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私の文章

今日の文芸会には新しい人がひとり参加されました。
その方は添削の仕事をされていたこともあると聞いて、
どきどきしながら自分の作品を発表しました。

内容は、6月だし、6月と言えば雨だろう、雨といえば私にとっては田舎の家の窓から見える風景だな、そして雨というとあの場所では私にとって羊水のような存在だったな、ということを書きました。
なんだそりゃ、ですよね、たぶん。

男性の方にも、
羊水とか子宮とかの比喩が伝わり辛いから、
男性にも共感できるようにも考えてみては、と言われ、
なるほど、と思いました。
子宮があるのは女性だけなのだという事実を、私は時々忘れています。
そうか、これがあるかどうかで感じ方が変わるのか。
でもこれは自分が胎児のように羊水に浮かぶイメージだから、
男女関係ない気もする、、、けれど子宮というものに寄せる親しみが、
女性の方が大きいのかなと思いました。

さて、
新しい方にはどう読んでもらったかというと、
「雨のイメージ、その原風景」という前半と、
「雨は羊水のような存在だったこと、雨を感じると、私は今も長すぎる臍の緒で田舎のあの風景と繋がっている」という後半で、
二分されてしまっているから、二つが最後に結び合わさるように書いて見たらいいかもしれない、ということと、
【詩のよう】だという言葉を頂きました。

また、別の方には
「としさんの文章にはいつももの悲しさがある。名前を見なくても、あなたのだと分かる」という言葉を頂きました。


その後、ブックトークに走り込みで参加してきたのですが、
そこで文芸会でもらった五月の分の小冊子を読んでもらうことに。
私の書いたものを読んだ方に言われたのが、
「あなたの文章は詩のようだ」
ということでした。
「完全な小説ではなく半分詩のようだ」と。
それは辛辣な言葉を投げないための言い様だったのかもしれないな、と思いつつ、一日に違う作品で同じ言葉を聞くことになったことに不思議な気持ちになりました。

物悲しい。
詩のよう。
それは中学生の頃にも言われた言葉だな、とも。
「あなたの文章は、切ない。それはやさしさに裏打ちされた切なさだ」
そう言ってくれた司書さん。
書いているとき、
詩のように書こうなんては全く思っていないのですが。
そしてそれは弱点?
それとも伸ばしていっていいもの?
きちんとした文章を書きなさいと言われたら、
私はきっと書けないか、書くことに躊躇うと思います。
それは嫌だな、と思う。

詩のような小説でもいいのかなあ。
文章、文体って、自分では判断しにくいものな気がします。
私はけっこう自分の文章好きなのですが、、、

それじゃあ、いいじゃないか笑

ですよね。

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