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私を惹きつけた代数学の魅力 〜分類できることの気持ち良さ〜

初めまして。数学愛好家の AkiyaMath と申します。

「数学」「教育」に関して、その時々の自分なりの考えを書き残したいと思い、noteを始めました。

初投稿である本記事では、私と代数学の出逢いから現在までの軌跡を辿ることで、数学の魅力を(魅了されている私の姿を?)一緒に見てゆけたらと思います。

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代数学とは何か。

「代数学」(Algebra)の語源を紐解く

初めに、「代数学」という言葉の語源を紐解いてみたいと思います。

単に歴史を眺めたいのではありません。代数学が何を以て誕生し、発展してきたかを知ることで、代数学という分野の基本的な考え方、心を知ることができると考えたからです。

日本語では「代数学」と言いますが、英語では “Algebra”(アルジェブラ)と言います。

西暦820年、イスラム科学者であるアル=フワーリズミーが著した数学書で用いられたアラビア語 “al-jabr”(アル=ジャブル)は「移項する」という意味を持っており、「ばらばらのものを再結合する」という意味のアラビア語 “jabara” が基になっている語です。(ちなみに、アル=フワーリズミーの名が「アルゴリズム」の由来になっています。)

この数学書によって、代数学が幾何学などに依存しない形で一つの分野として独立しました。それがヨーロッパに伝わると “al-jabr” が分野名として使われるようになり、それが約500年間にわたり大学で教えられたそうです。西暦1800年代にそれが中国語に翻訳されることになりますが、それまでの発展によって、方程式などに代表されるような「数の代わりに文字を扱う分野」となったことから、その特徴を以ってして「代数」という文字が採用されました。

このようにして生まれた「代数学」という言葉ですが、西暦1900年代になるとガロア理論などに代表されるような抽象的代数学までも意味するようになります。

「代数学」という言葉は「移項」という計算規則から始まり、「方程式」という文字を扱った理論を経て、「抽象代数学」という公理的に特徴付けられた “代数的” 構造に関する学問まで意味する範囲が拡張されてきたのでした。

現代の代数学の広がりを感じる

現代の「代数学」とは「抽象代数学」を意味することが多いです。

数というモノに対してはたし算やかけ算が定義されていて、これらを数の演算と呼びます。このように、対象とする「モノ」といくつかの「演算」をセットにして考えようというのが抽象代数学の考え方です。

議論する上で、その「モノ」が何であるかは全く関係ありません!
その「演算」も公理(最低限のルール)さえ満たせば何でも良いです!

そんな、極めて抽象的な状態で議論が進んでゆきます。

抽象的であるということは、理論を適用できる範囲が広いということです。

高校数学まででも、「モノ」の候補としては整数や実数などの数、関数、ベクトル、数列、行列、曲線などがあります。
「演算」の候補としては数の四則演算が代表的ですが、ベクトルの加法や行列の乗法など、様々なものに対して新しい「加法」や「乗法」を定義することがあります。

高校数学まででも様々な「モノ」と「演算」がありますが、大学以降の数学では新しい概念が沢山登場するので、至る所で「モノ」と「演算」が出現します。

その構造のタイプによって名前が付いていて、例えば

(「たし算」や「かけ算」といった演算が1個あるもの)
(「たし算とかけ算」のように演算が2個あるもの)
(環に公理を追加し、構造を豊かにしたもの)

他にも

ベクトル空間(「たし算と定数倍」のように演算が2種類あるもの)
代数(ベクトル空間に「かけ算」を追加したもの)
リー代数(代数に公理を追加し、構造を豊かにしたもの)

などがあります。これらは代数的構造の例ですので、各々についてさらに具体例が存在します。

詳しく述べませんが、整数全体は加法と乗法を演算として「環」となります。また、実数全体は加法と乗法を演算として「体」となります。さらに、高校で習うベクトル全体は加法と定数倍を演算として「ベクトル空間」となります。

代数学の研究をするときの気持ち

そんな、モノが何であるかも忘れ、最低限のルールしかない演算による代数的構造について研究する代数学ですが、一体どのような気持ちで研究すれば良いのでしょうか。代数学について考えている人は、どのような気持ちで研究対象に向き合っているのでしょうか。

代数学では「構造」に焦点を当てているので

・自分自身の構造の複雑さを調べたり
・同様の構造を持つものと構造を比較したり

するのです。

つまり、研究対象をまとめて $${X}$$ としたとき

写像 $${X\to X}$$

を考えながら研究するのです。(写像とは、行き先が唯一つであるような「モノ」の対応のことです。)

同類のもの、或いは、自分自身を構成する「モノ」の対応を調べることで、その構造を探ります。

例えば、その写像の中には「同型写像」と呼ばれる特別な写像があって、これがあれば「モノ」が別物でも “構造は同じと見做せる” のです。この「同型写像」が存在する条件が決定できれば

「研究対象 $${X}$$ を分類できる」

というわけです!!

数学には、代数学的な思想とは別に、研究対象 $${X}$$ に対して、別の何かしらの対象 $${Y}$$ や $${Z}$$ を用意して、写像 $${Y\to X}$$ や写像 $${X\to Z}$$ を考えてゆく思想もあるということは、頭の片隅に置いておいてくださいね。

代数学と出逢い、大学院を修了するまで。

小学時代 〜かけ算の順序問題〜

私は算数が苦手でした。最初にぶち当たった壁は「九九」です。

とにかく「覚えること」ができませんでした。暗記しなければクリアできないように設定された確認テストには合格できず、小学2年生ながら放課後まで居残りをさせられたことを覚えています。

結局、$${8\times4=32}$$ は未だに暗記できていません。では、どのように今まで生きてきたかというと

1. より覚えやすく感じる 4×8=32 を覚えて
2. 頭の中で 8×4 を 4×8 と変換する

という方法を採用しています。これは、代数学的に言えば「有理整数環が可換環である」という性質を利用した手法です。

所謂「かけ算の順序問題」に関連しますね。数学的に、値として $${8\times4}$$ と $${4\times8}$$ は等しいですから、答えを求めるに当たっては何の問題もありません。但し、“学校で先生が教えた数の意味の通りに数式が書けるか” というある種の “教育的な要素” が学問的な正しさを覆している世界(算数)の場合は $${8\times4\neq4\times8}$$ となる場合もあるのでしょうが…。(個人的な見解を含みます。)

中学時代 〜パズルとしての連立一次方程式〜

そんな算数が嫌いであった私は、中学で数学と出逢っても突如として数学好きになったわけではありません。

中学1年生までは $${x+4=2}$$ という数式を

「$${x+4}$$ を計算したら、答えは $${2}$$ となる」

と捉えていました。つまり、私の頭の中で等号 “$${=}$$” は、左辺が「問題」で右辺が「答え」という対等ではない関係を結んでいたのです。

中学2年になると連立一次方程式を学びました。そこで、文章問題を解くとき、文章をそのまま立式したところ $${3x+5=y-9}$$ となったのです。これが、

“左辺が「問題」で右辺が「答え」という対等ではない関係”

をぶち壊しました。等号 “$${=}$$” が上皿天秤の支点となり、

左辺と右辺に乗っている “同種のモノ” が釣り合っている

という感覚になったのです!

これが、私の中で “数学革命” が起きた瞬間でした。それまで理解できていなかった「移項」の計算も

右の皿から $${+4}$$ をなくしたら、
右の皿が “$${4}$$” だけ軽くなるのだから、
左の皿に $${-4}$$ すれば良いじゃん!

と腑に落ちたのです。まさに、代数学の語源であるアラビア語 “al-jabr”(「移項する」という意味でしたね)が脳に浸透した瞬間でした。

これ以降、連立一次方程式をはじめ、「数学」がルールの整ったパズルのように感じられるようになりました。

高校時代 〜行列という別世界〜

高校数学には、以前は “数学C” が存在していて、そこに「行列」という分野がありました。(数学Cは2022年度から復活しますが、行列は削除されたままですね…。)

行列とは、長方形状に数を並べてひとまとめにして扱うことで、それらに対して一括で様々な操作をしてしまうことができる便利なツールです。

そんな行列のうち、正方形になっているものの中には零行列 $${O}$$ 単位行列 $${E}$$ という特別な行列があります。

これらは、それぞれ $${A+O=O+A=A}$$ や $${AE=EA=A}$$ によって特徴付けられることから、高校の授業ではそれぞれを

“零行列 O は行列の世界における 0 ”
“単位行列 E は行列の世界における 1 ”

などと説明されました。

当時は漠然と「別世界にも $${0}$$ や $${1}$$ の対応物があるなんて!」と驚いていました。この説明の背景には、やはり抽象代数学があるのです。

$${0}$$ や $${1}$$ を含む整数全体は環をなしてると説明しましたが、なんと、正方形の行列全体も環をなすのです!

詳細は述べませんが、環という構造を定める公理には「加法単位元」と呼ばれるモノと「乗法単位元」と呼ばれるモノの存在が要請されています。整数においてそれらは $${0}$$ と $${1}$$ であって、正方形の行列においてそれらは $${O}$$ と $${E}$$ であるのです!

つまり、環における加法単位元と乗法単位元が

「整数の世界に現れるか」
「正方形の行列の世界に現れるか」

という関係性にあったのです。

大学時代 〜線型代数学の価値〜

高校数学までの代数学は、西暦1900年代以前の抽象的ではない代数学でした。大学に入ると、漸く抽象代数学を学ぶようになります。その第一歩が「線型代数学」です。

線型代数学の大きなテーマはふたつあります。

(1) 行列などを用いて連立一次方程式について調べること
(2) 高校数学のベクトルを抽象化した “ベクトル空間” について調べること

特に、ふたつめが抽象代数学の入り口となります。

ベクトル空間とは「加法という演算とスカラー乗法(定数倍)という演算が上手く定義されること」のみが要請されているので、数学の至る所にその構造が登場します。数自身はもちろん、数を用いて定義されるベクトルや行列、数列、関数などによってベクトル空間を構成することができます。

そんな多種多様な分野に適用できる理論である線型代数学を初めて学んだときは、そこまで適用範囲の広がりを意識できていませんでした。

しかし、大学3年、4年、大学院と学びを進めてゆき、数理科学の広大さを感じる度に線型代数学の価値が自分の中で上がってゆきました。

線型代数学は何度も学び直していますが、その度に新しい気づきがあります。

大学院時代 〜分類できることの気持ち良さ〜

大学院に進学し、私は “リー代数” について研究を行いました。

「研究」というのは誰かに教わる勉強とは異なり、自分でテーマを設定し、自ら行動を起こして学習を進めてゆくものです。

ここまでお伝えしてきたように、私は代数学の思想と触れ合いながら数学の勉強を行なってきたため、その「代数的な構造を探る」ということに興味を持っていました。

特に、“代数学の研究をするときの気持ち” のときにご紹介したように

同型写像の存在条件を決定し、
研究対象を構造で分類したい!

と思うようになったのです。

そこで、結果が美しいことで有名な “分類定理” があるリー代数の分野において「その分類を自分なりに一般化しよう」というモチベーションでテーマを決定し、研究に臨みました。

「分類することは楽しいです。」

そう感じるのは、私が数学以前に持っている「規則正しくしていたい」という性格にハマっているからかもしれません。対象を分類して、構造別に整理整頓できると気持ちが良いのです。

この

“分類することで対象の構造を理解し、整理整頓できること”

が、私を惹きつける代数学の魅力の一つです。

最終的に、その「自分なりの一般化」に成功し、大学院を修了しました。

博士後期課程には進学しませんでしたが、私が行なった分類には類似する(一般化され尽くしていない)分類があったため、そのまま研究を進めるとしたら次なる分類を行なっていたかもしれませんね…。

「数学」との現在、そして今後…。

最後に、そんな私の現在の自己紹介も兼ねて少しお話を。

現在の活動 〜動画の投稿と記事の執筆〜

そんな私が現在行っている活動はふたつあります。

(1) 動画の投稿
(2) 記事の執筆

今までは大学や大学院の周囲にいる限られた方々と数学を行なってきましたが、これからは自由に開かれた空間で数学をしたい、発信したいと考え、このような活動を行っています。

(1)に関しては、主に大学以降の数学に関連する事柄を、興味関心に従ってYouTubeで扱っております。基本的にスライド形式です。

シリーズものとしては毎週月曜日に公開している「今週の実積分」という複素関数論(留数定理、コーシーの積分定理あたり)の動画があり、2022年3月末で継続1年になります。

本記事公開時点で、この「ハノイの塔」が最も視聴されている動画です。

良ければご覧ください。

(2)に関しては、「数学の部屋」というサイトに数学の記事を投稿しております。このサイトは、“数学を教える教師や講師が小話で使えるようなテーマを提供すること” を目的として据えています。私は、高校数学の考えを基に数学という広い世界を眺めることを意識して記事の執筆に臨んでいます。

私の執筆した記事の中でよく読まれている記事は、ゼロ除算「$${1\div0}$$」を扱ったこの記事と

ペアノの公理から「$${1+1=2}$$」を説明したこの記事です。

良ければご覧ください。


今後の「数学」と「教育」と「私」 ~夢を追い求めて~

私には “夢” がふたつあります。

「数学」に関して、私は大学では数学科に進学し、実用数学技能検定1級に合格するなど、一見すると数学にどっぷり浸かった人生を歩んできたようですが、中学時代に勉強が原因でいじめを受けるなど「数学が好きであると主張できない」環境を経験してきました。その上で

一度きりの人生なのだから、
せっかく好きになった数学に関して、
皆が自由に表現できる場所を作りたい。

そう思うようになりました。

「教育」に関して、ここまで触れませんでしたが、私は中学校及び高等学校の教諭専修免許状を取得しており、子供たちへの教育にも関心があります。学校では教科の学習を主に行いますが、それを教科の学習で終わりにしてほしくないなと感じます。「数学は役に立たないからやる意味がない」という言葉を聞くと非常に悲しくなります。「そこから何を学び、自分の人生にどう活かすか」が重要であると思います。その上で

一度きりの人生を楽しむため、
子供たちに “夢を叶える力” を
身につけられる教育を届けたい。

そう思っています。

終わりに。

今回は、私個人が代数学に惹きつけられている理由、その魅力についてお話ししてきました。

数学には多くの分野があります。「代数学」とは、それらをグループ化したもののひとつに過ぎません。他の代表的な分野である「解析学」「幾何学」などにも各々の魅力があります。

「私は数学が好きです。」

自分が何かを好きになったとき、その気持ちに素直に従いたいものです。

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