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「小西潤とジュエリー〈身体性に介入 / 介在するかたち〉」展:信じることのできる人

そこかしこで言ってきたことだが、コンテンポラリージュエリーは芸術表現や自己表現のためのジュエリーを標榜している。作品はショップではなくギャラリーで扱われることが多く、最終的に美術館での展示や収蔵をめざす作家も少なくない [1] 。

ギャラリーに関して言えば、専門のギャラリーは少ないにせよ、数あるラインナップのひとつでジュエリーを扱うギャラリーは数多く存在し、レンタルギャラリーで発表する作り手も大勢いるから鑑賞の機会には事欠かない。

では、美術館の方はどうか。ジュエリーという大きな括りでいえば、カルティエやブルガリといったラグジュアリーブランドの目にもまばゆい展示が定期的に開催されているし、ブランドでなくとも、ジュエリーや宝石をテーマにした展覧会はたびたび行われている。規模にバラつきがあるが、ここ2年だけでも、「宝石 地球がうみだすキセキ」展(2022)、「橋本コレクション展―指輪よりどりみどり」(2023)、「コスチュームジュエリー 美の変革者たち シャネル、スキャパレッリ、ディオール 小瀧千佐子コレクションより」展(2023-)などがある。

いっぽうのコンテンポラリージュエリーはというと、直近だと大規模なもので「オットー・クンツリ展」(東京都庭園美術館)、小企画展で「中村ミナトのジュエリー:四角・球・線・面」(東京国立近代美術館)が挙げられようか [2] 。どちらも開催されたのは2015年のことで、早くも10年近く経っている。

こうした現状を嘆くひとりとして、ジュエリー作家の 小西潤 が新潟市美術館で展示することを知った時は胸が躍り、これは行かねばと思った。出品される作品には過去に見たものも含まれているようだし、東京在住で出不精な筆者にとって新潟は遠い。だが、これを逃したら次はいつになるかわからない、行かないと後悔する、という強い予感はあった。それでもようやく重い腰を上げたのは会期終了数日前のことなのだが。


作品と展示構成

「小西潤とジュエリー〈身体性に介入 / 介在するかたち〉」展は、2023年11月18日(土)から 2024年1月21日(日)にかけ、他の企画展やコレクション展との同時開催という形で開催された [3]。小西潤は日本とドイツでジュエリーを学んだ作家で、プラスチック製品や大量生産の既製品を使ったジュエリーが主な代表作に挙げられる。本展に並んだのもそういった作品群だ。

小西の作品は、通路の端から端を埋めるようにして設置された4つの大きな深型ケースに収められていた。この大型の展示台によるディスプレイも、この作家の特徴的な手法のひとつである。

ケースには1つひとつにタイトルがつけられている。ひとつめは亜鉛を意味する《zinc》。亜鉛は空気や水気に晒されると腐食や変色が進む金属で、市販のジュエリーで使われることはまずないが、ここにはその亜鉛でメッキした合板製の小立体が大量に並んでいる。中には鋭く尖っていて、商品であれば間違いなく検品に引っかかりそうなものもある。言ってしまえば危険物であり、首にかけるための紐やチェーンを通すための穴があいていることで、かろうじてジュエリーの体裁が保たれている。

《zinc》の展示ケース。接近して注視すると、紐やチェーンを通すための穴や溶接痕、
作家のサインと制作年を見て取ることができる。撮影:筆者

板を接合する溶加材には金が使われているというが、溶接痕は黄色っぽい染みにしか見えず、そこに黄金の輝きはない。亜鉛も鋼も卑金属という不名誉な呼称を押しつけられた金属である。そんな卑しい金属の溶加材に、至上の黄金が貶められている。《zinc》の小さな板と板の継ぎ目には、金属界の下克上とでもいうべきドラマが展開しているのだ。

隣のケースの《C1049》は、工業素材の炭素繊維強化プラスチックを切削して穿孔した、長さの異なる黒色の円柱群である。炭素といえばダイヤモンドの主成分だが、同じ炭素のジュエリーでも《C1049》にさんざめくようなきらめきはない。

注視してみると、円柱の1つひとつに番号が振られており、それを見てやっと、タイトルの 1049 はここに並ぶ円柱の数を表していることに気づく。だが、そのあたりの説明は書かれておらず、目の前にあるのが実際に1049本なのかどうかもわからない [4]。この《C1049》にも《zinc》と同様の小さな穴があいていて、ジュエリーにすることができる。

その先の《plastic circle》と題されたケースには、カラフルな円環が所狭しと敷きつめられている。数の多さという点ではここまで見てきた2つと同じだが、1つひとつの円環はか細く、吹けば飛んでいってしまいそうなほど頼りない。これらの輪はプラスチック製品の表面を彫刻刀で削って作られているというが、適当に削ったのではこうはならない。削り屑の両端がきれいに重なった完璧な円にするには慎重な力加減が必要だ。

おそらく多くの人の目に不可解に映るのが、その隣の作品群だろう。並んでいるのは《plastic circle》と同じプラスチックの輪を繋ぎ合わせてできた7点の作品だ。そのうちひとつは1メートル超はあろうかという棍棒状の立体で、その量塊に圧倒される。ほかにも外径15センチほどのドーナツ型の作品もある。外部の資料によればブレスレットであるらしいが、その割には内径が小さく外径が大きいから、見てすぐにブレスレットだと言い当てられる人は、そうはいないだろう。

残る5点は、その大きさと形からしてブローチと思われるが、先ほどの2点といっしょに並んでいるせいで、見ているうちに確信が持てなくなってくる。思わず横からのぞき込んでみたものの、裏面にピンがついているかどうか確認できなかった。ひょっとするとこれらの作品も、紐か何かを通すことを想定しているのかもしれないが、そもそもタイトルが《plastic circle objects》とされていて、ジュエリーだとは明言されていない。

《plastic circle objects》と題された7点。奥は《plastic circle》。撮影:筆者


抜け落ちている「いい塩梅」

本展に並んだ作品はどれも、すぐさまジュエリーと呼んでよいものか迷ってしまうものばかりだ。つまり、ジュエリーとしてのいい塩梅にあたる圏域が抜け落ちている。ここでいう「いい塩梅」は、ジュエリーに対して多くの人が抱く一般通念のようなものをさす。言うなれば、どのような姿形をしていて、どういった素材であればすぐにジュエリーだと認識されうるかとか、どの程度の重さや大きさなら身につける上で快適かとか、そういうようなことだ。

ジュエリー作家は、そういった一般通念からの「外し」をやり、いわばバグを起こす。ある意味、そのバグがどのようなものでどんなふうに引き起こされているかに、その作家のジュエリー観や個性が出るとも言える。小西のバグの起こし方はちょっと変わっていて、一般通念から逸脱してそこで何かをやるというより、通念の外に出たらナイフを突き立て、そのままぐるっと一周し、その通念ごと真ん中をストンと落とすようなやり方をする――個々の通念の内容ではなく、そうした通念の存在が問題なのだと言わんばかりに。


本展のビジュアルには、小西の仕事を象徴するようなドーナツ型の立体が用いられていた。
撮影:筆者


彫刻的風景の創出

本展で興味深いのは、ジュエリーの展示でありながら、展示台の上に広がる景色が彫刻であることだ。ジュエリーを小さい彫刻だとか、身につけられる彫刻だと考えること自体は目新しいものではないし [5]、説明もいらないだろう。ジュエリーもまた造形物として完結したひとつの立体物であり、それゆえ彫刻であるという、いわば彫刻の中にジュエリーを組み入れようとする理屈である。

だが、本展で起きていることは、それとは質を異にする。つけられる状態の一歩あるいは数歩手前の立体と、もはや彫刻そのものの立体とを並置し、それをジュエリーの名のもとに束ねている。これは彫刻の中にジュエリーを組み入れるというより、彫刻の方を半ば強引にジュエリーに引き込むような力技である。筆者には、小西の作品に働くこの特異な力学に、ジュエリーと彫刻との関係性を新たな視座から結び直す可能性が潜んでいるように見える [6]。

台座の用法にも、彫刻との共振が読み取れる。本展で用いられているような深型ケースを台座と呼ぶには無理があると思われるかもしれないが、こうしたケースもまた、作品を作品たらしめる装置であることに変わりない。この演出装置としての性格は、小西が時に、大量生産の既製品を使った作品を、同じく量産品の定番パッケージであるブリスターパックで包装することと対比してみると一段と鮮明になる。

同じ作品が、高尚な美術の制度の上に鎮座するいっぽうで、量販店や百円ショップ的な包装をまとって作品提示の両岸を行き来する。小西はこうして、制度や演出のまやかしを巧みに使いわけ、ジュエリー=高級消費財というひとつの価値観の転覆を図りつつ、芸術品や美術品というもひとつの高級品の価値のくびきからも器用にすり抜ける。

見せ方という点で言えば、ジュエリー、とりわけコンテンポラリージュエリーを展示することの難しさも感られた。今回並んだ小西の作品はどれも、ディスプレイこそ大がかりだが、個々の作りは緻密で、接近して注視することが求められるものばかりだ。しかし、作品に鑑賞者を接近させるのは思いのほか難しい。筆者はほかの来館者と比べてかなり長く小西の作品付近をうろついていたが、その間、時折ケースをのぞく人はいても、じっくり鑑賞する人の姿はほぼ見られなかった。

その理由を、人の往来を目的とする通路という場に置かれていたことのみに帰することはできないだろう。筆者は来館中、複数の企画展とコレクション展を見て回ったが、客層も混み具合もそれぞれ異なっていた。けっきょく美術館を訪れる多くの人は「見たいもの」を見に来るのではないか。だとすると、コンテンポラリージュエリーのように知名度の低いジャンルの場合、展示室に置きさえすれば多くの人にきちんと見てもらえるとは言い切れない。ならば、少なくとも大勢の人の目に触れる通路という空間を使った展示は、ひとつの有効な解であるのだろう。

むろん、筆者が在館していた時間だけで安易に結論づけることはできない。そもそもこれは、個別の展示の問題というより、コンテンポラリージュエリーの展示様式や展示の数の少なさに由来する問題である。

小西の作品にかぎらず、コンテンポラリージュエリーを一歩踏み込んで鑑賞してもらうには、文字通りの意味で鑑賞者を接近させるための戦略が必要になる。同時に、コンテンポラリージュエリーに特化した展示だけでなく、美術やデザイン、工芸の潮流の一部として紹介したり、他分野とリンクさせて新たな文脈構築をもくろむような、より大きな枠組みの展示が行われることも必要だ [7]。いずれにせよ、コンテンポラリージュエリーが閉域でいる時期はとうの昔に過ぎている。


展示風景。中央に写っているのが《C1049》。冒頭の写真はそのクロースアップ。
撮影:筆者

信じることのできる人

ここまで述べてきたことを踏まえて筆者なりの見解をひとつ引き出すならば、小西はその仕事を通じてジュエリーを固着した見方から解放している。

ジュエリーが何かに固着される時、その対象がぜいたく品や高級宝飾品であるとは限らない。この固着は「自由な発想」のもとで作られるとされるコンテンポラリージュエリーにおいても起こりうる。コンテンポラリージュエリーは、作り手のジュエリー観が反映されるジュエリーである。実際そこに面白みがあり、見る側はその作り手の視点を通じて新たな見方を獲得する。だがそれは、ひとつの見方から別の見方へと、ジュエリーの固着先が移行していると見なすこともできる。

作家が自分なりのジュエリー観を持つ以上、このジレンマから逃れられない。小西はそのジレンマの圏外にいるからジュエリーを自由にしてやれる。いやむしろ、ジュエリーは自由なものだと信じているから、その圏外にいられるというべきか。そこには、ジュエリーとジュエリーを見る人、ジュエリーを手に取る人への全幅の信頼がある。私には、信じる力がまだまだ足りない。ひょっとすると多くの作家もそうかもしれない。

ここでは本展の出品作に話をしぼったが、いつか機会があれば、そのほかの作品も含め広く論じてみたい作家である。

脚注:
1.美術館での展示や収蔵には、装着されてはじめて本領を発揮できるジュエリーという媒体ならではの矛盾やジレンマもある。そのため、誰かの手にわたり身につけてもらうことに重きを置く作家も少なくない。本稿で取り上げた小西潤も「最終的に身に着けてもらうこと」をめざしていると述べている。

2.過去に美術館で行われた主なコンテンポラリージュエリー展には、「今日のジュエリー 世界の動向」(1984)、「日本の作家30人による コンテンポラリー・ジュエリー」(1995)、「ジュエリーの今:変貌のオブジェ」(2006)など国内外の動きを一望する大規模なグループ展に加え、「トーネ・ヴィーゲラン:ノルウェーの現代アートジュエリー」(1997-1998)、「かたちのエッセンス - 平松保城のジュエリー」(2008)などの個展がある。こうした展覧会は展示内容だけでなく、図録の資料性の高さも忘れてはならない。とりわけ学芸員ら有識者によるテキストは、言説の蓄積に乏しい日本のコンテンポラリージュエリーにおいて、数少ない貴重な資料となっている。こうした展示の継続的開催には、コンテンポラリージュエリーに関心と造詣の深い学芸員の存在とその育成を欠くことはできない。同時に、たとえば服飾分野における京都服飾文化研究財団のような、専門的な研究機関の発足も待たれる。

3.新潟市美術館では同期間中、企画展として小西展の他に「少女たち 星野画廊コレクションより」「あしたもアイドル Negicco のアートワーク」「芸妓が近代 新潟花街文化研究」「一九一五年・新潟美人総選挙」、コレクション展として「画家カリエールをめぐって」が開催されていた。

4.小西によれば、1049本を目標に作ったわけではなく、完成したものを数えたら1049本あったという。また、一部は販売済みであることと、展示に使うことのできるスペースの都合から、本展に出品した数はそれより少ないとのことだった。

5.「日本の作家30人による コンテンポラリー・ジュエリー」の図録内で樋田豊次郎は「いわば、ジュエリーを小さな抽象彫刻と見なす視点が生まれてきたのだ。それがいつだったのかはっきりしないが、およそ1970年代末ごろからのことだったと思われる」(15頁) と述べている。

6.ここでいう新たな視座はふたつある。まず、単なるひとつの完結した立体物「ではない」ジュエリーを、やはり単なるひとつの完結した立体物「ではない」彫刻と比較検討できないかというものである。そういった実践の多くには、ジュエリーとは何か、彫刻とは何かという根本的な問いかけがある。造形的近似からではなく、そういった問いかけの姿勢を足がかりに、彫刻とジュエリーとの結節を探ることはできないだろうか。それによって、より高い解像度で見えてくることはないだろうか。小西の仕事はたとえば、同年に同館で個展を行った美術家の冨井大裕の仕事に通じるものがあるように思われるが、その通じ方は、造形を超え、分野や領域に対する問題意識を経由したものである可能性はないだろうか。さらに、小西を含め、赤津彰夫、小林真一郎といった、伊藤一廣を中心とする一部の作家の仕事は、これまでほとんどもっぱら広義であいまいな「現代美術」との結びつきによって語られてきたが、彼らの仕事を、彫刻という文脈で再考してみることにも個人的にそそられる。加えて、ここ数年の彫刻界では、彫刻の門外漢である筆者がたまに覗くだけでも、彫刻を何かわからないものとしていったん括弧に入れて検討し直すような取り組みが行われており、たとえばフィギュアや置物を彫刻との関係性の中で捉えようとする試みもみられる。そこにおいてもまた、ジュエリーや根付と彫刻との接続可能性はないだろうか。少なくとも、自分たちが何をしているかを自己言及的に見つめ直し、周辺の事象を広く見渡して検討する態度は、揺籃期から一貫してジュエリーとは何かを問いつづけ、近隣分野との接近や摩擦を通じて発展を遂げてきたコンテンポラリージュエリーと重なるものがある。

7.こうした、より広い枠組みにおいてコンテンポラリージュエリーやその作家を紹介した展示の例には「オランダのアート&デザイン 新・言語」展(2010)、「SPACE FOR YOUR FUTURE - アートとデザインの遺伝子を組み替える」展(2007-2008)がある。


主な参考資料:
樋田豊次郎「女性の所有物でなくなるジュエリー」『日本の作家30人によるコンテンポラリージュエリー』東京国立近代美術館、1995年
Florian Hufnagl (Hg.), Des Wahnsinns fette Beute: The fat booty of madness, Munich: Die Neue Sammlung - Staatliches Museen für angewandte Kunst und Design, Stuttgart: Arnoldsche Art Publishers, 2008
冨井大裕『今日の彫刻 冨井大裕―Motohiro Tomii:Sculptures』水声社、2023年
「わからない彫刻 公開研究会4ー彫刻を考える2(フィギュア、置物、銅像と彫刻)」(2022年10月12日開催。登壇:石崎尚、木田拓也、gnck、小田原のどか、保井智貴、留守玲、司会:藤井匡)
藤井素彦「それ自体を含まないもの 小西潤を介して
藤井素彦「小西潤と絶対の穴

※本稿は2024年3月23日に公開したものを加筆修正し再掲したものです。


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