阿羅健一氏は、産経新聞社の雑誌「正論」に、毎号『聞き書・南京事件』と題して、前述の南京陥落と同時に入城した新聞社および通信社の特派員、カメラマン等をはじめ上海派遣軍と第十軍の参謀、砲艦「勢多」と「比良」の艦長、当時南京で活躍した企画院事務官、領事官補、松井軍司令官秘書など、広い範囲にわたって、三十五人に直接面接して聞き書をとり、さらに、三十二人に電話、手紙などで連絡をとり、これを連載した。のちに、単行本として、同名で図書出版社から刊行している。

 紙幅の関係で詳述できないのは残念であるが、南京で大量殺戮を見たという人は「一人もいない」ばかりか、東京裁判の検察側証人の言うような、あの東京の世田谷区よりも狭い南京城内に、一万二千もの死体がごろごろ横たわっていたとか、ニ筋の血の川が流れていた、などということは全くの作り話であり、ましてや、許伝音証人の言うように、日本軍は隊を組んで、人を見れば射殺し、女を見れば強姦し、物を見れば強奪する、といったような凶暴なふるまいや、残虐な場面など、見た者はいない。

 従って阿羅氏が訪問した前述の人びとは、「東京裁判で初めて南京事件なるものを聞いて驚いた」というのが異口同音の声であった。これらの六十七人の人びとは、いわゆる南京事件の現場にいた”目撃者”であり、この事件の真相を証言できる生存者である。いわゆる第一級の証人である。

 阿羅氏は、その証言の重大さに思いをいたし、この聞き書の原稿を本人に見せて、”校閲を経てのちに発表した”と言っている。これらの事件現場の目撃者全部が、いわゆる「南京大虐殺」は全くの虚構であり、作り話である、と口を揃えて証言しているのである。 ( P、5~6)

※ 深田先生から本の紹介の了解を得ています。


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