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「花の娘の園」改(ちいさなお話)


 どこでもない、だけど、どこでもある。そんな場所。そこには三種の花の娘たちが育ち、そして咲いては枯れていく。大人たち側の関わりや、子供たちの残酷さや粗暴さには興味を持たないように遺伝子に組み込まれているかのように、けしてこの場所のことを意識にいれることはない。

 ここに入ることが出来るのは、ここを、ここに生きるものをけして排したりしないものだけだった。その一人である私は、この場所に長く通い続けてきた。

 この場所は小高い丘の裾野に位置しており、そこに三角形のような形で微かに盛り上がったような場所として存在している。大人なら手をついてなんとか大きな三歩で上がるだろう。

 私がここへ出入りし始めたときは、ずっと子供だった。子供というよりも幼児と言ったほうが正直かもしれない。母は祖母に私を預け仕事に向かい、祖母は大自然に私を預けた。

 私はこの場所に毎日のように通ったのだ。

 祖母のお握りをもって、水筒を肩掛けにしてもらい、「危ないところへはいってはいけないよ」という祖母の言葉に神妙に頷いた。おおらかな時代とのんびりとした祖母だったことが、私をあの場所へ通わせてくれた。

 あの場所に上るとき、私はそれほど苦労をしなかった。どうも後ろから噴き上がる風が私の尻を押してくれていたようだった。下草を掴んではするりするりと、私は猿のように勾配のきつい坂を登ったのだった。

 上に着いてしまえば、そこはもう平らな土地であった。草が生い茂っているわけではない。距離を保ち、幼児の頃の私の肩ほどの花が点々と咲き続けていた。色や形は様々で、これらで色水を作れたなら、いったい何色の色水を作られるのだろうと想像したものだった。もちろん、ここでのそういった行為はしてはいけないと最初に上った時に花に聞いていた私は、頭に思い描くだけにしていたけれど。


 私が最初に出逢った花は、頭に若木の生えた種類の花だった。おだやかな微笑みを浮かべ、ゆったりとした動作で私の前へとその高い背を折った。迷子なのかと聞かれ、祖母に外で好きなだけ遊んでくるように弁当も持たされてきたことを告げた。私のあまりの動じなさに、花はころころと笑い、それならばここのことを教えてあげよう、と言った。ここで遊びたいものは、守らなくてはならないことが幾つかあるのだと。私は花の細長い手を無意識にとった。母や祖母にするように。花の手は、若い木のつるりとした感触がした。それなのにどこか温かくも感じ、人にはない固さのその手に、どうしてか安心するような気持ちになったのだった。

 花はそれにも笑い零し、私を誘って深い方へと歩き出した。足元は長い木の皮のようなもので見えなかったが、かさりかさりとその中は鳴っていた。

 花はこの場所を奥へ奥へと入りながら、その間に通り過ぎる幾つかの花たちを紹介してくれた。

 最初に出逢った花は、私よりは大きいけれど、まだ子供のような大きさの、頭自体が花となった花。草のワンピースを揺らし、数本で駆けて行ったのに出くわした。

「あれはね、あなたたちの世界のタンポポのように咲き散るのよ」

手を繋いだまま花と言った。タンポポ、という近しい植物に、私は親しみを沸かせた。いつか咲くところを見たいというと、花は

「とても喜ぶわ。みんな一斉に、そして一気に吹き散っていくから、きっとみにおいで」

と言った。微笑んだままで。その光景を思い描き、私はわくわくとした目を向けて頷いた。

 次に遭遇したのは、さっきの花頭の花よりは大きいけれど、私の手を引く若木を乗せた花よりは背の低い花だった。人であれば目の在る場所に二対の白い蕾を突き出している。人の顔ならば存在しているだろう鼻や口、耳などは存在せず、きれいな卵のようにつるりとしていた。頭を細い草が垂れ流れ、私はそのとき自分の知っている緑という種類があまりに少なかったのだなと感じた。それがそのまま肢体に流れていた。美しい緑のドレスのようなそれに見惚れていた。

その花は、珍しそうに私のほうを見た。いや、蕾が刺し込まれているので、実際にどうなのかは分からなかったが。それから、頭に若木を乗せた花に、そっと頷くような動作をして通り過ぎていった。通り過ぎるとき、その花からはとても青々しい香りが漂った。けして草をちぎって飛び散る匂いではない。爽やかな、草原を浚ってきた新鮮な光の匂いだった。

「行きましょう」と手を頭の上に若木を乗せた花に促されるまで、私はその花が去っていくのを見送っていた。

「あの花も咲くの」

私の問いに

「ええ、咲きますとも。花は咲くものです」

「どんな様子なの」

「あれは一本ずつ咲きます。季節は問いません。決まりもなく、咲く時期の来たものから。その花の周りに同じ種類の花たちが集い、あの草を揺らして音楽を奏でます。それに乗って咲くものは踊り、ゆっくりと姿を光の粒子に溶かし、背の高い花に変わっていくのですよ」

「何色の花が咲くの?」

「さあ。それは咲くまでは分かりません。だからあの花の蕾はすべて白いの」

「へぇ」

私は問いへの答えに満足して、花の手を大きく揺らして歩いた。それからも幾度か花たちに出会い、同じように別れて私と若木を頭に乗せた花は最奥であるらしい大岩の場所へと連れて行ってくれた。その大岩はつるりと丸く、けれどやさしさよりもゾウやキリンを横においても存在感を感じさせるものだった。

「すごい岩だね」

 言った私の手を放し、花はその場に私を座るように言った。足を抱えて座ると、下草がちくりちくりと私をさしてくすぐった。

 頭が若木の花は、私から少し離れ、くるりくるりと回りだした。スカートのような薄い木の皮がふわりと浮かぶ。その瞬間、花は音も立てずにその場に座ったのだった。

「すごい。お姫さまみたいね」

 手を叩く私に、花は笑いながら手を一緒に叩いてくれた。私は

「触ってみてもいい?」

と聞き

「どうぞ。だけど触るだけよ」

という花の言いつけを守り、指先で静かに摘まむようにして、その木の皮に触れた。やわらかいけれど、蝶の翅のようではない。確かに木の皮なのを確かめ、私はまた静かに指を離した。

「ここは特別な場所?」

「そう。私はここで芽を吹きます」

「この岩がお父さん?」

「そうかもしれません。私たちは、この岩傍で芽吹き、咲き、そして花を実らせて落とします」

「おとす? 他の花たちも?」

「いいえ。私たちの種類だけ」

「あなたはどんな風に咲くの」

「見上げてごらんなさい」

 花が手で私の視線を動かした。頭上。そこには背の高い木が枝を広げ、そして数は少ないけれど、光のような花をつけていた。枝は遥か遠く、その花がどんな形をしているのかは分からなかったけれど、微かに降ってくる香りのやさしさと、光の加減できらりと反射するような色であることは分かった。

「あんなきれいな花を咲かせるのね」

「そうね」

「でも、木になっちゃうのね」

「そうね」

「お話はできなくなるのね」

 この花にすでに懐いていた私は、そうしてがっかりとした様子を隠すことなく花に告げた。花は首をそっと横に揺すった。今も少し茂る若葉がカサコソと音を立てる。

「言葉をかえすことはできないけれど、聞こえるのよ。だから私が咲く日にはやってきて、そしてどこに根を下ろしたのかを覚えていればいいわ」

「ずっと聞こえる?」

「ええ、あなたがおばあちゃんになった頃では、私の方が良く聞こえるようになっているでしょうね」

「よかった」

 私はほっとして、小さく鳴いた腹の虫を抑えた。花はにこにことし、私はそこでおばあちゃんのお握りを食べた。お茶も飲み、花にたくさんの話を聞いた。そして時間が過ぎていくうちに、この場所全部に響くような、澄んだ音が鳴った。花は黙り、そして

「あのね、この音はあなたたちの世界の夕暮れの少し前に鳴るのよ。夕暮れは帰る時間なのでしょう?」

「そう。大変。おばあちゃんが心配しちゃう」

 ここまでの道のりは、少しという時間で帰れるような気がしなかったのだ。しかし花は微笑んで

「大丈夫。真っ直ぐに行けば帰りはすぐに出られるのよ」

と言った。私は空を仰いだが、ここでは木々の明るさで少しも夕暮れの気配を感じないのだった。けれど、花が言うのだからそうなのだろう、とすでに全幅の信頼を置いていた私は、さよならを言い、また会いここへ来ると言って走った。花を背にすれば、来た方向だと思って。私の身体は軽かった。時折すれ違花たちにも手を振ってみた。振り返してくれるものもいれば、素知らぬ様子の花もあった。

私はその全てを心に包み、森を出た。そして全速力だった私は、この場所の終りが急な斜面であることを、はみだしてやっと思い出したのだった。

 宙を掻いた足。しまったと背中に冷たい汗が一気に噴き出し、やってくる痛みや、祖母、そして母になんと言い訳をしようかと頭をふる回転させていた。しかし、思っていたような衝撃はこず、ころりんとでんぐり返しをしたような様子で地面へと座り込んでいたのだった。驚きに目を大きくしながら仰いだ空は、さらに驚くことに真っ赤だった。さっきまでこんな空気はなかったはずだったのに。赤々と頬を染めるように燃えた夕陽が私を見ていた。

 私はその後急いで祖母の家に戻り、夜遅く、母に手を引かれて家へと帰ったのだった。

 誰にもこの場所の話はしなかった。すれば次はあの大岩には行きつけないような気がしたのだった。

私は何食わぬ顔で翌日も母の手を引いて祖母の家に向かい、そして祖母に催促して弁当をこしらえてもらい、水筒を自分で肩掛けにし、あの場所へ、あの花のところへと向かったのだった。

花はどうしてわかったのか、私の上った側に立っていてくれ、また一緒に大岩へと歩いた。

私は自分のことをたくさん話し、花はその度にかさそこと枝の葉を揺らしてくれた。


若木の花が咲いたのは、私が小学校へと上がる頃だった。

その頃の私は、他の花たちの咲く場面もいくつも見て来ていた。どの花も、同じ花の様子でも、何度見ていても、その姿は凛として果敢さを持ち、そして美しかった。

私はその全てを、若木の花の側で見てきた。私は花の手を握り、花は小さく私をその木陰に入れてくれて、カサコソと鳴らしてくれた。

若木を頭に乗せたその花が、咲く、と告げたとき、私は心の中で大きな音が鳴ったのを聞いた。ちょうど私が小学校に行くことになったため、もう毎日のようには来られなくなると言ったあとだった。

花は変わらず静かに話しをしてくれた。若木を頭に乗せた花というのは、ゆっくりと足裏から根を伸ばしていき、数日を掛けて表面は木の皮で包まれていくのだと言った。そして花を咲かせることができるのは、実はさらに数年を要し、きっと私が小学校を卒業するほどの年月を掛けるだろうと言った。

「高く高く木々を伸ばし、花を咲かせるのよ」

「その花は落ちるっていってたね」

「そう。それは花頭の花が拾い、大岩に蕾を目にした花が捧げてくれるの」

「持って帰っちゃ駄目なの」

「ええ」

「いっこも?」

「一個でも、花は、ここでしか咲いてはいけないの。誰も持ち出さず、何も持ち込まないから、ここは今もあるの」

「そっか」

 私はがっかりしたような顔をしながら、それよりも聞きたいことがあった。

「あのね、私が話しをするのは、どこを見て話せばいいの?」

「どこ?」

「お母さんが、話をする時は目を見てね、って言うから」

「ああ。そうね、今立っている時に目を合わせるあたりを、見て頂戴な」

 私は神妙に頷いた。

 私は小学校に行く練習やら、制服を揃えたり備品を買うのだったりと母に連れ回され、しばらく祖母に預けられない日々を送った。

 入学式を数日前に控え、やっと用意の諸々が母の安心する量に達し、私は祖母の家に来ることを許された。

 祖母はお握りを握りながら、「学校にあがっても、いつでも来なさい」といった。しかしその言葉に寂しさを嗅いでも、私はただはやくあの花に会いたいという気持ちに急かされ、気づかないふりをした。私は返事の代わりに頷き、祖母の弁当と紐が少しきつくなった水筒を持ってあの場所へと向かった。

 花は、若木の様子に落ち着いていた。その場所はあの大岩のそばで、まだうっすらと顔の形や、胸のあたりに重ねられた手が見つけられたが、それは私だからだと思った。他の誰が見て、これをあの花だと言い切れるだろうか。私だけだ。わたしだけだと、つよく胸に言い聞かせた。

 私は小学校の用意というものの大変さや、母の突然の神経質な様子に辟易していること、けれど小学校という場所もまた、不思議そうで大層楽しみなのだということ、そして、今度からは長い休みではないとここに来られないだろうということを話した。

 花は、変わらず若い葉を笠こそと揺らして聞いていてくれた。

 私はそこで弁当を食べ、水筒を干した。


 あの日々から数年経って、私はあの花の咲くところを見た。あの頃と違い、自転車でこの場所へとやって来る術を手に入れた私は、昔よりは数を減らしたが、学校の用事や母との約束の無い時にはここへ通った。

 花は、まるで私を待っていたように咲いた。そして落ちてきた。くるりくるりと、あの座るときに回っていたように。まだ他の大きな木の花よりも一回りも二回りも小さな花だった。私の手の中に降ってきたそれは、薄紅に縁取られ、それが橙を煮詰めた色になり、やがて鮮やかな黄色に変わった。そして中心はやはり輝くような光を湛えていた。その一点、深く深い闇の色に、私は思わず見入った。欲しいと、欲が声を上げ、そして粛々とその欲を締め上げた。

 私はゆっくりと呼吸をし、花の香を体が覚え込むことを願った。そして、側によってきた花頭の花に、手の中の花をうやうやしく手渡した。それが目に蕾を挿した花に手渡され、ふわりと、それは大岩の上へと投げていかれた。その方向を見守りながら、私は涙を流していた。

 私が花を手にしたのは、そのたった一回のみだった。

 あの見事な花は、私の心に全てを閉じこめている。

十代の後半に差し掛かったころ、私は、ふとある思い付きに捕らわれていた。

あの最初のとき、若木を頭に乗せた花は言ったのだ。この場所から何も持ち出してはいけない、と。だとしたら頭のだけだとしても、この花を持ち出している私はいいのだろうか。もしかしたら、あの場所で朽ちることこそ、

そしてあの花の養分になることこそ、正当なことなのではないか、と。

 夜になると窓を開け、学校にいればその方向を意識し、私は考えてしまうのだ。

 やはり私は_。



     2024・6・7 とし総子

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