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『花の娘の園』(短いお話)


 私が越してきた地域には、不思議な土地が存在する。
その土地は私の暮らすアパートのすぐ隣にあり、まわりをフェンスで囲われているわけでもない。ただ、少し小高くなった土地の上に、背の高い花が咲き乱れ、誰の手も入っていないはずはないと思うのに、そこを手入れする人の姿を、私は見たことがなかった。そこはとてもうつくしい場所なのだ。そして、不思議な。
ご近所さんとのお付き合いに苦痛を感じない私は、古くからアパートに暮らしている人たちに、お菓子やお茶などを頂きながらその土地の話を聞いたのだが、どうにも頭が追いつかないような場所のようだった。
 まずその場所には持ち主がいないのだという。そんなことが今の世の中であり得るのかと、市役所に出向こうかと何度も思ったが、その度に小雨が降り、私はその調査を断念していた。
 二つとなりの吉行さんの話だが、あの土地は別に呪われた何かが祀られているとか、禁足地だという場所ではないのだという。子供の頃からこの辺りの地域に住んできた吉行さんの話によれば、クラスに数人はあの場所を遊び場にしている子供がいたという。それを別段親が叱ることもなく、学校での禁止事項にも入れられていたことはなかったという。そしてそれは吉行さんのお孫さんの話によっても、同じらしいことが分かった。吉行さんのお孫さんの華ちゃんは、あの土地に入りたいとは思わないが、別段嫌ってもいないのだという。しかし、華ちゃんの仲のいい友人がひとりあの土地をとても好きだから、近いうちに行くことになるだろう、と言っていた。
 私は思い切って、華ちゃんへのお土産に持ってきたポテチを食べている彼女に頼んでみた。
「それに私も付いて行っちゃいけないかな?」
「駄目」
 それは電光石火の速さだった。私は一瞬目の前にいる子供が、華ちゃんだということを忘れた。
「どうして?」
なおも聞いてみたが、そこから華ちゃんはただポテチを口に運び続け、そして最後の仕上げに舌で指先を舐め上げ、
「入りたいなら、自分の責任で入らなきゃいけない場所なの」
といった。
「それは、一緒に行くって覚悟じゃだめなの?」
「駄目」
 彼女の眼は本能だった。これは従うしかない。私はすごすごと彼女に麦茶を渡し、「話、ありがとう」とテーブルを立とうとした。それを小さな手が引き留めた。中途半端な恰好になった私は、彼女の子供の目を見つめた。
「何?」
「どうしてひとりでいってみないの?」
「え・・・」
「だって、知りたいのなら、おばあちゃんの家になんて話を聞きにきたり、下の大家さんに聞きにいったりしなくたって、すぐ隣なんだから、自分の足で入ったらいいじゃない」
「だって、何かいたら嫌じゃない」
 私は思わず年の近い友人にするような、砕けた話し方で少女の前に座り直していた。
 彼女は足をくずし座り直した私に、頬杖をついていった。
「何かいるに決まってるじゃない」
 
 
 彼女の言葉は、真実だった。いや、事実だった。誰の眼にもずれることのないだろう事実だ。
 私は彼女のあまりにすとんとした答えに勇気をもらい、まさか晴れるとは思わなかった翌日、隣の土地に足を踏み入れたのだった。
 そこに入るには、まず小高い土地に足を上げ、そっと両手で背の高い花のついた植物を掴み、自分の身体を持ち上げなくてはいけなかった。そしてそこからは、持ち上げてくれた植物をかき分けて中へと入っていく。そんな腰までを植物に覆われる状態が、暫く続くのかと思ったが、それは誰かが通ることを前提にしているように配置されており、まるで人口物の匂いのしない景色なのに、とても奥へと進みやすくなっていた。いや、どちらかというのなら、ここに感じたのは人工的というのにはあまりにもやさしい心配りの在り方だった。それぞれが生きている。その生き方が誰かと譲り合えるように生きたい。そういう思いの繁殖の仕方だった。
 背の高い花はそのまま少し続いた。色は様々で、何色かを織り交ぜたものが多くあったが、一色で気高く咲いているものもあった。いったいこれはなんという植物なのか、思わず現代の利器を取り出しそうになったが、私の手は、それを何故か頑なに拒むのだった。
 もう少し進むと、若木ほどのものから立派な大樹と呼べるようなものまで、うつくしい樹々が立ち並んでいた。その枝々にも美しい手のひら大の大きな花弁を持った花が咲き誇っていた。それが香るのか、そのあたりは甘く、空気の色を僅かに変じてしまうような香りが立ち込めていた。私はその香りを自分に降りかけてもらうように少し上を向いて歩いていた。それがいけなかったのだ。
とん、と軽いナニカが太腿のあたりにあたった。それは黄色く、細い花弁に覆われた頭を持ち、深すぎる緑の草のような、葦のようなものが両手の位置にあり、もう少し黄色味が柔らかそうな同じもので覆われたワンピースの形の胴体を持ち、そしてそこからは、やはり深すぎる緑の草のようなものが足として生えていた。
 私はすとんと足の力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。驚きと、興奮。それが頭と胸で暴れ回りながら、私は目の前にいるそれの奥にも、また不思議なものがあるのを見た。
 そちらは青緑を、白で薄く薄く伸ばしたような肌を持ち、眼球があるはずの場所からは、いくつもの小さな蕾が付きだしていた。形的には人間に近いような気がしたが、その顔には眼球の代わりのような蕾以外の飾りは何一つもなかった。そして、うつくしく長く伸びた髪の毛のようなものが、頭が花のナニカよりも、背の高い体を覆う様に垂れていた。
 少女、のように見えた。私にぶつかったものは十歳か、それよりも小さな。そして奥のものは十五か十七歳くらいまでの、少女に。頭は花で、眼球を蕾に挿し替えられてはいたけれど。
 花が頭のナニカは、どうやら座り込んだ私を心配しているようだった。小首を傾げるように揺らし、そして体も小さく右へ左へとタップを踏むように軽く飛んでいた。そしておそらく、奥の眼球が蕾のナニカに、どうしたらいいのかを訊ねているようだった。  
まるで姉妹のようだ。
 静かに二つのナニカを見つめていると、ふわりふわりと上から花が落ちてきた。それは立派な桃色の縁取りと、奥にいくに従って黄色が鮮やかに深くなり、その更に最奥には金が光るようだった。今まで手にした花というもののなかで、これ以上はあっただろう。両手の中の、どこか温かみすら感じるその花を見ていると、私はどこからか力が湧きだすような気がした。それは両手を通り、腹を下がり、両の足の裏まで通った。ああ、私はもう立てる。ただそう理解できた。私はその花を潰さないようにと、片手にしっかりと形をつくって花を乗せ、片手で体を支えながら立ち上がった。
 これはこの土地の助けなのだろうか。
 そう思って見上げた梢は柔らかに揺れていた。
「きれいだな」
 こぼした言葉に、さっきとは違う風が吹いた。あたりを見回すと、頭が花のナニカが数体、そして眼球の代わりに蕾をもつナニカが十体ほど、奥より姿を現わしていたのだった。
 私はまた腰を抜かしそうだったが、手の中の花のお陰でそれは免れた。
 あまりに一斉に出てきたナニモノかたち。その勢いに、私は、これはこの土地が私に出ていってほしいのだろう、と考え、来た方へと後退ろうとした。しかし、それは違ったらしい。
 すっと一体の、眼球が蕾のナニカが踊りだしたのだった。そこに明確な音楽は無かったが、周りに立つ木々の梢の擦れ、落ちる木漏れ日、そして他に立つ大勢の眼球の代わりに蕾を持つナニカたちの、長い髪のようなものの揺れ、それらが、ささやかなハーモニーを造り出していた。
その踊りは、まるで自身の全てを与えるような仕草の連続だった。両手を伸ばし、地面へ、空高くへ、風に寄り添い、周りのすべての生きるものに感謝を伝えるものだった。
 ナニカ。その生き物かもわからないものを、そう呼ぶ私にさえ、それは伝わり、感謝を私はただ与えられていた。
 長い髪のようなものは、くるりと可憐に回るたびに少しずつ光へと溶けていった。手の平や首筋、鎖骨、足の様々な部分が、それに合わせるように色を発散させていった。その中で、唯一生き生きとしていったのが眼球のかわりの蕾だった。それは頬の内側でそっとその茎を伸ばしていき、くるりくるりとその爪先が土を掻く先へと自らの生命を伸ばしていったのだった。
やがてうつくしい踊りが終わる頃、そこにはこの土地に足を踏み入れた時に最初にみた、背の高い花の姿があった。
 それは何かの儀式だったのか、この者たちの日常の姿なのか、見事な花の蕾を抱えた植物へと変じると、周りでハーモニーの一端を担っていた、眼球の代わりに蕾を持つ者たちは、そっと、その場を去っていった。
私に最初にぶつかった、頭が花のものは、まだもじもじとそこにいたので、
「このお花、私がもらってもいいかしら?」
と手の中に抱えていた花を見せて訊いた。
 すると頭が花のモノは、頭を横に振って見せ、申し訳なさそうにその細い草の手を、私に差し出したのだった。
「そっか。残念」
 彼女の手の中に慎重にその花を見送った。
「ねぇ、でも、またここには来てもいいかしら」
 私からしっかりと花を受け取った彼女は、
嬉しそうにくるりと回って見せた。その時、その子の花の頭に、数本の白い綿毛を見た。
 私は「近いうちに来るからね」と言って手を振った。頭が花の少女は、同じようにその草の手を振ってくれた。
 
 
 そこからどう帰ったのか、私はいつの間にかその土地を出ていた。それほど深く入っていたようには思っていなかったが、出てきた時、私は自分がじんわりと汗をかいていることに気付いた。
 丁度そこへ、華ちゃんと、その友人だという、この土地を気に入っている少女が通りかかった。朝一で入ったはずなのに、なんともう夕方だという。華ちゃんと、その友人に今しがたの話をすると、二人は疲れ切ってしゃがみ込んだ私を見下ろす形で顔を見合わせた。
「いいものを見たね、お姉さん」
「いいもの?」
 私が華ちゃんの友人の方を見ると、華ちゃんが「環菜ちゃん」と紹介してくれた。汗を上着で拭いて、握手をすると、環菜ちゃんは「私もその花の娘の変じはみたことないんですよ」と言って、握った手を振った。そしてすぐにその手を放し、少し興奮した様子で話の続きを話た。その言葉の端々から、彼女がここに通い詰めていて、華ちゃんにも、一緒にあの神秘を体験してほしいのだと感じた。
「花の娘っていうの? あの花が頭の子と、眼球の代わりに花の蕾が詰め込まれている子は」
「もう一輪います。その花の娘は蕾の子より、もう少し背が高くて、まだ低木の若木を頭に生やしています。そしてその木の皮のようなものが巻き付いて、服みたいになってるんです。一番のお姉さんみたいな」
「へぇ」
「それに、その花の娘は、顔があるんです。人とコミュニケーションが取れる唯一の存在なんですよ」
「そうなの! やだ、私も会いたかった」
「え、でもお姉さん、もっと貴重な体験してますよ」
 環菜ちゃんは私の隣にしゃがみこみ、秘密を教えてくれるように声を潜めた。
「お姉さんが受け取った花は、けして近くで、私たちが見られる花じゃないんです。あれは熟して落ちたら、花の娘たちが拾って行って、一番奥のお祀りするところに捧げられるんです。だから、人は持って出ちゃ駄目だし、両手で触れて見られただけでも、すごい幸運なんですから」
「そうなんだ」
 確かに、人間の世界に持っていっていい美しさではなかった。あの奥に光った一縷を、私は目の奥に飲み込んだ。
「ここは、花の娘が花として生きるための場所なんです。だから私たちは、ただ見ていることは許されているけれど、何も持ち出してはいけないんだそうです」
「なるほど」
 私は立ち上がり、もう一度背後の土地を見た。鮮やかな緑。広々と広がる花の世界。まるで空白の場所のように、人が遠慮した場所。それはとても正しい判断だと感じた。
 そして、だからこそ、こうしてこの土地は開いているのだろうとも。
 私は、もっと話を聞きたくて、環菜ちゃんに家に置いてあるバームクーヘンをちらつかせた。しかし、彼女はゆっくりと首をふり、
「今度はお姉さんが、若木を生やした花の娘と会って話をしてください。きっと私から全部聞いたら、がっかりしてしまいますよ」
と言い
「それに、今日こそは華ちゃんんが行く気になってくれたので、私たちは、私たちの花と出逢ってきます」
「というわけなので、私をバームクーヘンで釣っても、ここからの話はしませんから」
華ちゃんは少し意地悪そうに笑いながらそう言った。こちらは全部話したのに。そう思いながら、私は先輩である環菜ちゃんと、そのとなりをきちんと追いかけていく華ちゃんを見送った。
 
 はて、と私は空を見上げた。そこには赤々とした夕暮が雲の波に広がっていた。私は朝はいり、この時間。では、彼女たちはいったいつこの世界へ戻ってくるのだろうか。
 花の娘の住まう土地から。

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