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私は書いていきます、というnote

今月の27日、久しぶりに霊視鑑定を受けてきました。

正直、自分でタロットを繰るようになって、
あまり誰かに視てもらいたいと思わなくなっていたのですが、
じゃあ、何故に?
と言いますと、
単純に、
信頼しているひとに自分の感覚を話したかったから、
でした。

私は不思議なことを受け入れて生きている派です。

自分が体験したこともあるし、
ひとのお話や考え方を聞くのも好きです。

世界は生きている目の数あるのだから、
食い違っていても、
信仰が違っても、
優先順位の違いがあっても、
全く構わないのです。

ミカティさん(霊視鑑定者さん)にはじめて視てもらったとき、
私は、
あ、自分の目に近い人だ、と感じました。

同じではないけれど、
たしかに近しい現実を生きている。
そんなふうに感じました。
つまりは、ちょっとほっとしたのです。
あ、
私は思い込んで生きていたのじゃなかった、と。
きちんと私として感じてきた結果の生き方をしている、と。
それはとても自分の基盤が安定する出会いでした。


そんなミカティさんに今回お話したかったこと。

それは、
私のこれからの生き方について。

なにそれ、重い。

これについては、
何回かうじうじと、または意識して明るく軽く、
書いてきたように思うのですが、
やっぱりまた書いておこうと思います。

私、
外に働きにいくのは無理なようです。

これはカウンセラーの方にも言われたことで、
それについてはまた違うnoteに書こうと思っています。

今まで20年くらいなんだかんだ、
短いものから長時間のものまで、
いろいろ、なんとか働いてきました。

その度に体調は崩れ、
精神が削られ、
死にたいが逃げたいみたいになって、
それを叱咤してなんとかここまでやってきました。
体が頑丈でなかったり、
精神もけっこうタフだったりしなかったら、
けっこう前半にぶちっと引きちぎって来世に乗らずに落っこちて行っていたことでしょう。
でも、私は頑丈でした。
なので、ここまで自分の生き方を曲げてきてしまいました。

ずっと、
物語りを書いたり、
詩を書いたりしはじめる前から、
私は作家になることを決めていたように思います。
なりたいとか、夢とか、目標とか、
そういった言葉のずっと奥で、
一本静かに「なる」と立っていたものがありました。

でもそれって誰でもなれるわけじゃないでしょ?
なれる保証もないでしょ?
生活って大変でしょ?

っていう声が、
今まで正論だと思っていました。
でもそうでもない。
と、最近、とくに去年から言い返す、
またはただ呟く声が大きくなっていました。

私は、物語りや詩を書いて生きていく。

その決意が、私の中で変わらずに生き続けていて、
もう無視することのできないところまできてしまいました。
降参です。
完敗です。
だから書いていこうと思います。

ミカティさんには、
このことを聞いてほしかったのです。

どう思う?とか、
どうしたらいい?とかではなく。
私、書いて生きていきます。
ということを、彼女に聞いてほしかった。

そして彼女からの言葉は

「そうだよ!あなたは書かなくちゃ!
あなたにとって書くことは使命とか仕事とか以上のもの、
そしてもっとあなたの生に直結しているもの。
歯を磨くとか、ご飯を食べるとか、眠るとか、
生きていくうえでしているのが当たり前のことなんだよ。
あなたは諦めなければ必ず作家になる。
だから書いていけばいい」

でした。
だよね!!
とはさすがに返しませんでしたが笑
心のなかで、ぐっと拳を握り直すような気持になりました。

仕事はせずに、書くことだけを考えなさい。
そう言ったミカティさんに、
はじめていっしょに来ていたじろうさん(夫)も
「それがいいね」
と頷いてくれたので、
とりあえず、もうひたすら書くことにします。


変なことも、
不思議なことも、
子供の成長やら自分の成長も、
書けることはどんどん書いて生きていきたいと思います。


そういえば、
一昨日タロットでふと聞いてみた、

「私にとって、書くことはなに?」

という問いにたいしてのカードは
“戦車”の逆位置と
“世界”でした。

制御不能なもの。
私という創造の基盤。
足場。
そんなことを受け取りました。


正直、今死んでも、
私は後悔することがないな。

それって最高です。


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